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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第八章 新政
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06【妝真】

 その戸惑いは、ただ背が無駄に高いだけだと思っていた男がどうやら界王の懐刀らしいということと、双子の従弟が思っていたよりずっと大人らしいということの、ふたつである。

 妝真は無意識に疎外感というものを感じ、寂しくなった。

 周囲を見ても、みな何千年も生きた神ばかり。目の前の少年たちさえ、精神年齢は遥かに上である。それが天上界に生まれた定めといえば仕方ないが、あまりにもはなはだしい経験値の違いは、どうあがいても埋められないものだ。

 妝真はそっと後退し、つもる話がありそうな彼らから遠ざかった。


 せめて父さんか母さんだけでも構ってくれたらいいのに。


 妝真は思いながら、うつむいて歩いた。

 天位三と十の両親は、さすがに忙しい。それは分かっている。しかし理解していることと感情とは別物である。

 妝真は寂しくてたまらなかった。といってワガママは言いたくないし、親を困らせたくもない。そんな想いから感情は押し殺し、我慢してきた。が、それもまだ幼い従弟がいたからごまかせたことである。

 同じように高い天位を持つ親がいるのだから、きっと分かり合えるに違いない。

 そんな期待があったのに、もう叶わないと知ってしまった妝真は、孤独にさいなまれた。そして、こんな時は決まって背中が痛んだ。もちろん胸も痛んだが、どちらかといえば背中のほうがよりリアルに痛かったのだ。

「あ、痛っ……」

 いつのまにか裏庭に出てしまっていた妝真は、うずくまってじっと痛みに耐えた。その身体をふわりとすくい上げたのは、忽然と現れた白龍である。

 次元を違える白龍は、半透明に見える。だが触れることはできる。獣王の称号を持つ妝真にだけ許された特権であるが、本人は別段、素晴らしいと思ったことはない。

 白龍は妝真に優しく触れて慰めてくれるが、言葉を発しない。長い巨体では同じ屋根の下に暮らすわけにもいかないし、おそらく共感するものもないだろう。互いに慈しんだとしても、同胞ではないのだ。

「ごめんね。おまえの気持ちは嬉しいけど、僕、今は余計につらいかも」

 そうして妝真は空を見上げた。

「ああ、早く大人になりたいな」


***


 しかし日々の中には、悲しみばかりあるわけではない。

 妝真は従弟のために頻繁に図書館へ通うようになり、そこで毎回顔を見る人物と親しくなった。

 神族長の一人、泉房である。

「これ、とっても分かりやすかったって言ってました。僕も読んでみたんですけど、ほんとに良かったと思います」

 本の感想を述べると、泉房は嬉しそうに微笑んだ。

「それは良かったですね。私も薦めた甲斐があります」

 泉房のそんな台詞を聞くと、妝真は天まで舞い上がるような気持ちになった。

 年齢は離れていても、きっと通じ合えるのではないかとさえ思えたのだ。

「僕も、この図書館にある本を全部読んでしまえるようになりたいな」

「焦ることはありませんよ。時間はたっぷりありますから、少しずつ理解を深めながら読めばいいと思いますよ?」

「手伝ってもらえますか?」

「ええ。お易い御用です」

「やった!」


 こうして泉房は、妝真にとって親兄弟のようでもあり、教師でもあり、憧れでもある最も身近な存在になっていった。なにしろ一日の大半は泉房の顔を見ているのだ。泉房も神族長であるから忙しいはずだが、人員の関係上、ほかの種族よりは暇が取れるようで、朝目覚めてもすでに仕事へ出ていない両親や、本を届けるだけの従弟より、よほど情を交わし合えた。

 その日も妝真は図書館にいて、泉房の横の席に腰かけ、本を開いていた。

「あ、ここ、なんて読むんですか?」

 すると泉房は自分がめくるページの手を止め、妝真の本をのぞき込んだ。

「ああ、そこはね……」

 教えを乞いながら、妝真は頬に触れる泉房の髪の匂いをかいだ。長い水色の髪は透明感があり、どことなく異次元にあるもののように触れがたい気がする。柔らかく流れる水のようにつかみがたく、またひんやりとした空気を生み出すのだ。

 妝真は胸がキュッと縮むのを感じた。するとまた背中が痛んだ。

「うっ……」

 思わずもれた声に泉房が驚いた。

「どうしました?」

 妝真はやや焦って首を横へ振った。

「あ、なんでもありません。大丈夫です」

「……しかし、顔色が悪いですよ?」

「ち、ちょっと、背中が痛くて」

「背中?」

「本の読み過ぎで凝っているのかも」

「ええ? 大丈夫ですか?」

「はい」

「少し休憩しますか?」

「ほんとに大丈夫です。ありがとうございます」

 とはいえ、泉房には相当具合が悪そうに見えたので、妝真の背に手を触れてみた。

「どう痛むんですか?」

 妝真は心臓が爆発しそうになって、跳ねるように立ち上がった。

「わっ、ほ、ほんとに大丈夫ですからっ」

「そ、そうですか」

 泉房はもちろんビックリしたが、それ以上にドキドキしている妝真には、そんなことに気づく余裕もなかった。

 ただ背に残る泉房の手のぬくもりを感じて、幸せに思ったことは事実だ。そのくらい、何年も人の手に触れてこなかったのである。


 だがそんな余韻も、いつか消える。

 いつものように図書館へ来てみたが、泉房の姿が見当たらないので、妝真は神族棟——別名「神殿棟」まで足をのばしてみた。そこで、人目を忍ぶように寄り添う二人を見つけた。

 泉房の傍らにいるのは、背が高く、体つきもたくましい、銀髪に水色の目をした男、風門である。風門の手は泉房の肩にあって、泉房はそれをごく自然に受け入れていた。

「ただの友情ではないだろう」ということくらいは、子供の妝真にも分かった。

 否、妝真も泉房に対して特別な感情を抱いていたからこそ、気づいたのかもしれない。二人の間につけいる隙などありはしないことも。

 共に生きた悠久の時に、ほんの数ヶ月語らっただけの者が割り込む隙など、どこにもないのだ。所詮は少年期の淡い初恋である。


 妝真はあてもなく駆け出していた。棟を出て、講堂を抜け出し、近くの草原へ向かって、ひた走った。

 胸の痛みに反応するように、また背中が痛み出したが、かまわずに走った。

 そして草原の中央まで来た時、不意にバキッという音がして、妝真は驚き、立ち止まろうとして前へ転んだ。

「……なに? 今の音」

 真後ろで聞こえた、と思った。妝真はうつ伏せたまま、聞き耳を立てた。

 背中でかすかに軋む音がする。妝真は嫌な予感がして、真っ青になった。

 痛む背中、骨がこすれて折れるような音、そして父親が天使であること。それらを総合して思うのは、ただひとつである。

「うそ、なんで? もう十歳すぎたのに」

 有翼種は羽根が生えるものなら三歳までに生えてしまうのが普通である。身体の負担にならないよう、手のひら大の小さな翼が出て来て、成長とともにそれなりの大きさになるのだ。

 しかし十という年齢で万が一、相応の翼が生えたとしたら大問題である。翼は背中の皮膚を破って突き出てくるからだ。翼が大きければ大きいほど負担はかかり、出血多量となる。それは生命の危機に他ならない。

 妝真は全身汗だくになりながら、背中に走る激痛に耐え、辺りの草をかまわずひっかき回した。

「痛い……痛い……」

 呻き、苦しみ、時おり声を上げる。だが広い草原のど真ん中で、その声を聞く者はなかった。

 皮膚を突き破り、服を引き裂き、血をまき散らしながら天へ伸びる翼は、銀色の鋭い刃物のように、陽光の下きらめいた。ゆっくりと、奇怪な音を立てながら帆を立てる——悪夢のような時間が刻まれた。

 そして、実に三時間もの時をかけて、妝真の翼は全貌を現した。

 十という身体に不釣り合いなほど大きな翼である。珍しい銀色の羽根は父ゆずりだろう。美しく輝いている。が、鮮血にまみれておぞましくもある。

 妝真は生も根も尽き果てていた。服にしみついた血がべっとりと全身を覆い、顔からは生気を奪っている。虫の息だった。最後の力を振り絞るようにうっすら開いた瞳には、金色の紋様が映った。妝真自身が地に描き出そうとしている死の印章である。

(やっぱり死ぬのか……)

 誰にも看取られず、きっと誰にも気づかれず死ぬのだと、妝真は思った。

 十の歳と言えばさほどあるように思えないが、天上人の十は百年である。百年の孤独は、人に知られず死を迎えるのには充分だ。

 妝真は目を閉じた。空の彼方から聞こえてくる笛の音に耳を傾け、失われていく意識に別れを告げた。

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