04【永治・光治】その壱
一方、一人で酒を飲む帝人に寄って行ったのは、空呈だった。
「ひとつ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「このあいだから気になっていたんですよ。些細なことではありますが」
帝人は眉をひそめた。些細と言うわりに、もったいぶっているのが気に入らなかったのだ。
「さっさと言え」
「ああ、すみません。本当に取るに足りないことですよ。最近、帝人殿はなにかこう、ふっきれたような感じがします。何かあったのでは、と」
「別に何もないが」
「またまた。その堂々としたご様子、やっぱり以前とは違いますよ。界王様もおっしゃっていましたね。覚悟ができている、と。それはつまり——あれですよね?」
帝人はやや唖然として、空呈を見やった。経済界を支えるだけあって聡い男ではあるが、たったあれだけの会話で帝人に課せられた現実を見抜いたことに驚きは隠せなかった。
空呈は帝人の反応に気を良くした様子で微笑んだ。
「理想郷を叶えるための最終的な決定権を得ているのは天位一位。覚悟がいるのはその神一人だけです。お役目を引き受けられるつもりなんですね?」
帝人はどういう顔をしていいのか分からずに、口元をゆがめた。
「なかなかのくせ者だ。二位を得ただけのことはあるな」
「お褒めに預かり光栄です。で、本当にご覚悟を?」
空呈は急に浮かべていた笑顔を消し、真顔で尋ねた。帝人も真顔で答えた。
「これから少しずつ決心に変えていくつもりだ。まだ五位だからと安易に構えるつもりはない」
「ご立派です」
空呈は再び笑顔に戻ってワイングラスを掲げた。
「しかし、どうぞごゆるりと。理想郷を叶えることは夢ですが、この美しき流転の世界を一秒でも長く味わっていたいと願う心も真実です」
その言葉は帝人の胸にしみた。だが違和感があった。本人の口から出た台詞のように聞こえなかったからだ。何者かが空呈の口を借りて言ったのではないか、という気がしてならなかった。
「空呈殿」
「はい?」
「近々、子が生まれるとか」
「え? ああ、はい」
「おめでとう」
「ああ、これはどうも。ありがとうございます」
空呈は頭をかきつつ照れ笑いしたが、帝人の目は座った。会場の隅でほかの女神に囲まれながら幸せそうにしている灯紗楴——その胎内から、強い意思が放たれているのを感じた。
一人は穏やかだが、一人は深い悲しみの中にある。双子だ。
彼らは人生の分岐点で何か強烈な体験をし、天上界へ導かれたのだと分かった。そして最も重大なのは、記憶に焼きついている顔である。それはどう見ても界王の精霊・飛鳥泰明なのだ。
「二人の名前は、もう考えているのか?」
「え? 二人?」
「貴殿の子は双子だ。ひとつの魂がふたつに分かれている。珍しい」
「ええっ!? 本当ですか! 大変だ」
空呈は慌てて妻のもとに駆けて行った。名前は一人分しか考えていなかったらしい。しかし、そんな一見微笑ましい光景も、帝人には笑える気がしなかった。
***
まもなくして、双子は生まれた。空呈は、先に生まれた子を永治、次に生まれた子を光治と名付けた。父・光永の名を分けたのである。
が、天位二の空呈と天位四の灯紗楴を両親に持つ身でありながら、天位を持たずに生まれた。ままあることとはいえ、いとこになる妝真とはえらい違いである。
そのことを一番意外に思ったのは他でもない、帝人だった。
界王に導かれた魂でありながら、天位を持たないのはどうにも解せない話である。寅瞳もそうだが、彼の場合は原因がはっきりしているし、天位がどうこういう前に核であるから論外だ。
そんなわけで、空色の髪と碧眼の双子を眺めた帝人の第一声は、
「面妖な」
だった。一緒に祝うため空呈の部屋を訪れていた沙石は毛を逆立てた。
「おまえ何言ってんの!? オレでもそこまで失礼なこと言わねーぜ? つーか普通じゃん。充分カワイイじゃん」
沙石は必死にフォローしたが、笑顔が硬直した灯紗楴と苦笑いの空呈は、こめかみを痙攣させている。一触即発だ。
「あら、どのあたりが面妖なのか、お聞かせ願えるかしら」
笑顔を張り付かせながら怒っている灯紗楴は、日ごろ穏やかなだけに恐ろしい。沙石は一人、背筋を凍らせた。だが負の感情に慣れっこの帝人は何を気にするふうもなく、淡々と説明した。
「界王が二人の人生に大きく関わっていると見える。そのくせ無天位者というのはおかしい。物心ついてから授けるつもりなのか、あるいは別の理由があるのか——さて、さっぱり分からぬな」
訳を聞いた空呈と灯紗楴は、とたんに怒りを鎮めてまばたいた。
「そうなんですか?」
帝人は顎をつまんで宙を睨んだ。
「ああ。記憶を読むかぎり間違いない。まだ赤子のせいか、かなり漠然としているが、界王の精霊の顔だけはハッキリ見える」
「精霊って、あの黒髪の奴?」
とは沙石が尋ねた。帝人は憮然とした。
「ほかに言いようはないのか。界王に対して失礼だぞ」
「うっせーよ」
「ともかく、永治のほうは経過観察が必要だ」
「え?」
「表面には現れていないが、うっすらと朱の紋様が見える。前世、何かを請け負って死に至ったのは明らかだ」
「ええっ!? じゃあ核!?」
「いや違う」
「は? じゃ、なんだよ」
「そこまで分からぬ」
帝人は言ってから、さっさと部屋を出た。沙石はそのあとを追った。
「おい待てよ! 問題ふっかけといてどっか行くのやめろよな!」
二人が嵐のごとく去ったあと、困惑したのは灯紗楴だ。
「やだ、どうしよう」
空呈も戸惑っていたが、灯紗楴の産後の身体を気遣って、肩にそっと手を置き、優しく言った。
「大丈夫だ。心配いらない」
***
心配いらない——そんな親の声を聞いて、双子は手を取り合った。話す言葉は分からないが、不安は感じ取ったのである。そして毎日、入れ替わり立ち替わりお祝いに訪れる面々を見て、人の世に生まれたのではないことを悟った。
俗に「神」と呼ばれる彼らは、自らを「天位者」と呼ぶ。その胸に輝く宝玉は、双子の幼い瞳にも映った。
それから数十年。彼らは宝玉を手にする機会もないまま育った。だが、あえて欲しいとは思わなかった。天位者が持つ力と同等のものが、すでに備わっていたからである。
兄の永治には再生の力、弟の光治は破壊の力だ。
しかし兄弟は、この力をひた隠しにした。これから理想郷を目指していこうとする天上界のあり方に矛盾した力だと思ったからだ。
停止する世界に、再生も破壊も必要はない。これらは繰り返しの意味を持つゆえに、あってはならない力だと。
物心ついた彼らは、幼い肩を互いに寄せ合い、窓辺に立った。大人の前では非常に無口な二人だが、周囲に人影がなければ普通に話をする。ただし、天上人には分からない地球の言葉で話した。
『兄さん、そろそろここを出ようよ』
『バカ言うな。身体年齢はまだ五歳だぞ。どうやって生活するんだ』
『でも上位天位者が暮らすこの施設には、いつまでもいられないよ。僕らは無天位者なんだからさ。どうせ出てくなら、追い出される前に出ようよ』
永治は子供に似つかわしくない深刻な表情で、あごをつまんだ。
天上界の政治拠点となる大講堂。それにつながる住居施設は天位十五位以上の神に与えられるものだ。上位に立ち、責任と義務を負う彼らだからこそ与れる恩恵というわけである。
この居住施設は西を向く大講堂の背にあり、三棟ある。お察しのとおり、三種族で分かれていて、東は神族、北は魔族、南は使族である。混血種においては少人数すぎるため、決まりはない。空呈の場合は使族の灯紗楴と所帯を持っているため、南の使族棟を利用しているという具合だ。
当然、その子供である永治と光治も使族棟に身を置いているわけだが……
光治の言うように、今は子供だから許されているだけで、無天位者であるかぎりいつか出て行かなくてはならない。親の位は関係ないのだ。とはいえ、初めての世界で何をどうすればいいのか分からないのも問題である。子供なりに調べてはみたが、かなり限界があることを思い知らされただけだった。
『それにしたって、せめて十の年にならなきゃな』
『学校の寮とか入れない?』
『寮は七つからだ』
『あと二十年か……なっがいなあ』
ぼやく光治の横顔に目をやって、永治は笑った。
『そうだな。おまえと生き別れていた年月より長い。死にそうだな』
そんな永治に光治も目を向けて笑った。
『一緒なら平気だよ』
吹き荒れる風。頬を打つ砂と土埃。疲れきった身体ではこれ以上進めない。
そう思ったのが光治の、前世における最後の記憶である。
死にゆく恐怖と悲しみの中で、残して行かなければならない兄のことを想った。今は昔と言いたいところだが、昨日のことのように思い出されるのは、天上人として生まれた因果かもしれない。
もし全てを忘れて生まれ変われたなら、人生はよほど楽であったろう。そう思えてならないほど、記憶は痛みとなって胸をうずかせる。なので、光治は永治が心配だった。死に別れる苦しみは、死によって全てを悟り解き放たれる者より、現世にとどまって生きる者のほうにこそ強く刻まれるからである。
永治は、かつて恋人だった女の死を請け負い、光治の後を追ったという。その死の痕が、物質を細胞から破壊することのできる光治には視えた。
花のように咲き乱れ、蔓のようにはびこる朱の紋様。
美しくも怪しいそれは、背筋を凍らせるようなおぞましさと、胸を引き裂くような鋭さで、見る者の魂を押しつぶす。
光治はいたたまれない気持ちで、強くまぶたを閉じた。
そんな光治を永治は見やって、小首をかしげた。
『どうした』
光治は息をのみこんで、目を開けた。
『将軍って結局、何者だったの?』
『さあ。ここに来れば分かると思っていたが、今のところよく分からないな。あの時ジアノス・マートンが、なんとかって呼んでいたが、いまいち聞こえなかった』
光治が大きく溜め息ついて遠くを見やると、永治も遠方に連なる山脈へと視線を投げた。