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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第七章 受難
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07【神族・空呈・帝人】その壱

 西は確かに気候が穏やかだった。しかし空呈が念を押したように、三つの根源の濃度が極端に薄く、長くとどまれるような所ではなかった。同じ空間にいられるという利点をのぞけば、いいことはひとつもない。

 四人は西へ入ってまもなく見つけた小さな小屋に落ち着いた。空呈は背負って来た寅瞳を備え付けのベッドに下ろし、ひと息ついた。

「寅瞳、大丈夫か?」

 沙石はすばやく寄り、空呈は防寒着を近くのイスに引っ掛けながら、辺りを見回した。看病に必要なものがそろっているか確認するためだ。が、その視線は思わず帝人へ釘付けになった。おもむろに防寒着を取り去った帝人が、まったく見慣れた姿ではなかったからだ。

 氷霜のようにきらめく見事な銀髪。それを後ろで結わえてあらわにしている顔は、心を凍てつかせるように冷たい美貌である。

 無性(むせい)の美——と表すのが最も適当かもしれない。飛鳥泰善のように、どこから見ても完璧な男でありながら全ての美を超越しているものとは比べようもないが、いかなる美男美女も敵うまいと思わせるところは同じである。

 空呈が絶句して固まっていると、沙石が振り向いた。大人二人に動きが見られなかったせいである。しかし沙石も帝人を目にとめて、少し驚いた。

「あれ、髪の色も戻ったんだ?」

「ああ」

「切れば?」

「暇になったらな」

「忙しいのか?」

「まあな。それなのにこんなことに付き合わされて、いい迷惑だ」

「ちぇっ、ひと言多いぜ」

 沙石はそっぽ向くのと同時に、寅瞳へ視線を戻した。

「おい、寅瞳。大丈夫か? なにかして欲しいことがあったら言えよ」

 横たわっている寅瞳は、かすかに目を開けた。だが声は出そうもない。体力をすっかり消耗してしまったのだ。

「近くに飲み水がないか、見てきます」

 空呈はそう言って小屋を出、帝人は沙石に寄り、一緒に寅瞳を見つめた。

「グランシールの神は弱いんだな」

「おい!」

 帝人の台詞に、沙石は一瞬、毛を逆立てた。だが帝人は動じることなく寅瞳を見下ろしていた。

「そんなふうでは、総神殿から出た途端に命を失っていただろう。ほかになす術はなかったのだ。あまり自分を責めるな」

「……なんだ、慰めるつもりだったのか。まぎらわしい奴」

 沙石はホッとして寅瞳に向き直った。

「そうだぞ、寅瞳。おまえはなんも悪くねーんだからさ」

 寅瞳は慰めてくれる友人を見つめ返した。物語るその目から、帝人は心を読み取った。

(理想郷を確立すれば、私は永遠の命が得られたのに、そうしませんでした。八十億年も迷っていたんです。なぜなら、ラズヴェルト様から逃れられる手段が、死によってしか叶わなかったからです。私はただ、それだけのために理想郷を確立せず、グランシールを壊してしまったんです)

 寅瞳の目尻から一筋、涙が流れた。帝人はその苦しみに、首を横へ振って答えた。

「たとえ理想郷を確立しようと決意したところで、ラズヴェルトという男が真実を語らなければ、界王がお許しにならなかっただろう。確立できなかったのは、おぬしのせいではない」

(でも)

「核たる神に恐怖しか与えられなかったラズヴェルトが間違っていたのだ。それに、たとえその男のことがないにしても、やはり迷ったに違いない」

 帝人の言葉に、寅瞳は小首をかしげた。ラズヴェルトのことがなれば迷わなかったという自信があるからだ。しかし帝人は皮肉げに笑った。

「理想郷を確立する時に明かされる真実を前にして、迷わぬ者はいないのだ、寅瞳殿。そのために払われる大いなる犠牲に対し、何も感じないのだとしたら、核たる資格もないだろう。それとも本当にためらわないと言えるのか? 界王に関する記憶の一切が、完全に消えてしまうとしても」

 寅瞳が目を見開くと同時に、沙石も驚いて振り返った。

「お、おい、なんだよそれ」

 帝人は沙石を見据えた。

「界王は言った。理想郷の確立とはすなわち、流転の理からの独立だと。それは流転の理そのものだけではなく、概念さえも断ち切らなければなし得ない。つまり界王に関する記憶をも抹消しなければならないのだ」

「な……そ、それで、界王はどうなるんだ?」

「永遠に、誰からもその存在を知られぬ者となる」

 沙石は唖然としながら、口を開閉させた。そして己の胸に手を当てた。

「この天位も、核の資格も、誰から貰ったか、忘れちまうっていうのか?」

「そうだ」

「英知は? 世界が形成されたってことに関する英知はどうなる?」

「おそらくは、自然の営みによって作られたという、いかにも本当らしい偽りによって誤摩化されるに違いない。自然科学的根拠というやつだ。界王の干渉など始めからなかったかのように、神が万物の上に立ち支配する、完全な神代の世界が誕生するわけだ」

「ばかにしやがって!」

 沙石は怒りに任せて怒鳴った。

「オレたちはそんなこと望んでない! んな、しょうもない錯覚の中で生きるなんて、滑稽だぜ!」

 熱くなる沙石とは対照的に、帝人は冷静な表情で答えた。

「本当に望んでいないのか?」

「なんだよ!」

「死によって友を失うのが流転の理だ」

 帝人の無情なひと言に、沙石は声をつまらせた。だが帝人は続けた。真実から目をそらしてはいけないと思ったからだ。

「界王は、ただ民の幸福を願い、神々の祈りを見つめている。そして人々の願いを突き詰めた先に、理想郷を見出したのだ。それを我々が責めることはできない。界王は、流転の理こそ究極の理だと言う。しかし神と人が望むのは停止の永遠であり、流転ではなかった。界王と神々の思考は相容れなかったのだ」

「んじゃ、てめーは受け入れるっていうのかよ! しかたないって!」

「むろん断った」

「なんだよ! そんなんぜってー間違って……え? 断った?」

 沙石は振り上げかけた拳を止めて、急に熱を下げた。

「なにを?」

「理想郷を確立することだ」

「なんでオマエが?」

「界王は、私に理想郷を成せと言った」

「——ってことは」

 界王はお前に天位一位を与える気なのかと問う目に、帝人はうなずいて答えた。それは思ってもみないことで、沙石は心身ともに冷えきった。

「え? マジで? でもアイツ、それでも一位の宝玉持ってくんじゃねーの?」

「来るだろうな」

「受け取るのか?」

「さあ? まだ五位だしな。そのときになってみなければ分からない。それに一位を得たからといって、即確立しろということでもないだろう。核がその力を持ちながら、なかなか成せなかったように」

「あー、そーだな」


 帝人と沙石はイスに腰かけて、しばらく沈黙した。沙石は天井を見たり、寅瞳の様子をうかがったりと落ち着かなかったが、帝人はドアをじっと見つめていた。空呈の帰りを待っていたのだ。

 するとまもなくしてドアが開き、空呈が入って来たので、帝人はイスから立ち上がった。と、そこへ、続けざまに入って来た風門と泉房に目がいった。

 空呈は頭をかきながら、状況を説明した。

「ちょうどそこでお会いしまして。案の定、お二人の捜索に出られたようです」

「なんで連れてくんだよー!」

 沙石はイスにかけたまま抗議した。そんな沙石に、風門は大きく息を吐いて近づいた。

「みんな心配している。おとなしく戻ってくれ。いま連絡したから、すぐにほかの長も駆けつけるだろう」

 沙石は怪訝そうに風門を見上げた。

「連絡ってこっから? どうやって」

「風に言霊を乗せた」

「あ、そう。で? ホントにみんな心配してんの?」

「まあ、少なくとも我々、長は」

 沙石はがっくりとうなだれた。

「ほかの連中はせいせいしてんだろ? そんなところへ帰れっていうのかよ」

「我々が守る」

「つって言ってもなー」

「申し訳ないが、その話は後にしてくれないか?」

 唐突に割って入ったのは帝人だ。が、帝人を見た風門と泉房は、誰か分からずに唖然とした。その黒い丈長外套は魔族政権のものだが、きらめく銀髪と吸い込まれそうな碧眼には、さっぱり心当たりがなかったのだ。

「空呈殿、水は?」

「あ、ああ、すみません。ありました。どうぞ」

 空呈は手にしていた水筒を渡した。移動の多い空呈が常備している水筒の中身は、たいてい葡萄酒だ。それを川ですすいで水に入れ替えたらしいが、帝人は蓋を開けて、寅瞳に注意した。

「酒臭いが中身は水だ。我慢して飲め」

 帝人は寅瞳の身体を起こし、水を飲ませてやった。

 距離を置いて様子を見ていた風門は、その背に声をかけた。

「寅瞳殿は、具合が良くないのか」

 振り向いた銀髪碧眼の男の胸には、天位五の宝玉が光って見えた。しかしそれを視ても、風門と泉房には男が何者なのか分からなかった。彼らの戸惑いを感じ取った帝人は目元をしかめた。

「そんなに分からないか?」

 疑問を投げられたのは沙石である。沙石は肩をすくめた。

「いや、オレはそっちのが見慣れてっからな。逆に前のが分からなかったくらいだし。毎日会ってる奴なら、声で分かんじゃねえ? でも見た目がショーゲキ過ぎて声だけじゃ分かんねえ奴もいるかもな」

「界王よりマシだろう」

「あんなのと比べんなよ。それ言ったら誰だってマシだろ?」

「ああ、そうだった」

「もう諦めろよ。オレも結構イケてると思うけど、オマエには負けるもん。つーか、今まで顔隠してたオマエが悪い。なんで隠してたんだ?」

「とある女がうるさくてな」

「女!? オマエ女いたの?」

「違う。そういう意味じゃない」

「なんだつまんねー」

「何を期待していたんだ?」

「とある女って誰?」

 沙石の話のテンポに、帝人はやや調子を狂わされて、沈痛な面持ちになった。その様子の美しさに、空呈と風門が思わず息をのんだ。帝人はそれを睨んでおいて、沙石に答えた。

「……季条間」

「へ?」

「季条間だ」

 沙石は眉を吊り上げ、口元を引きつらせた。

「うへーっ! ご愁傷様だな!」

 そのへんは首を突っ込みたくないという態度があからさまな沙石に対し、帝人は舌打ちしてそっぽを向いた。空呈はこの隙に、風門と泉房に耳打ちした。

「帝人殿ですよ」

 風門と泉房が鳥肌を立てて驚いたのは言うまでもない。

「あのように美しかったとはな」

 呟く風門を、同じように驚いたはずの泉房がチラッと見上げた。その視線とぶつかった風門が反射的に首を横へ振ると、泉房はホッとした表情で微笑む。

 そんな、無言にして微妙なやりとりを何気に見てしまった空呈と沙石は、何も気づかなかったふりをした。

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