06【沙石・寅瞳】
常に東から西へ向かって吹く風は、この三年で草木を根こそぎさらったばかりか土砂をもさらい、岩盤層をのぞかせていた。その上を、沙石と寅瞳は強風にあおられながらも一歩ずつ確実に歩いた。北西を目指しているのだ。
「おい、大丈夫か!?」
沙石は寅瞳と肩を組み、声をかけながら歩いた。寅瞳は黙ってうなずくだけである。とても口など開けていられないし、目もほとんど閉じているのだ。もちろん、大抵の者がそうである。そうでなければ誰でも自由に屋外を出歩いているはずだ。だが猫一匹歩いていないところを見ると、寅瞳が正常なのである。
そんな環境で寅瞳を引き連れながら喋っていられる沙石は、自分の口から言うだけあって、確かに頑丈だ。生来から岩石を司る力を有し、天位三位という地位を得て、さらに核であるというから怖いものなしであるが、それにしても脅威である。
「ほとんど追い風なのはいいんだけど、結構キツイなー」
沙石はグチるが、歩調はしっかりとしているので、本当にそう思っているのか疑問だ。そもそも、領地の境まで行っても帝人に会えるかどうか分からないのに、ためらっていないのが不思議である。
寅瞳は、そんな沙石の強さがうらやましいと思いながらも、少しずつ後悔しはじめていた。自分から「行きましょう」とは言ったものの、こんなふうに沙石を巻き込むぐらいなら、肩身が狭い思いをするくらい我慢すればよかった、と。もし出て行くのなら、黙って一人でやれば良かったのだ。
(もし帝人様に会えたら、謝りましょう。沙石様に危険な真似をさせて、許してもらえるとは思えませんけど)
寅瞳は、強く閉じたまぶたの裏に涙をにじませた。
喧嘩の腕はもちろんない。なにかを言われれば、怖くて黙ってしまう。無理をすれば寝込んでしまうし、少々のケガや病気で死んでしまう。あきれるくらい弱い自分が、寅瞳は嫌で嫌でたまらなかった。
(沙石様の半分でも強かったら、私はもっと自由だったんでしょうか)
常にラズヴェルトの監視下にあった過去を思い出して、寅瞳は震えた。
世界を守っていたにもかかわらず、外の世界を知らずに生きた八十億年が重かった。総神殿の敷地の中からでも空は見えたが、地平線の向こうはとうとう見なかったのだ。そんな哀しみが、東の大地を荒らす風よりも強く、胸の奥底を乱した。
***
その頃。
『面会謝絶』
という張り紙の前で、燈月は呆然としていた。沙石の字である。部屋にいなければ探されるので、こもっていると錯覚させるために残してきたのだが……
「なんだこれは」
燈月は扉を叩いた。
「おい、なにをしている」
声もかけたが反応はない。この場合、完全に無視しているか、本当はいないと推測するのが普通だが、扉には鍵がかかっているし、外は嵐だ。どこかへ行ってしまったとは考えにくい。とはいえ、寅瞳の性格からして無視はありえないと考えた燈月は、扉を蹴破った。
はたして、二人の姿はなかった。燈月は慌てて身を翻し、全員に招集をかけた。
そこで、「勝手に出て行ったんだから放っておけばいい」と言ったのは、やはり六位以下の者で、十一位から十五位の者に至っては、捜索に出ることを真っ向から反対した。
「こんな嵐の中へ出て行こうというのですから、あの二人には大丈夫だという自信があるのでしょう。なにも我々が危険を冒さなくとも、なるようになりますよ。それより二次災害を防ぐことが先決です」
沙石の言うように、彼らは何も分かっていなかった。旧天上界やグランシールとはまるで概念の違う世界だと思い知らされた燈月は、視線を落として踵を返した。
「もういい。俺一人で探す」
だが、その腕を風門がつかんだ。止められるのかと思ったが、違った。
「俺も探す」
「私も行きます」
続いて言ったのは泉房だ。それを見て、安土がおかしそうに笑った。
「仕方ないのう。加勢してやろう」
「ああ、では俺も」
烈火が焦って参加すると、槙李が肩をすくめた。
「じゃあ二人ずつ組んで探すか。そのほうが少しは安全だろう」
燈月は目を丸めたあと、ゆっくりと微笑んだ。
「ありがとう」
***
持つべきものは仲間である。
燈月がそう思っているころ、帝人は施設から帰る道中で、空呈と出会った。新たに氷を切り出せる場所を教えてもらおうと、城へ向かうところだったと言う。
「では、このまま案内しよう」
帝人はそう答え、空呈を案内した。だがその途中、帝人は突然胸を押さえてうずくまった。空呈が驚いたのも無理はない。けっこう尋常ではない苦しみようだったのだ。
「大丈夫ですか!?」
帝人は顔に巻いた布の中から、うめき声をもらした。
「う、ううっ……」
「帝人殿!」
「だ、大丈夫だ」
「しかし!」
「急に……強い思念が飛んで来たので、さけられなかった」
激しく深呼吸しながら帝人は言い、少し身を起こした。空呈はそれを支えるようにしながら、眉をひそめた。
「強い思念?」
「ああ、大きい。そして重い。これは——寅瞳殿だな。近い。この近くにいる」
「寅瞳殿が!?」
空呈は声を上げたあと、絶句した。帝人が生来持っていたという透視能力を解放したことはこの道すがら聞いたが、そこまで強烈な力とは思っていなかったのだ。
「近いって……こんなところに、何故」
「さて。いろいろ複雑なようだが、なんにしても放ってはおけん。沙石も一緒のようだ」
「え!?」
「行くぞ」
帝人が立ち上がって歩を進めたので、空呈は慌てて追いかけた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
帝人が向かったのは、神族との領地の境だ。そこへ座り込んでいる小さな二つの塊は、間違いなく沙石と寅瞳である。しかし帝人は境界をまたぐことができないため、ついて来た空呈が二人の肩を抱いた。その様子を見下ろしながら、帝人は腕を組んだ。
「こんな所でなにをしている」
空呈の天位二の力で守られながら、沙石は顔を上げた。
「なにって、オマエに会いにきたんじゃん」
「会えなかったらどうするつもりだったんだ」
「会えるまでここで待つつもりだった」
「死にたいのか」
「このくらいじゃ死なねーって」
「おまえはそうでも、寅瞳殿は違うだろう」
「だからオレが守ってんじゃん」
「おまえは守られる側でもある」
「冷てーこと言うなって。一週間歩きっぱなしで疲れてんだからさ」
「ねぎらえとでも言うつもりか」
「悪いかよ?」
「悪い。今すぐ帰れ」
「そうですよ。私が力になりますから」
空呈が口をはさむと、沙石は目をキッとして立ち上がった。
「なんだよ! そんな言い方ねーだろ!? こっちにはこっちのジジョーってもんがあんだよ!」
「分かっている。だから言っているんだ」
「はあ!?」
「どうせ教えるなら、一緒に逃げることではなく、立ち向かうことにしろ」
「うっ」
「逃げてもどうにもならんだろう」
「で、でもよ」
「つらいか」
帝人の言葉に突かれて、沙石はパッと表情を変えた。それは子供らしく、不安で悲しそうな顔だった。
「だって、誰もわかってくんねーんだもん。どんなに言ったって、どんなにぶつかったて、全然伝わらねーんだもん」
そんな沙石を見て、帝人は深く溜め息ついた。沙石の言葉の裏にある気持ちが、すべて胸に響いてくるのだ。沙石らしくもあり、悲しくもある、その心が。ゆえに、人の心が分からない者たちに同情を覚えてしまった。しかし今は感傷にひたっている場合ではない。帝人は心を鬼にして言うべきことを言うことにした。
「そばにいなければ、連中の罪が増えないとでも思うのか?」
「え? 増えねえんじゃねえの?」
「おまえたちをここまで追いつめただけでも万死に値する罪だ」
沙石はサッと青ざめた。
「い、いや、だって、それはオレらが勝手に」
「理由がある」
「ででで、でもっ、顔見りゃ喧嘩だしよー。いつか悪いことが起こるかもしんねーじゃん。そんなリスク背負ってらんねーよ」
「連中に殺気でも感じたのか?」
「いや、んなんじゃねーけど、つーか、殺されそうになったら返り討ちにしてやるよ」
「こら」
「じゃなくてー! オレじゃなくてーっ!」
「寅瞳殿か?」
沙石はこくこくとうなずいた。
「戯れ言に構うな。聞かなければ気にならん」
「あいつらワザと聞こえるように言うんだぜ?」
「無視しろ」
「でも!」
「無視しろ! いちいち反応するから調子に乗るんだ」
「れっ——!」
「烈火と同じことを言うな! などという反論は聞かん」
先を越されて、沙石は驚いたように目をまたたかせた。
「なんで?」
「透視能力が戻った」
「お、おーっ!? そっかー! やったな!」
「喜ぶな」
「喜ぶよ。だってオレ、言葉で伝えんの苦手だからさー」
帝人は頭を抱えた。沙石の相変わらずな感じにも萎えたのだが、寅瞳の悩みが深刻すぎて、めまいがした。
「もうおまえは好きにしろ。だが寅瞳殿はそうはいかん。だいぶ弱っているようだしな」
その指摘に沙石はハッとして振り返った。空呈が風よけになってくれているが、寅瞳はぐったりしている。
「このまま西へ行ってみましょうか」
空呈が提案すると、帝人と沙石は首をかしげた。
「何かあるのか?」
「微量ですが、三つの根源があります。濃度がないぶん大変ですが、気候は穏やかです」
帝人と沙石は目を丸めて互いの顔を見合った。伊達に天上界中を歩き回っているわけではないのだな、と感心したのだ。
「しかたない。いまは贅沢を言っていられない。そこへ行こう」
帝人が言うと、沙石は嬉しそうに笑った。