04【帝人】
一方、朝が来ることのない北の城では、帰りの遅い帝人を皆が心配していた。過労で倒れたのではないかという心配もあるが、尽きかけている燃料も気になる。
「あと一時間しても戻らぬ場合は、我々が交代で燃料を運び入れるしかないな」
虎里が言うと、琴京が眉尻を上げた。
「捜索は?」
「無理だろう。探しに出た者をまた探しにゆかねばならなくなる」
「帝人殿は見殺しか」
「人聞きの悪いことを言うな。俺だって助けになれば探しに行く。だが……」
うつむく虎里の腕に、成柢がそっと手を置いた。
「この吹雪だ。動きがとれるようになるまで、どこかに身を潜めているのやもしれぬ。無事であることを信じようではないか」
「ああ……」
一同はいっとき静まり返った。刻まれる時が身に迫るようで、息がつまる。
そんな沈黙に耐えられなくなったのか、琴京がふと呟いた。
「そういえば帝人殿は季条との仲がすこぶる悪いが、過去に何かあったのか?」
成柢は琴京をちらりと見やった。
「なぜ今それを問う」
「いや、なんとなく疑問に」
「馬が合わないだけだろう」
と言ったのは虎里だ。そばで話を聞いていた悠崔もそう思っていた。否、おおかたの者がそう認識していた。しかし——
「最初は季条が一方的に敵意を抱いていただけであろう?」
と成柢が言うので、皆は首をかしげた。
「なにゆえに」
「なにゆえと言われても、季条はあのとおりの女だ。美しい男を目の敵にしている。帝人殿はそれこそ、界王様がいなければ右に出る者はない美しさだ。それについてイヤミを言われ続ければ、帝人殿とて嫌になるだろう」
これには全員が目を丸めた。
「美しい? 帝人殿が?」
「なんだ、知らぬのか。まあ、ほとんど顔を隠してしまっているからな。無理もないが——闇王の称号を得る前は氷霜のような銀髪で、それはそれは美しかった。あの頃のように顔を出せば、今でも美しいはずなのだが」
成柢の言うことに、みなは唖然茫然とした。そして琴京は急にソワソワした。
「やはり探しに行こうか」
などと発言したことについて、厳しい目を向けられる始末である。
「……ともかく、帝人殿が理由もなく人を嫌う男ではないということは判明したな」
虎里はそう締めくくって、また猛烈に吹雪く窓の外を見た。そして、休みなく働いている身にはこたえるだろうと、帝人の身を案じた。
***
その帝人は今、帰路についていた。泰善に礼を言い、早々に引き上げたのだ。「もう少し休んで行け」と言われたが、燃料が気になると言って断り、小屋を出たのだ。
泰善は責任を感じることはないと諭すが、帝人自身が同胞を失えなかった。雪に閉ざされたこの闇の世界で、一人残される恐怖は計り知れない。少なくとも、泰善のように割り切って孤独を受け入れる余裕などなかった。
否。泰善は耐えられるわけではない。だが耐えてみせるつもりなのだ。この世界に生きる者たちのために払う犠牲なら、ためらわないのである。
「ひどい代償だな」
帝人は頭部に巻いた布の中で呟いた。
死を恐れぬ世界を手に入れるためとはいえ、それはあまりに大きな犠牲だ。神々が天位一位を目指しているのは、ひとえに界王を想うからだ。だが一位を手にしてやらなければならないのは、理想郷の確立である。その確立が、界王に関する記憶の一切を消し去ることだと知って、これまで通り理想郷を望めるのか——帝人は不安だった。
顔を覆い隠した布の下は今、氷霜のような銀髪である。闇王の称号を剥奪されたのではない。泰善の手によって封印されていた透視能力が解放されたのだ。しかし帝人に泰善の心を読むことはできなかった。心を不可視にしているのだ。
「俺の心など視るな。視ても何もない」
泰善は苦笑まじりに言ったが、帝人には分かった。傷だらけの心ゆえ、隠さねばならないのだと。
「その力で再び人々の心の闇と向かい合い、精進しろ。一度も闇を見ない者に、愛が何たるかを悟ることはできない」
そう言われて、帝人はうなだれた。
***
燃料も尽きかけた城の広間では、決死の覚悟の中、虎里が立ち上がった。
「燃料を取って来る」
「気をつけて行くのだぞ?」
成柢の言葉に虎里はうなずき、頭部に防寒用の布を巻き付けて扉を開けた。
が、ちょうどそこへ帝人が帰って来たので驚いた。帝人はすでに燃料を手にしている。
帝人のほうも驚いて、しばし茫然と虎里を眺めた。顔を覆い隠しているので、誰か分からなかったのだ。しかし背格好と声ですぐに判明した。
「無事だったのか」
「ええ……どこへおいでですか?」
虎里は自分の顔に巻いている布をはぎ取り、思わず怒鳴った。
「おぬしが帰らぬから、燃料を取りに行くつもりだったのだ!」
「ああ、申し訳ありません。行き倒れになって、しばらく意識がなかったものですから」
「なっ!? なんだと! 大丈夫なのか!?」
「はあ。ですからこうして」
「とにかく、中へ入って暖を取れ」
「ではお言葉に甘えて」
帝人は皆にうながされながら奥へ進み、燃料を継ぎ足した。それから暖炉の一番前に腰を下ろした。
「マスクを取ったらどうだ?」
外出する格好のままでは落ち着きなく感じた悠崔が言うと、帝人は首を横へ振った。
「すぐに施設を回りませんと」
「少しは休め」
「いいえ。そんなわけには。それに今、ちょっと外せない事情が」
「……なんだ?」
「透視能力を解放されまして——といっても称号はそのままですが。なにしろ髪の色が生来のものに戻ってしまったので、うっとうしいのです」
悠崔は驚いたあと、呆れた。
「銀色に?」
帝人は布の中で訝しげにした。まっさきに質問されるのは透視能力のことだと思っていたからだ。
「ええ、まあ」
「何故うっとうしいのだ?」
「うっとうしいものは、うっとうしいのです。そのうち切りますから」
「いま切ってやろうか」
と言ったのは成柢だ。
「腕は確かだぞ? おぬしの昔を知っておるしな」
帝人は成柢のほうを向いて溜め息ついた。
「ここで?」
「遠慮するな」
成柢はニッコリ笑うが、帝人には意地悪な微笑にしか見えない。帝人はすっくと立ち上がり、
「遠慮します」
と、ひとこと言いおいて、早々に広間を出た。施設を回って来るつもりなのだ。
帝人を見送った成柢は軽く肩をすくめた。
「相変わらずよの」
「おぬしは知っているのか。奴がうっとうしいと言うわけを」
琴京の質問に、成柢は再びニコリと微笑んでうなずいた。
「美しい髪だからな。よく光を反射する」
ようするにキラキラとしてうっとうしいのだ。答えを聞いた皆は呆れ、ますます帝人の素顔を見たくなってしまった。
「いつか見られるんだろうな」
そんな琴京の不満にも、成柢は笑って答えた。
「また元の天上界に戻れば、否が応でも」
「元の天上界か……」
悠崔が呟き、辺りはまた静まり返った。
界王の不興をかった当事者らである。青の鳳凰を肩に乗せて悠然と立ち、恐ろしい宣告をして、空気中にかき消えるように去った泰善。その姿を目に焼きつけた彼らには、かつての世界が永遠に訪れぬ未来に思えた。それどころか、明日の命もあるか分からないのだ。
「いつまでも帝人殿一人に頼るわけにはいかん。これからは少しでも、我々が交代で燃料を調達できるよう対策を練ろう」
虎里の意見に、みなは慎重な面持ちでうなずいた。