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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第七章 受難
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03【空呈】

 魔族の領域で氷を切り出し、使族の宮殿へ運搬する。その作業を空呈が買って出たのは、今後のさらなる利益を見越したからだ。人の行動が制限された今こそ、鷹塚家が誇る流通網を活用し事業を拡大する、またとない機会である。

 本日も彼は、はるか北の大地から巨大な氷を切り出し、熱をさえぎる特殊な布を何重にもして巻き、南へ運び出した。氷を切るのも、滑車に乗せて運ぶのも、すべて一人でおこなう。雇用者がいないわけではない。それこそ人手はありあまる。しかし極寒の地と灼熱地獄を往復できる者はほかに存在しないのだ。

 また、使族の宮殿へ自由に出入りできるというオマケもついているのだから、一人でもやらない手はない。使族の上位天位者と言えば、美女ぞろいで有名である。暑さで軽装になれば、目もいっそう潤うというものだ。

 中でも空呈は、天位四の女神・灯紗楴(ひさね)に会うのを楽しみにしていた。再挧真の婚礼に出席したおり目にとめて以来、気になっていた女性だ。

 灯紗楴は瑠璃色の長い髪と瞳の、大人びて落ち着いた印象の美人である。微笑む仕草も話し方も、すべてが空呈の好みで、思い出すたび胸がときめき、恋心を募らせるものだった。


 その日も例によって氷の配達に訪れていると、運よく灯紗楴に出くわした。彼女はしっとりと会釈した。

「いつもありがとう。ご機嫌はうるわしゅうございますか?」

「え、ええ、まあ」

 空呈はソワソワとしながら答えた。大きく開いた胸元に目をやりたいが、露骨に見てはいけないと妙に意識しているからである。

 灯紗楴はそんなことに気づく様子もなく微笑んだ。

「それはよろしいこと。……そうだわ。これから冷たい飲み物をいただきますの。せっかくですから、ご一緒に召し上がりませんこと?」

「え? ええ!? いいんですか?」

「あら、うふふ。もちろんですわ。空呈様のおかげでいただけるんですもの」

「い、いや。商売ですから」

「それでも、なかなかできることではありませんわ。極寒の地から灼熱の地獄まで——その労力を考えましたら気が遠くなりますもの」

「で、では、お言葉に甘えて」


 これは運が良い、と空呈は思った。些細なことをきっかけに親しくなるのはままあることだ。が、そんな期待に喜んだのは束の間である。

 てっきり二人きりの席だろうと思っていたそれは、土万妝を中心に、雲春(うんしゅん)咲迦丞(さかのじょう)(れい)雨虹褄(あまのにじつま)新改暗照(しんかいあんしょう)幸厘(こうりん)暑旬恵(しょじゅんけい)と共にいただく手筈となっていた。つまり小さなお茶会である。

「ご遠慮なさらないでね」

 灯紗楴が言うのを、空呈は苦笑いで受け答えた。


 それからというもの、空呈は宮殿を訪れると決まってお茶会に呼ばれたが、想いは通じていないようで、二人きりになることはなかった。灯紗楴にとって自分はそういう対象じゃないのだろうと、最近では諦めつつあり、溜め息までもれる始末である。

 しかし、そんな浮かない様子の空呈にいつまでも気づかないほど灯紗楴も鈍感ではなかった。

「空呈様にはご迷惑だったのかしら」

 灯紗楴は暑旬恵の部屋を訪れ、相談した。暑旬恵は目元をしかめた。

「さあ」

「女ばかりの席ですもの。変に気を遣わせてしまったのかもしれないわ」

「そう? そのわりには毎回ご出席なされているようだけど」

「断れないご性分なのかも」

「断れないのなら嫌な顔もするべきじゃないわ。本当にお嫌なら、きちんと断るべきだと思うし。そのくらいのことはお分かりになっているはずじゃなくて?」

「じゃあどうして?」

「本人に聞いてみたら?」

「いやよ」

「だったら何か言ってくるまで待つしかないわ」

 灯紗楴は頬杖ついて深く息を吐いた。

「そうよね」


 それから三ヶ月後。

 灯紗楴が例によってお茶会に誘うと、空呈は言った。

「せっかくですが」

 やんわりと断りを入れるその様子に、灯紗楴はそっと目を伏せた。いつかこの日が来ることを予想していたものの、残念に思ったのだ。しかし空呈は続けて、

「毎回こうして呼ばれるのは、とても嬉しいことです。ですがその反面、悲しい気持ちにもなるのです。あなたが純粋にお誘いくださればくださるほど、私は罪悪感で押しつぶされそうになるんですよ」

 と述べた。灯紗楴は眉をひそめた。空呈の言うことが分からなかったのだ。

「あら……わたくし、何か気に触ることでも?」

「とんでもない。あなたは素晴らしい。素晴らしいがゆえに、私は——」

 空呈は言葉をつまらせ、哀しげに口元をゆがめた。

「あなたの心が私に向いていないことを思い知らされて、苦しいのです」

 灯紗楴はハッとした。愛の告白だと気づいて、驚いたのだ。

「いつかあなただけの席に呼ばれるのではないかと淡い期待を抱いてはかき消される。かといって、こちらから提案して拒絶されるのも怖い。もう二度と声をかけてもらえなくなるのではないか……そう思うと、私は言い出す勇気を持てませんでした。しかし、もう」

 空呈は何か決意した眼差しを灯紗楴に向けた。灯紗楴はその目に胸の高鳴りを感じた。苦しい胸の内を明かし、別れを告げようとする唇に惹かれたのだ。

 そして焦った。確かに恋愛対象として見ていなかったが、それは空呈のほうに気がないと思っていたからだ。しかし、あるのなら話は別だ。家柄は申し分なく、容姿も整っており、再生の天使の兄で、天位二の神である。結婚を考える相手として不足はない。

「では、今度は二人きりで」

 灯紗楴はやや躊躇したが、この機会を逃しては先もないと、思い切って言った。戸惑いながら引き止める瞳は潤んでいて、今度は空呈が動揺した。

「わたくしは、まだあなたのことをよく存じ上げませんわ。ですから、今度ゆっくりお聞かせくださると……いいと思います」

 空呈はポカンと口を開けたまま、灯紗楴を見つめた。

「え? いいんですか?」

「ええ」

 灯紗楴は返事をしながらほんのり頬を染めた。想いが通じたことを察した空呈もつられて頬をそめながら、照れくさそうに笑った。


***


 さて。そのようなことで昨今は仲の良い光景を見られるようになった二人だが、それを目にした季条が思い切り眉をしかめたのは言うまでもない。

「なんだあれは」

 日陰で一緒に冷たい飲み物をいただいていた湖杜芽は、少しビックリした様子で季条を見た。

「……空呈様と灯紗楴ですわ」

「そんなことは分かっている。なぜあのようにしているのだと聞いているのだ」

「さあ。最近、付き合い始めたようですけど」

「なんだと!? あの男は飛鳥泰善に執心していたのではないのか」

「あら、飛鳥様は違いますわよ。彼は憧れというか、まさに雲の上のお方。恋愛感情とは違うと思いますけど? それに界王様と分かれば、恐れ多くてそんなこと」

「それが分かるまで天位を断っていたような男に恐れなどあるものか」

 だが「憧れ」というのは一理ある、と季条は憎まれ口をたたきながらも思った。彼女とて、「あのようになれたら」と思うのだ。飛鳥泰善のようになれたら、それ以上のものはない、と。

 そっと溜め息つく季条の横顔を、湖杜芽は悲しげに見つめた。

「執心しているのは、あなたではないの?」

 そう問いたかったが、問えなかった。取り返しがつかなくなるのではないか。そんな不安が胸を締め付けるのである。

(いつになったら私だけを見てくださるの? どんなことがあっても、あなたの味方でいられるのは、私しかいないのよ? どうしてそれが分からないの?)

 湖杜芽は口に出して責めたい気持ちを抑え、空を仰いだ。暑さに歪んだ太陽が、ゆっくりと西へ動く。だが沈むことはない。彼女たちの頭上に、熱を冷ます夜は来ないのだ。


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