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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第七章 受難
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02【帝人】

 豪雪だった。旧天上界では十年に一度の厳しい季節である。北も南も関係なく降り続ける雪と、強く吹きつける風。人々は屋内に閉じ込もり、地下に保存してある食料で細々と食いつなぎながら、この氷河期を越えるのだ。

 山も大地も区別なくしてしまう、白銀の世界。灰色一色の空。昼間でも薄暗い。積雪は各所で十メートルを記録した。いざという時のため、主要道だけは三十センチを越えぬよう雪かきされているが、終わりの見えない作業である。それでも連日に渡り、男たちが出てきては黙々とこなす。

『沈黙の時代』とも言われた。近所の者と顔を合わせても、痛いほどの冷気に口が開かず、みな目で挨拶をすませるからだ。会話は常に身振り手振りでおこなわれ、街に人の声が響くことはない。彼らが言葉を発し、声を上げて笑えるのは、家の中の暖炉の前だけだ。

 さて、こうした都市や街からは西に、ずいぶんと離れた場所にあるハーベストランは、通年であれば青々とした広い牧草地帯である。しかし今は一面、雪野原だ。キール・マークレイは足を取られつつ、ここを突き進んでいた。目的は、この先の高原にしか生えない薬草である。

 厳しい季節——核は加護の力を二倍消費する。そのためシュー・サンドライトは体力が低下し、病に倒れてしまったのだ。キールはなんとしてでも薬草を手に入れ、彼を救わねばならなかった。

 ところが凍てつく風は容赦なく身体を叩き、雪は激しさを増した。視界もさえぎられ、徐々に足の感覚は麻痺してくる。キールは立ち止まった。草原の中央あたりまで来ているはずだが、なんとなく定かではなかった。頭部の中心にある意識だけが、ぽっかり雪原に浮かんでいるような感覚だ。

 もはや気力だけで立っている。

 キールはそう思った。想像以上に厳しい風雪である。だが引き返せなかった。サンドライトを救えなければ己に生きている価値はない、と考えていたからだ。


***


 帝人が目覚めるとベッドの上だった。いつ寝てしまったのか覚えがない。ただ、昔の夢を見たことは確かだ。あのあと意識を失い、気がつくと見知らぬ小屋で看病されていたわけだが……今まさに、それを再現するかのような光景が目の前にあった。先刻まで、すっかり忘れていた記憶である。

 暖炉に薪をくべる男の背には見覚えがある。灯りに浮かぶ美しいシルエットは紛れもなく飛鳥泰善、その人だ。

「界、王……」

 泰善は声に振り向いた。

「気がついたか」

 帝人は身を起こそうとしたが、近寄って来た泰善に肩を押さえられた。

「寝ていろ」

「あ、あの?」

 どうしてこのような状況にあるのか把握できていない帝人は、眉をひそめた。すると泰善は人差し指を立てて「静かに」という仕草をした。しかしそれが動作どおりの意味を持たないことを、帝人は何故か理解していた。

「いくら寒さから守ってやっても、こう休みなく働かれては効果がなくなる」

 帝人は目を見開き、ついで赤面した。本人もうすうす妙だと思っていたのだ。確かに寒さには強いが、異常だと。だが守られているとは夢にも思っていなかった。

「私は倒れたんですか?」

「雪道のど真ん中で」

「申し訳ありません」

「二度目だな」

 帝人は黙って視線をそらせたが、泰善は言葉をつないだ。

「気持ちは分かるが、無理をするな」

「し、しかし」

「この世界は流転の理によって回っている。なぜなら俺が始まりと終わりだからだ。始まりがなければ終わりはなく、終わりがなければ何も始まらない。これは究極のサイクルであり、真の永遠だ。極寒地獄において死ぬことがあっても、それは終わりではない。この世で身体を失った魂は、再び新しい身体を得て生まれ変わる。少々手を抜いたからといって、おまえが責任を感じることはない」

 帝人は眉根を寄せた。この世が究極の理によって回っているというが、それなら理想郷とはなんなのか、と疑問を抱いたからだ。

 泰善はその思考を読んだように、不敵な笑みを浮かべた。

「理想郷とは流転の理からの独立だ」

 帝人はじわりと目を見開いた。

「独立?」

「そうだ。つまり俺の思考による支配からの独立だ。流転による支配を逃れると、停止による永遠が実現する。初めは転生期が訪れ、次に安定期に入る。それから停止期に入れば完成だ。死という概念はなくなる」

 泰善はさも良いことのように言うが、帝人は不吉な予感がした。

 流転が真の永遠であり、死の概念を取り除いた永遠が停止であると言う。それは言い換えれば、偽りではないのか、と。

 するとまた泰善は笑った。

「偽りの真実もある。死は決して終わりではないし、悪でもないが、血肉を持って生きる者には恐怖となる。生き続ける魂に追随する器が必要ならば、得るための努力は欠かせない。そしてその願いは常に人々の心にある。神や人が望む幸福の形が流転の世にないのなら、排除する力がいることも、分かっているだろう?」

 帝人は勢いよく身を起こした。

「あなたは、まさか……」

 泰善は軽くうなずいて、目をそらせた。

「おまえたちは俺の中では生き続けられない。むろん、世界も。理はすぐ俺の思考に染まる。それは創造の根源が俺にあるからだ。しかし世界を壊すことなくこの根源を断ち切ることができるとしたら——」

「待ってください!」

 帝人は強く制した。先を聞きたくなかったのだ。だが泰善は続けた。

「おまえは知っておかねばならない。なぜなら、サンドライトが理想郷を成せない時は、おまえが代わってなすよう定められているからだ」

 帝人は真っ青になった。おそらくカーンデルも気づかなかったであろう、天位一位の力に秘められた真実を悟ったからである。

「停止の理の中に、あなたは存在しないのですか」

 帝人が震える声で問うと、泰善は静かに答えた。

「しない。俺は停止とは相容れない。理の祖であるかぎり、考え続けねばならないからだ。思考は巡るものであり、停止すればすべてがなくなる。絶え間なく紡がねばならない理が切れたら、なにもかもが消え失せてしまう」

 帝人は顔をしかめた。

「理想郷も?」

「残念ながら、理想郷を確立してもその外側にある世界は俺の支配下にある。あまねく世界は完全なる球体の中に収められ、回転している。それは流転こそ永遠にして究極の美であるからだ。これはどうやっても覆らない。一世界を取り巻く外界が壊れれば、いかに理想郷とて、ひとたまりもないだろう。だがそれはあり得ないので、心配する必要はない」

「所詮あなたの支配下にあるなら、理想郷の確立など無意味では?」

「いや……どのみち、あらゆる魂が神の域に達した時、それらの崇高なる光によって流転は終息の時を迎え、停止するようになっている。しかし自然停止によるものは転生期と安定期がない。ゆえに物質的なものはいっせいに滅んでしまう。残されるのは精神世界のみだ。それでもいいと言うなら異存はないが、違うだろう?」

「なるほど。だから、その前に確立しろとおっしゃるわけですね」

「そうだ」

「お断りします」

 きっぱり言ってのける帝人に、泰善は目を丸めた。帝人は畏れる気持ちを抑えて、泰善を見据えた。

「申し訳ありませんが、いくら界王の命令でも従えません」

「それは結構だが、理由を聞いてもいいか?」

「あなた様がいなくなるのでは意味がありません」

「俺は別にいなくなるわけじゃない。記憶からなくなるだけだ」

「それは死も同然です。誰にも知られることのない存在など、なきに等しい」

「シュウヤがいる」

 帝人はハッとした。泰善の目に迷いはなかった。

「あいつも同じことを言うが、俺の意志は変わらない。究極浄化を力の根源とする者が現れたということはすなわち、唯一の憂いである俺の孤独を埋める存在が現れたということ。つまりは理想郷を確立する準備が整えられたということだ」

「……なんと言っているんです? 彼は」

「今のまま、万物に慕われる存在であってほしい、と。だが俺はシュウヤさえいればいい。俺を愛する者はみな狂う。決して幸福にはなれない。しかし俺のためにだけ存在するシュウヤは違う」

 帝人は唖然とした。なにも言い返すことができなかった。鬱屈した想いが胸にわき上がるが、どう切り出せばいいのか分からなかった。

 だが今の話から、シュウヤの心情はくみ取れた。帝人にしてみれば意外だった。独占欲の強そうな男だと思っていたからだ。

 シュウヤは願っているのだ。この悲しい宿命を背負う男に世界が寄り添えたなら、それが真の幸福ではなかろうか。それこそが理想郷ではないのか。どうかそうであってほしい、と。

「界王」

 帝人は力なくその名を呼んだ。しかし紡いだ言葉には(しん)があった。

「たとえその時が訪れたとしても、私はあきらめません。必ず思い出します」

 泰善はやや呆れた顔で、皮肉げに口の端を上げた。

「やれるものならやってみろ」

「ええ、もちろん」

 泰善はそっぽを向いた。前世で出会ったことも忘れていたくせにと言いたげだが、黙って窓の外を見た。

 帝人もつられるように、視線を移した。暗い闇の中は吹雪いて、恐ろしげな音を立てている。魔の力が呼び寄せる季節と天候だ。

 魔力は、魔族が何らかの技を使う時に用いられるが、意のままに制御し、正しく利用するためには、やはり聖なる力と霊力の干渉が必要なのである。

「お許しはいただけるのでしょうか」

 帝人が尋ねると、泰善は、

「俺の許しなど必要ない。求めれば与えられる」

 と答えた。帝人は深く溜め息ついた。三種族が互いを必要とし、歩み寄れば、この状況は勝手に改善される。いちいち機嫌を伺わなくてもよい、というわけである。だが、

「神族の長に、界王がどう思おうと己が正しいと信じる道を進んでみてはどうかとおっしゃったそうではありませんか。しかし結果的には……」

「俺の言うことに素直に従い、失敗なく歩む道など何の意味がある。その身と心に、痛いと感じたことこそ魂に響くというのに」

 泰善は言い切って、背を向けた。

「おまえたちが過ちから気づきを得て立ち直り、真に神としての道を歩むことこそ、俺が期待するところだ」

「……それでは」

「別に怒ってなどいない。すべて予定通りだ。しかし連中にはそう思わせておいたほうが効果的だろう」

 吐き捨てつつ、再び暖炉に薪をくべる泰善の背を見て、帝人は脱力しながら頭を枕に落とした。本音を言うと、すっかり怒らせたのだと思って生きた心地もなかったのである。

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