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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第六章 立命
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05【ラズヴェルト】

 分裂の兆しは徐々にあらわれ始めた。それは地殻変動に似ている。方々の大地を巡り、大気に揺れていた力の根源と言われるエネルギーが、それぞれに分かれ、寄り固まりだしたのだ。

 魔力は北へ。霊力は東へ。聖なる力の根源は南へ。これに伴い、散らばっていた各種族も寄り始めた。己の力の根源が薄い土地では生きてゆけないからだ。


 その日。

 東と北の境界で、帝人と沙石は別れを告げた。沙石のかたわらには寅瞳と燈月がいる。寅瞳は力の根源の分散と収集によって神族だと判明し、燈月や沙石とともに東で暮らすことになったのだ。

「沙石を頼む」

 帝人は燈月と寅瞳に向けて言った。燈月は神妙にうなずき、寅瞳は目を潤ませた。

「また会えますよね」

「さて。界王次第だが」

「飛鳥様はきっと許してくださいますよ」

「だといいが。ともかく誠意を見せることだな。寅瞳殿も気を抜いてはならないぞ? おぬしに何かあっても機嫌を損ねられる」

 帝人に釘をさされ、寅瞳は苦笑いした。

「機嫌を損ねられてもおかしくない言動は、いままでもしていたじゃありませんか。それでもお怒りにはならなかったんですから、少々のことなら大丈夫ですよ」

 その言葉に帝人や燈月や沙石が、沈痛な面持ちでうつむいたのは言うまでもない。

「いやー。知らなかったとはいえ、散々ひでえこと言ったような気がする。オレ、核クビになるかも」

「だとしたら、私は称号も天位も喪失するな」

「我々にかぎらず、皆すでに上位天位者というだけで、偉そうな態度をとっていたと思うが。全員天位剥奪どころか天位制度そのものが廃止になる可能性も否めまい」

 三人はシンとなってうなだれた。

「まずいんじゃねえか? 今回怒ったのだって、そういうのが積もり積もって、とか」

「大丈夫ですよ!」

 寅瞳は拳をにぎって声を上げた。

「飛鳥様はそんなことを気にするような方ではありません! みなさまに仲良くなってもらいたいだけなんです!」

「んな力説されてもなあ」

「種族は違っても同じ天位者なんですから、きっと上手くやれますよ! 天位者が手をつなげば、ほかの天上人だって……」

 真剣な寅瞳を見て、沙石は不意に吹き出した。

「ガキじゃねえんだぜ? でも確かに、それが理想かな。界王はどうして、おまえを天上界の核に据えなかったんだろう。オレなんかより、よっぽど向いてんのに」

 寅瞳はハッとして、つらそうにうつむいた。

「私は……なにも救えませんでしたから」

「オレだってそうさ。なんにも救えなかった」

「でも沙石様には、帝人様がいらっしゃいます」

 寅瞳の小さな声に沙石は耳を傾け、眉根を寄せた。以前、帝人に言われたことが、ずっと胸にひっかかっていたのだ。寅瞳は一番の守り手と何かあったのではないか——という憶測である。

「おまえ、なにがあったんだ?」

 その問いに、寅瞳は震えた。唇は真一文字に結ばれたが、それは他ならぬ肯定でもある。沙石は、帝人の疑念が的中してしまったことを憂えた。

「言えよ」

 沙石は寅瞳に対して、らしくなく、強い口調で言った。

「ここに他人はいないだろ? 言っちまえよ。言って楽になれ。痛いことは分かち合わなきゃ、だろ?」

 寅瞳は顔を上げ、沙石の目を見つめた。そのエメラルドグリーンの瞳は確かに、どんな痛みでも受け止めてくれるだろう。そう信じられるくらい真摯に輝いている。だが寅瞳は唇を動かすことができなかった。どう言えばいいのか分からなかったのだ。

 核の最も近くに仕え、一番の守り手として誰よりも民を思いやらねばならないその人が、独占欲にかられ、醜い嫉妬で心をゆがめたあげく、犯してしまった過ちのことを……


 いっとき、静かな時が流れた。誰も声を発さず、ただじっと寅瞳の告白を待ったのだ。しかし寅瞳には語れなかった。すべて自分のせいだと、自身を追いつめていたからである。

 こんなふうに長いこと、かたくなに口を閉ざし、緊張で肩をこわばらせている寅瞳は、正直、はたから見ていて痛々しい。

 根負けしたのは沙石だった。

「もういいよ。そんなに言いたくねえなら、無理すんな。悪かったな。強引に言わせようとして」

 その言葉に寅瞳はまた、グサリときた。都合の悪いことは全部自分のせいにして、良しとしてしまえる沙石の強さが羨ましかったのだ。

 そこへ不意に、なんの前触れもなく現れたのが泰善である。どこからやって来たのか、かいもく見当つかないほど突然のことで、四人はギョッとして後ずさった。

「どわっ! なんだよ一体!」

 泰善は悠然と腕組みし、四人を順に眺めて、寅瞳で止めた。

「言うのを忘れていた。寅瞳、おまえは本当に何も悪くない。はじめに嘘をついたのは、ラズヴェルトなのだから」

 寅瞳と燈月は驚いて泰善を見上げた。

「嘘? あの男が?」

 燈月は相当の信頼を置いていたので、信じられないという顔である。泰善はそれを哀れむように見つめた。

「俺はラズヴェルトに、東主教として大主教を迎えに行けと命じたのだ」

 燈月は頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。

 名もなき渓谷。数十メートルの高さから落ちる滝……あの場に現れたラズヴェルトが自分に何と声をかけたのか。それは克明に記憶しているのだ。


〝万物の超越者、界王が築かれたこのグラン・シールに、唯一絶対神となる核がご降臨なされます。あなた様には是非、東を守る主教として転生していただきたいのでございます〟

 ラズヴェルトの願いを聞いて、燈月は尋ねた。

〝俺に主教になれと言う、おまえは大主教か〟

 ラズヴェルトは答えた。

〝左様で〟


 左様で——声が脳裏に響き渡り、燈月は絶句した。

「どこかで自白し、悔い改めるかと思っていたが、最後までそうすることはなかった。それこそ、グランスウォールがおまえのもとへ行きたいと言い出すまでな」

 真相を告げる泰善の声は、彼らの耳に淡々として聞こえた。衝撃がひどく、やや上の空で聞いたからかもしれない。

「グランスウォールは、おまえのそばにいるほうが安心できた。当然だ。本当はセリアス・ランドールこそ第一の守り手だったのだからな。だが知らされなかったがために、ラズヴェルトを差し置いてそう感じることは罪悪だと思っていた。それでも、理想郷をかなえようとする直前に思いあまって言ってしまったのだ。〝理想郷を確立したら、セリアスのもとへ身を寄せてもいいだろうか〟と。するとラズヴェルトは豹変した。まるで……」

 泰善は言いかけて、急に口をつぐんだ。まるでカーンデルのようだったと言いたかったのだが、彼はあまりに残忍だったため、ラズヴェルトと比較することをためらったのである。だが、たったひとつ犯した大罪は、カーンデルのしたこととなんら変わりなかった。

「……ラズヴェルトは怒り狂い、グランスウォールの首を絞めた。〝おまえさえ認めれば、それが本当になるのだ。私こそ大主教にふさわしいと言え。セリアスにこの地位は渡さぬ〟——そう言って、殺してしまったのだ」

 寅瞳は震えて耳を塞いだ。当時の恐怖が思い出されて、気を失いそうだった。

 それを支えたのは沙石の腕だ。かつての地で核を信頼し守っていた民が、ある日を境に魔物へと変化し襲って来た。その時のことを思い出して、つい力が入った。信じていた人間の裏切りと、殺意を向けられた時の恐怖は、彼の胸にもハッキリと刻み込まれているのである。

 しかしラズヴェルトには唯一、カーンデルや魔物と違う点がある。それはグランスウォールの遺体を前に、己の罪を悔いたことだ。彼とて、大主教ではなかったにしろ、核を守る中心的人物だったのだ。

「その後、ラズヴェルトは罪の意識にさいなまれ、自害した。そして俺に願い乞うた。魂を抹消してくれ、と」

 燈月と寅瞳は、また驚いて泰善を凝視した。

 泰善の瞳は、この世の哀れを映す鏡のように、悲しく煌めいていた。

「ラズヴェルトは言った。〝こんなにセリアスを憎んでいたとは知らなかった。あれほど大切に想ってきたグランスウォールを殺してしまうほど、憎んでいたとは〟……ラズヴェルトは憎しみに歪んだ己の心が許せなかったのだ。ゆえに存在することすら恥じ、懇願したのだ。まさにグラン・シールが辿った歴史、八十億年分の愁訴だったのだろう」

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