05【神族と魔族】
帝人らが旗を揚げたのは、燈月脱獄より十五日目のことである。このセンセーショナルな出来事に、神族や魔族の政権内部にいる者たちは頭を抱えた。
使族がそれほど悩まなかったのは、事前に知らされていたうえ、使族政権内の者がメンバーに加わっていないからだ。
「一番痛いのは神族だろうな」
そう言って皮肉げに笑ったのは季条間である。なにしろ代表に抜けられたのだ。その痛手は天位五の帝人を失った魔族の比ではない。
神族の代表代理を務めていた風門とそれを補佐していた泉房は、書状を受けて空呈の屋敷を訪れた。帝人や空呈と迎えに出てきた燈月を信じられないものでも見るような目つきで眺めたことは言うまでもないが、付属する沙石や寅瞳を見ても妙な顔をした。
ことに寅瞳に関しては疑問だらけだった。天位もなく、普通の子供にしか見えない彼の素性など、風門らにはまったく見当つかなかったのだ。
案内された応接間にて説明がなされても、二人はどこか腑に落ちない気分だった。
「なにもこんな少人数で改めて旗揚げせずとも、三種族の均衡は我々が目指すところだったはずではありませんか」
自分にだけ向けられる風門の質問に、燈月は暗い顔をした。
「神族として目指すのでは、どうしても他種族の反感を買う。政権から離れて別の視点に立つ必要がある。それに核の制度がこの世界にも生きている以上、やはり一政権下にこだわって活動しているわけにはいかない」
風門は向かいのソファに腰かけている沙石を見やった。
「その制度が確かだとして彼が神族なら、我々の保護下に置いても問題ないはずでは」
「沙石は確かに神族だが、核において種族の区別など無意味だ。しかも彼の守り手は帝人殿。ここに種族の隔たりを持ってくるわけにはいかん。それこそ神族が神族政権として活動することをやめ、帝人殿を快く迎えてくれるというなら、こちらも大歓迎だが」
風門はいったん隣にいる泉房と視線を合わせた。泉房は困った顔をして笑っている。風門は再び燈月へ向いた。
「我々だけでは判断できません。今のところ申し上げられるのは、どうしてもお戻りにならないとおっしゃるのであれば、こちらはこちら、そちらはそちらで……ということになります」
燈月は厳しい表情でゆっくりうなずいた。
風門と泉房が去った後やって来たのは、むろん魔族政権の幹部である。
由良葵虎里——彼もまた、やや困惑気味だ。応接間にて対峙する五名の中に帝人を見ても、まだ事態を飲み込めない気分でいた。
そんな顔つきの虎里を気遣い、帝人から口火を切った。
「悠崔様はお変わりありませんか」
虎里は少し睨むように帝人を見やった。
「……変わりないはずがなかろう。どういうつもりだ」
「申し訳ありませぬ」
「謝ればすむという問題ではないぞ」
「承知いたしております」
「おぬし!」
ただ淡々と受け流そうとする帝人を、虎里は思わず叱咤した。
界王への忠誠心が厚いのは周知のことだが、魔神・覇碕悠崔に対しても忠義を尽くしてきた帝人だ。なにが起こればその一切を捨ててこんな馬鹿げたことができるのかと、虎里は問わずにいられなかった。
「そんなに前世の仲間が大事か」
「大事です。沙石が死ねば天上界の崩壊は免れません。私は今度こそ、この世を理想郷へ導きたい。そのためには手段や形式など選んでいられないのです」
「だから三種族の均衡を目指すと言うのか? 本当にそれが理想郷へ繋がる道だというなら分かるが、なんの確証もないのだろう」
「むろん。しかし核を守るためには必要なことです。それは確かです」
虎里はきっぱりと言ってのける帝人を見据え、ついで燈月や空呈、沙石や寅瞳を睨んだ。寅瞳のところで視線が固定されてしまったのは、その主人について考えがおよんだからだ。
「飛鳥泰善にそそのかされたわけではないだろうな?」
「別にそんなんじゃねえけど協力はしてくれるみたいだぜ? 城にもいんだから、直接確認してみれば?」
沙石が言うのを、虎里は聞き咎めた。
「……にもいる? そういえば三位一体の技を使っているという話だったな。分身がいるのか」
「そうそう。こっちにいんのは精霊」
「なぜ同席していない」
「協力者だけど一員ってわけじゃねえし」
「どちらでも一緒だ。本体にも問いただすが、精霊の意見も聞きたい。呼べ」
***
虎里の強い口調に押され、泰明を呼び出しに行ったのは空呈である。彼もどちらかといえば単なる協力者なので、少し席をはずしても問題ないと判断したのだ。
泰明の部屋の前に立った空呈はドアをノックし、しばらく中からの返答を待った。するとノブが回って姿を現したのが泰明ではなかったので、驚いて一歩引いた。身の丈一九〇センチはゆうに越える亜麻色の髪と紺青色の目をした男だ。
「なっ!? 何者だ!」
とっさに尋ねたが男は応えず、ひたすら不機嫌そうな顔で空呈をジロジロ眺めた。その男の背に声がかかる。泰明の声だ。
「誰だ?」
「髪が青いやつ」
「ああ、空呈だな」
「くうてい……て、二位受け取らないやつ?」
「そうだ」
「はっ。いい根性してるよな。俺だったら跪いてもらうけど」
「おまえには零があるだろ? そんなことより用件を聞け」
「用件は?」
泰明と話をしながらも空呈から視線を外さないでいた男は問うた。表情や口調に警戒心や嫉妬の色が見られるのは、おそらく気のせいではない。それが天位に対するものか何なのかは不明だが、空呈は怯むわけにいかないと思った。
「その前に名乗れ」
「シュウヤ。で、用件は?」
「由良葵虎里が飛鳥泰善の精霊も同席しろと」
「……ふうん」
シュウヤはようやく目を背け、部屋の奥にいる泰明に言葉を投げた。
「話し合いに同席しろって。どうする?」
「おまえが興味あるならしてもいい」
「俺が興味あるのはオマエだけ。つか同伴前提ってなんだよ」
「今つらいんだ。横にいてくれ」
「もう請け負うなよ」
シュウヤは溜め息まじりに言いつつ、空呈に向いた。
「俺も一緒でいいなら行くけど?」
「申し訳ないが、部外者が立ち入れる場ではない。なんとか泰明だけで」
「おーい、部外者ダメだって!」
今度はおおげさに振り返って叫ぶと、ようやく泰明が姿を現した。
「痛みがピークに差しかかっている。コイツがそばにいないと立っていられない」
並ぶとシュウヤのほうがやや背が高いと分かる。泰明が一九四センチであるから、だいたい一九八センチくらいだろう。これほど背の高い男が二人そろうというのも珍しいと思ったが……空呈がそれ以前に気になったのは、シュウヤという男の身の上だった。
「無理しやがって。本体に戻るか泰真のところにでも行ってりゃいいのに」
シュウヤは言いながら泰明の肩を抱いた。背が高いと言うだけで特別取り立てるところのない男だが、泰明は嫌がる様子もなく身体を寄りかからせる。いかにも下心ありそうな相手に泰明がそこまで信頼を寄せるというのは、ひどく奇妙に見えた。そして、
「泰真には泰真の仕事がある。本体に戻ると目が維持できん」
「色くらい気にするなよ」
「気にするだろ。目立つ」
「黒でも充分目立ってるぜ」
親しい間柄でなければ通用しない会話に、空呈が入る余地はなかった。