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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第五章 交渉
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03【飛鳥泰明】その壱

 刹那、深閑とした空気が漂った。

「狂う……だと?」

 思ってもみない言葉に季条が眉をひそめる。ハッタリだろうと言いたげに視線を向けるが、どうもそんな様子ではない。

 泰明は沈痛な面持ちで目を伏せた。

「旧天上界やグランシールのほかにも、サルビアという世界があった。そこには初めて一位を得た人物がいた」

 衝撃的な告白に、みな瞬きも忘れるほど驚愕した。

「おぬしは、その世界に生きたのか」

 帝人が尋ねると、泰明は苦笑した。

「まあ、そう思ってくれて構わない。いたのは事実だ」

「それで、その者はどうなった」

 季条が先を急かす。

 泰明は笑みをかき消し、淡々と述べた。

「狂った。すべての民を虐殺し、核をも殺し、木も花も草も根絶やしにして、川や山を破壊した」

「まさか、そんな……信じられん」

 燈月が言い、

「なぜそんなことに」

 と帝人が問い詰めると、泰明は苦々しい表情で吐き捨てた。

「俺の目を自分以外のものに向けさせないためだ」

「な、なんだと?」

「美しい世界だった。それこそ理想郷になることを約束されたような場所だった。人々は争うことを知らず、自然は豊かで、なにもかもが穏やかで満たされていた。カーンデルも……一位を得た男も、実直で信頼のおける人間だった。ところが俺と出会ったとたんに豹変した」

「おいおい」

 沙石が「どうしょうもねえな」というように言って脱力し、なんとなく腰を浮かせていた姿勢から、ソファの上へ落ちた。

「それって一位を得たから狂ったんじゃなくて、ただ単にテメエに狂ったんじゃねえか」

「同じことだ。一位を得ればなんでも手に入るという発想が、おまえ達にだってあるだろう。奴も一位の力で俺を手に入れようとした。そんなことが叶うはずもないのにな」

 泰明は言って季条に視線を戻した。季条はその意味を悟って真っ青になった。

「で、そいつ、どうなったんだ?」

 沙石が投げかけると、泰明は軽く首を横にふった。

「知らないほうがいい。だが肝に銘じておけ。一位を得ても万人の心までは動かせない。一世界の理を変えることができるというだけで、それ以上のことはないのだ」


***


 以前、帝人は泰善に向かって「自分の容姿に責任を持て」と怒鳴ったことがある。泰善はひどく傷ついた顔をしていたが、「そこに繋がっていたのか」と帝人は一人納得した。

 自分の美貌に魅せられて狂った男が一位の力を利用して世界を壊して回ったのでは、トラウマになって当たり前だ。

「天位を欲しがらない訳……とでもいうやつなのか」

 各自解散したあとの自室で帝人が呟くと、なんとなく一緒にいた沙石が「けっ」と言って舌打ちした。

「あんな野郎に天位があったら、この世はもうメチャクチャだぜ」

「一理あるな」

「とにかく、天位一位ってのがどんなもんか知ってる奴がいたっていうのは、すげえな。やっぱ急に欲にかられるほど強烈な力なんだろうな」

「そうだな」

「どうりでオレたちの話、アッサリ信じたはずだぜ。おかしいと思ったんだ」

「……ああ。私たちと同じように世界が閉じられる瞬間を体験したのなら、いろいろ思うところもあるだろう」

「いやあ、オレたち以上にあるんじゃねえ? だって理想郷の確立目前で崩壊したんだろ?」

 帝人は沙石の言葉には応えず、無言で紅茶を飲んだ。おおかた今の推測で合っていると思っているのだが、どこか腑に落ちない気分だった。

(泰明がカーンデル、と呼んだ男。一位を得るとは相当なことだ。界王が資格者を見誤るとは考えられない。それを狂わせたほどの美貌というのは考えものだ。だが飛鳥泰善は転生した。界王は、一位の神を狂わせるような存在をなぜ転生させたのだ。同じ過ちが起こらぬとはかぎらないのに)


***


 季条間は血の気をなくした様子で宮殿へ引き上げて行った。彼女がこの先なにを思ってどう行動するのか興味深いところだと燈月が話すのに、空呈がうなずく。その二人を寅瞳は黙って見ていた。意外なことに、帝人と似たような感想を抱いていたのだ。

(一位の神を狂わせるほどの人をこの世に降ろしたのは、きっとそれ以上に大切な役割があるからですよね。……もしかして)

 寅瞳はうつむき、膝の上で拳を握った。過去に癒された傷のことを考えていた。やはりどう考えても医学的な技術だけで跡形もなく消すことはできない。一度はそれで了解したものの、どうも違う気がしてならない——と。

(もし飛鳥様が核を治癒できる能力の持ち主だったら、界王様が転生させることをご決断なされても不思議じゃありませんよね)

 寅瞳は思い至って、すっくと立ち上がった。燈月と空呈の視線が注がれた。

「どうした?」

 燈月に尋ねられ、寅瞳はうなずいた。

「ちょっと確かめたいことが。泰明様に逢って来ます」

「俺も行こうか」

「いえ、一人で」


 というわけで、寅瞳は泰明の部屋を訪ねた。いつも見ていた泰善の面影がそのままあると感じるのは、穏やかな笑顔のせいだ。前髪を上げて後ろへ流せば、きっとそっくりだろう。

 寅瞳はイスを勧められるがまま座り、茶をうながされるまま飲んだ。

「で? なにを聞きたいんだ」

「う……えっと、あの、飛鳥様はもしかして、治癒能力をお持ちなのではないでしょうか」

「それが?」

 寅瞳は目を丸めた。あんまり素直に肯定されたからだ。

「否定なさらないんですね」

「否定する意味はない」

「その能力、核にも有効なんですよね?」

「ああ」

 やっぱり、と寅瞳は胸の中で呟いた。と同時に締めつけられるような想いがした。

 治癒能力は相手の痛みを請け負うというリスクを負って初めて発動する力である。つまり泰善は、寅瞳の傷を治す代わりに、傷本来が持っていた「痛み」を請け負わなければならなかったはずだ。

 請け負った痛みは「朱の紋様」と呼ばれる模様となって皮膚に現れる。蔦が這うような、花が咲くような、そんな模様だ。見た目は美しいのだが、色が鮮やかで濃いほど「痛み」は深刻である。

 生死をさまようほどの傷だったのだ。その痛みを、寅瞳は忘れたことがない。

 寅瞳の目にじわりと涙が浮かんだ。

「すみません」

 肩に力を入れ、落涙しながら謝る。当時を振り返っても、何事もなかったように涼しい顔をしていた泰善しか思い出せない。だが実際には朱の紋様が刻まれていたのだと思うと、寅瞳は恐ろしい気分だった。

 そんな寅瞳に、泰明は笑いかけた。

「心配するな。俺はおまえたち核が負うほどのダメージは受けない」

「でも……!」

「請け負うと決めたのは俺だ。少しもすまないことはない。おまえだって誰かの痛みを請け負ったあと謝られたら困るだろう」

「そ、それは……そうですけど」

 蚊の鳴くような声で呟き、寅瞳は涙をふいた。そしてふと、なにげに泰明の手の甲を見てギョッとした。

 袖口で大袈裟にひらひらしているレースの隙間から、わずかに見える手の甲に、ほかでもない朱の紋様がくっきりと浮かび上がっていたからだ。

「あ、飛鳥様……、それ!」

 寅瞳が青ざめた様子で声をあげるので、泰明は視線を追って自分の手の甲に行き着くと、やや苦笑いした。

「見なかったことにしておけ」

「そんなことできませんよ! どうしたんですか、それ!」

 寅瞳の痛みを請け負ったのは何十年も前であるから、とっくに消化しているはずだ。するとそれは別の誰かの痛みを請け負ったものだろう。核以外の者に対しても惜しみなく治癒していると考えると大変だ、と寅瞳は思った。請け負い過ぎは命を脅かすことにもなるからだ。

 泰明はバツが悪そうに手元を隠しながら、皮肉げに口の端を上げた。

「俺は死なないから大丈夫だ」

「なに言ってるんですか! どのくらい請け負ってるんです!? 見せてください!」

「え?」

 寅瞳はイスを離れてズカズカと歩み寄り、泰明の腕をつかんで袖を引き上げようとした。

「やめろ、バカ!」

 泰明は怒鳴りつつも、無理に突き放そうとはしなかった。体格差だけでもかなりある。乱暴に扱えば寅瞳にケガをさせてしまうかもしれないと思うと、強く抵抗できなかった。

 だが腕にはおびただしいほど朱の紋様が広がっており、色合いからして、もうすぐ骨まで達するのではないかという勢いだ。人に見せられる代物ではない。泰明はしかたなく微妙に手加減しながら腕を引き、寅瞳の手を逃れようとした。その時。

「寅瞳!」

 と言って部屋に飛び込んで来た輩がいた。

 燈月、沙石、帝人、空呈である。泰明につかみかかっていた寅瞳も、つかみかかられていた泰明も唖然としたが、飛び込んだ四人も唖然とした。

「……あれ? 寅瞳のほうが襲ってる」

 沙石が呆然と呟き、

「いや、その表現はまずいだろ。単なる言い争いの延長だろうし」

 と帝人が突っ込み、

「寅瞳につかみかかられるようなことを言ったのなら相当だ。事と次第によっては許されん」

 と燈月が唸り、前髪が乱れて目元があらわになっている泰明が異様に色っぽいと思った空呈が溜め息ついた。

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