02【季条間】
「魔剣を譲渡するという契約は有効なので、俺は城へ戻る」
泰善はそう言ってアッサリ引き上げた。引き続き応接間に居残っている五名は、互いの顔を見て溜め息ついた。
「結局、季条間は誰が説得しに行くんだよ」
沙石が言うと、帝人が腕組みした。
「とりあえず書状を出して、あちらから赴いていただき、全員でしよう」
「え? こっちから行かないのか?」
「全員で行くにしても、この人数で敵陣に入るのはまずい。呼ぶのが一番だ」
「来るか?」
「そこは彼女のプライドの高さを利用するのだ」
***
季条は空呈の所有する屋敷の前に、お忍び用の馬車を静かに停めた。伴はない。たった一人で堂々と現れたのだ。
なめているのかどうか定かではないが、拘束される危険性を考えれば相当な勇気である。数人の伴を連れて来るのが当然と思っていた燈月らは、やや度肝を抜かれた。
地につきそうなほど長いポニーテールの女は、うら若い顔をキリッとさせて威風堂々と立っている。かわいらしい乙女の姿とは裏腹に、さすが初の天位者であると認めざるを得ない風格があった。
「オレ、なんか自信ないなー」
沙石が寅瞳に耳打ちすると、寅瞳はコクコクとうなずいた。
「お待ちしておりました」
粗相のないように、三人の大人と二人の子供は季条を丁寧に迎えた。季条は満足げに玄関へと足を運んだ。その際、空呈の顔を見てこう言った。
「書状に添えてあった茶葉と菓子は非常に美味だった。おぬしの計らいか?」
「ええ、まあ」
「だろうな。無骨な男では考えつかぬことゆえ」
季条は軽く口の端を上げ、冷たい視線を燈月と帝人に向けた。燈月は反応しなかったが、帝人はわずかに顔をそむけて聞こえぬ程度に舌打ちした。
空呈はそんな帝人から季条の意識をそらそうと、慌ててエスコートした。
「どうぞ中へ。応接間にご案内いたします」
応接間にも当然のように美しい茶器と高級な茶葉と菓子が用意してあった。といって彼女はそれを目当てにやって来たのではない。ここに呼ばれた理由は書状にもしたためてある通り、三種族の均衡へ向けて旗揚げ宣言をするという五人の男の話を聞くためだ。
通常ならそんな話は丸めてドブに捨てるところだ。季条はあくまで使族優位の世界を築きたいと考えている。しかし、彼らは季条を重要人物の中から最も重要であるとし、最初の交渉相手として選んだ。それも〝旗揚げ前に〟である。
これで気を良くしないわけにはいかない。さしもの彼女も「自分の価値を知っている者どもなら無下に扱うのも可哀想だ。話くらいは聞いてやろう」という大きな気持ちになった。
応接間では、泰善と話をした時とまったく同じような体勢となった。相手が泰善から季条に変わっただけである。
だが何も訝らなかった泰善と違い、季条は眉をひそめた。
ソファに座っているのは子供二人。一人は見たことはないが三位だ。しかしもう一人は無天位者である。季条の常識では、イスにかけるのは三位の燈月とその子であり、どうにか帝人までが腰かけても、空呈と無天位者の子は起立すべきだった。
「……はじめに聞いてもよいか」
さっそく疑問をぶつけようと季条が口を開くと、帝人が止めた。
「貴殿の考えていることはなんとなく分かる。ここではあえて聞かないでくれ。これから話すことと関係あるのだ」
帝人に却下されたので、季条は少々むっとした。だが話に興味を持ったので抑えた。
「いいだろう。話してみるがよい」
語り手は燈月だ。季条に聞く耳を持たせるためには、やはり燈月が適任であると判断されたのだ。むろんお膳立てがなければ燈月の話を聞くようなタマではない。そのお膳立ては、こうしてやって来たことが成功した証だというわけで、しぶしぶ引き受けたのである。
燈月は心持ち緊張しながら、前世のことや核の摂理を詳細に説明した。
「現世でも沙石は天上界の核だ。だからといって神族を優位に立たせようと考えているのではない。沙石はあくまでも核として守られなければならず、そこに種族は関係しないということが言いたいのだ」
「だから三種族が一体となって、その小僧を守れと言うのか?」
「簡単に言えばそうだ」
「作り話ではないだろうな?」
「信じられないならそれでいい。だが、たいてい核に何かあると界王が世界を閉じてしまうということは、念頭に置いておくべきだ」
季条は深い溜め息をついて、手の平で額を押さえた。
「頭の痛い話だな」
「貴殿が賛同してくれれば、多くの者がついてくると思うのだが」
「ふん。おだてても乗らぬぞ。実際にその小僧が傷つき世界に異変が起これば誰も信じざるを得なくなるだろうが、そうならぬかぎりは眉唾物だ」
燈月らは黙した。確かに季条の言う通りである。しかしだからといって沙石を傷つけるわけにはいかない。
「妙なことは考えずに、おぬしらがひっそりと守ればよいではないか。政界から退くのも手だぞ?」
季条がなにやら嘲笑をまじえて、そのようなことを言った。が、
「核というのは皆で守らねば意味がない」
と帝人が否定した。これに反応したのは季条ではなく、寅瞳だった。
帝人の発言は真実だ。真実であるだけに、寅瞳は傷ついた。過去の過ちは、それをないがしろにした人物によって起きたからだ。
真っ青になっている寅瞳に、沙石が声をかけた。
「おい、大丈夫か? 気分悪いなら横になってろよ」
「だ、大丈夫です。すみません」
「とにかく話は聞いた。私はこれで失礼する」
季条は不意に、有無を言わせぬ勢いで立ち上がった。燈月が慌てた。
「季条殿、考えてくれないか。我々がその気になれば三種族がまとまるのはたやすい。均衡も保てるようになる。世の混乱も治まるのだ。それこそが神の本分だと思わないか」
「一位を先達することこそ本分だ」
にべもなく季条は答える。核の摂理も大切だが、天位制度も理解している燈月らが反論することはできなかった。
季条はツンとすまして、応接間のドアノブに手を伸ばした。その扉を彼女が押し開けるのが先か、向こうから引かれるのが先か……ほぼ同時だろう。
手応えなく開いた扉に驚き、季条は前へ倒れそうになった。それを支えたのは力強い男の腕と胸だった。
「おっと、失礼」
声にドキッとして季条が顔を上げると、さらに心臓が飛び上がるような驚くべき美貌が目に飛び込んで来て、ヒッと息をのんだ。
漆黒の髪、輝く闇色の瞳。その男は、とうてい隠しきれる美しさではないのに、少し長めの前髪で目元を隠しているようだった。
ほかが完璧に美しいのだから、目元を目立たなくしても同じこと。否、かえって皆よく見ようとしてしまうだろうにと思いつつ、季条は瞬く間に魅了され、惚けた眼差しで見上げた。
「お……おぬしは?」
「飛鳥泰善の精霊、飛鳥泰明だ」
燈月と帝人、沙石と寅瞳が互いの顔を見、空呈が目を大きく見開き、季条が目元をしかめた。
「精霊……? まさか飛鳥泰善は、三位一体の術を?」
「知らなかったのか?」
と言ったのは帝人だ。季条は忌々しそうに舌打ちした。
帝人は別に優越感から言ったわけではないが、季条には癪だった。なによりも、前に逢った息子だと名乗る人物が分身だと分かってショックだった。
「なんの用だ?」
帝人は泰善の精霊だという泰明に向かって尋ねた。
泰明は帝人を見て、「ずいぶん様子が変わったな」という感想をいだいた。帝人は泰明を覚えていないが、泰明は帝人を覚えている。正確にはキール・マークレイを覚えている。顔は前世のままだ。しかし髪でもスッキリ切っていればそうでもないのだが、色も違ううえに顔半分以上隠れていると、やはり変わったように感じた。
そして帝人がそうしている理由は、泰明が少し目にかかるくらい前髪を伸ばしているのと大差ない。泰明は勝手に妙な親近感をわかせて、少し笑みを浮かべた。その笑みが、応接間にいる全員の心を鷲掴みにしたことなど、本人は知る由もない。
「本体は契約があるので魔族の城に残ると言うから、俺がこちらへ来ることにした。そんなに手を貸せることはないと思うが、何かあれば言ってくれ」
「お、おぬしはこの者らと手を結ぶと言うのか!?」
季条は思わず声を荒げた。魔神と契約したり、こんな立ち上げられたばかりの弱小集団に肩入れしたり。彼女にとっては気に入らないことばかりだ。
(三位一体の術を使っているのなら、一人くらい私のもとにいてくれても良いではないか)
ワガママでしかないことを季条は本気で想った。泰明はやや困ったように視線をさまよわせた。
「理想を求めているのは神だけじゃない。もちろん俺にも求める世界がある。その思想にそった者たちにつくのは当然だ」
「ほお? では私の思想は全否定するというわけか」
「使族を世の指導者として定め優位に立ちたいというのは、思想ではなく欲だ。それでも、うまくやれば世の中は成り立つかもしれない。しかし人々の不満は必ず残る。それは理想郷じゃない」
「人々に不満を与えず支配する自信はある」
「下々まで監視できるほど暇ではないだろう。あちこちで小競り合いがあるたびに出て行って、彼らを平等に扱い、なだめることができるのか?」
「監視員を置けばよい」
「ではその監視員を公平な立場で仲裁に入れるような者に育て上げられるのか」
「そのように努めればよい。おぬしの言うことをいちいち気にしていては、それこそ世の中が回らぬ」
「三種族が均衡を保てばその努めもいらなくなる。種族に優劣がなければ、いかなる場面も公平となる」
季条は唸った。もっともな意見に反論の余地はないように思えたからだ。
しかしふと、口元に勝利を確信した笑みを浮かべた。
「それは今の世にしか通用せぬ夢物語だ。たとえ実現したところで、いつまた壊れるか分からぬ危ういものだ。だが一位さえ得ればいかようにもなる。知らぬのか? 天位一位はどのような世界も理想郷に変える力があるのだ」
すると泰明は硬い表情で応えた。
「もらった奴が狂わなければな」