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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第五章 交渉
29/108

01【飛鳥泰善】

「屋敷は提供します。資金も援助します。しかし参戦は致しかねます」

 空呈がそんなことを言って来たのは、翌晩のことだった。

「屋敷と資金の面倒みたら一緒じゃねえの?」

 沙石が半分あきれ返ってこぼした台詞に、燈月も帝人も寅瞳も同意見だった。

「もう片足突っ込んでんだから腹くくれよ」

「勘弁してください。使族には弟がいるんです。彼の立場を思うと、やはり簡単ではありません。あなた方が季条間様を説得できれば話は別ですが」

 空呈はチラリと燈月や帝人を見やった。一番ネックになることを言われた二人は渋い顔で唸った。それを沙石がキョトンと見上げた。

「季条間って、そんなにむずかしい性格なのか?」

 燈月と帝人はそろって溜め息ついた。

「大変にむずかしい。天上界で初めて天位を得、三位を得た神だ。そういう事柄を踏まえても一筋縄ではいかん」

 腕を組みつつ燈月が言うのを、沙石は小首をかしげて聞いた。

「え、天位って何を基準に与えられてんだっけ?」

「……知らん。そんなことは界王に聞け」

「聞けるかよ」

 その横で帝人が改めて空呈を見据える。

「それこそ、おぬしが天位を受け取って説得してくれると助かるのだが」

「私の言うことなど聞くでしょうか」

「季条間は相手が上位天位者でなければ聞く耳も持たぬ。どうにか本腰で聞くのが五位以上。二位なら嫌でも聞くだろう」

 空呈はウンザリした様子で帝人を眺めた。

 確か帝人は季条間とあまり相性が良くないという噂を聞いたことがある。どこがどうというのではないのだろうが、馬が合わないのだろう、と。

「同じ三位の燈月殿ではどうです?」

 空呈が提案すると、燈月は即座に首を横に振った。

「俺の話を聞くような相手なら、とっくに話している。前にも言っただろう。俺では無理だ」

 こんな会話に身を細らせたのは寅瞳だ。

「すみません」

 つい小さな声で謝る。それに気づいた燈月が眉をひそめた。

「どうした?」

 寅瞳は肩をビクリと揺らして、泣きそうな顔をした。

「わ、私は天位どころか鳳凰にすら会ったことがありません。もちろん核を放棄したのも同然の私に与えられるとは思っていませんが、それがないというだけで、こんなにも皆様のお役に立てないのかと思うと……本当に申し訳なくて」

 訳を聞いた燈月は動揺し、帝人は眉根を寄せた。核を務めたというだけで存在を尊いとしていたし、それで充分だと思っていたのが、当人は違ったのだと知って返す言葉がなかった。

 沙石はそばに寄って、肩を叩いた。

「まあ気にすんな。そのうちもらえるさ。いまはちょっと、あれだ。休息の時ってやつだ」

 しかし似たような立場にありながら三位を受けている沙石が言っても、説得力はなかったようだ。寅瞳は余計にうなだれた。

「きっと界王様はお怒りになっていらっしゃるんですよ」

「え? なんで?」

「私の生き方にも問題はありますが、飛鳥様の付人であることも要因のひとつだと思います」

「あいつ?」

「飛鳥様はなんというか、天位制度に対して少し否定的なんです」

「うわお! 度胸あんな」

「そんな人に仕えていることが気に入らないのだとしたら、私は永遠に天位をもらうことはできません」

「やめりゃあいいじゃん」

「命の恩人です。裏切れません」

 沙石はくしゃくしゃと髪をかきわけた。

「めくどくせーなあ。じゃあ飛鳥泰善を説教するか?」

「……季条様以上に人の話を聞きそうもないですが」

 ここで二人の会話をさえぎるように、空呈が手を叩いた。

「面白そうですね。その話は乗らせてください」

「は?」

 沙石と寅瞳は口をポカンと開けた。

「あの飛鳥泰善に説教を聞かせられたら、季条間様も大丈夫ですよ」

「おいおいおいおい! アイツそんなに頑固なのかよ! 先が思いやられるなあ!」


***


 このように間の悪い時に屋敷を訪れた運の悪い男がいる。飛鳥泰善だ。

 彼は、沙石と寅瞳が腰かけている長椅子の真向かいにあるソファへ座った。子供らがいる長椅子の後ろには、燈月、帝人、空呈が並び立っている。

「それでどうなった?」

 少し考えれば異様な形での対面であることに気づくはずだが、泰善はたいして訝る様子もなく尋ねた。これからの活動について報告を受けるものだとばかり思っていたからだ。ところが沙石の口を突いて出たのは、泰善にとって最も触れてほしくないところだった。

「核の摂理については帝人から説明受けたよなあ?」

「ああ」

「寅瞳はさー、それを務めたんだよ」

「ああ」

「それなのに天位を得てねえっつーのは、なんでだと思う?」

 泰善は思いきり、しかめ面をした。

「どうして俺に聞く」

「原因に心当たりがないとは言わせないぜ」

 沙石の強気な態度に、泰善はスッと射るような眼差しを向けた。

「応える義務はない」

「寅瞳は苦しんでるんだぜ? 保護者なんだろ? 責任取れよ」

 泰善は寅瞳に視線を移した。寅瞳は目を合わせずにうつむいた。

「そんなに肩身がせまいか」

 率直な問いに、寅瞳は堅苦しくうなずいた。

「もちろん、飛鳥様ばかりのせいではありません。それはよく分かっています。いくら飛鳥様が考え方を改められましても、私に資格がなくてはどうしようもありませんから」

「だーかーら! おまえにはあるって! ねえわけねえじゃん!」

 弱気な寅瞳を沙石が叱咤する。だが寅瞳はますます弱気になった。

「あることを証明するのがむずかしいんですよ、私は」

「なんで! 核を務めたんだぞ! ここへ降りる前だって神界で暮らしてたんだ! 絶対あるって!」

「沙石様は私の事情をご存じないからそうおっしゃるんです」

「なんだよ事情って」

 寅瞳は肩をすぼめた。

「それは……言えません」

 その向かいで泰善が盛大な溜め息をついた。

「沙石。おまえも天位者なら分かるだろう。天位には大きな責任がともなう。寅瞳がこんな状態で負えると思うのか?」

「なんだよ偉そうに。天位者でもないやつに言われたかあないね」

「俺は寅瞳に負担をかけたくないだけだ」

「だからって寅瞳が天位者になるのを妨げるのか? そんな権利おまえにあんのかよ。自分の付人が天位者になったら立場が逆転して格好つかねえから言ってるだけなんじゃねえの?」

 かなり辛辣なことを言った沙石を誰も咎めなかった。案外、的を射ているかもしれないと思ったからだ。そこには寅瞳も含まれる。飛鳥泰善のことを恩人として尊敬していても、心根まで見透かすことができるわけではない。沙石の指摘が絶対に違っていると言い切れない悲しさがあった。

 しかし、沙石の繰り出した言葉の槍にどう対抗するのかと、みなが固唾をのんで泰善を見れば、彼は激昂するわけでも悔しそうに押し黙るわけでもなく、ただ無表情に沙石を見据えた。

「なんと言われようと俺は考えを変えるつもりはない」

 淡々と言ってのける様は清々しいほど太々しい。こいつは完璧な美貌だけでなく鉄壁の精神まで備えているのかと、沙石が呆気にとられる始末だ。

「寅瞳の気持ちを無視すんのか?」

「寅瞳はおまえたちの役に立ちたいと思っているだけで、なにひとつ自分のことは考えていない。俺はそれが気に食わない。寅瞳が自分のために天位が欲しいと言うなら話は別だが、そうじゃないだろう」

 負けたのは沙石だった。本当に寅瞳のことを考えているのは、やはり泰善のほうだったのだ。沙石はぐっと押し黙り、膝の上で拳を握った。

 全員が「これは完敗だ」と思った矢先、空呈が言った。

「泰善。その調子で季条様を説得してみてはどうかな?」

 泰善は視線を上げて空呈を見やり、足を組むと同時に背もたれに上腕をかけて頬杖ついた。

「俺の仕事じゃない」

 様子があまりに美しいので、空呈は目のやり場に困りながら食い下がった。

「聞き捨てならないな。三種族の均衡を誰よりも望んでいるような口ぶりで協力を頼んだのは、そちらが先じゃないか」

「おまえがいつまでも天位を受け取らないのが悪いんだ。こういうことにでも巻き込まなきゃ一生受け取らない気だろう。そろそろ受け取ったらどうだ」

 意外な言葉に空呈ばかりか皆が目を丸めた。

「天位制度否定派ではないのか?」

 帝人が首をかしげると、泰善は怪訝そうな顔をした。

「誰がそんなことを言った?」

「すす、すみません! 私が……」

 寅瞳が申し訳なさそうに挙手した。

「だって飛鳥様はいつも、天位なんて責任ばかり重くていいことはひとつもないっておっしゃっていますでしょう?」

「それは本当のことだろう。だからといって否定しているわけじゃないぞ?」

「ええー! そうなんですか!?」

 どうやら誤解があったようだと、燈月らは「やれやれ」と肩をすくめつつ呆れた。

 寅瞳は脱力し、やや目を泳がせ戸惑った。

「じゃあやっぱり、資格がないから天位を与えられないんでしょうか」

「なんでそこに戻るんだ」

 と突っ込んだのは泰善である。

「いいかげんにしろ」

「だって、私は真剣に悩んでるんですよ! 飛鳥様のお気持ちは有り難いですけど、やっぱり皆様のお役に立てないのはつらいんです」

「たまには頼りきりでも構わんだろう」

「そうはいきませんよ!」

「寅瞳!」

 泰善が珍しく声を上げたので、寅瞳は驚いて目を見開いた。だが泰善はいつものように優しい眼差しを向けていた。

「天位ばかりがすべてじゃないと教えてきたはずだ。たとえ外せない時が来たとしても、それは今じゃない。おまえがすべきは自分のことだ。過去の傷を癒せ。それが先だ」

 泰善をじっと見つめていた寅瞳の目が潤んだ。

 過去の傷——泰善が言うのは孤児院でのことだろうかと寅瞳は思った。だが見当は違えども焦点は合っている。

 グランシールで負った傷を癒せる時が来るだろうか。その傷を治していいものだろうか。

 寅瞳はそんな不安でいっぱいだった。しかし不思議と、泰善の言葉が身にしみた。目の前の美丈夫が許すなら、すべての者が許してくれるような気がした。そう……界王さえも。

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