05【キール・マークレイ】その参
キールが絶対神の側近となり、三年が経ったころのことだ。城周辺の道を乗馬していると、不意な話題が持ち上がった。
「巡業?」
キールは思わず聞きただした。巡業といえば、一日二日城を空けるという簡単なものではないはずだ。核たる身分の者がそんなことをして大丈夫なのかと、驚いたのだ。
しかし問われたサンドライトはあっけらかんとしていた。
「五年に一回、全国十箇所、抽選で当たったところに訪問するんだ。もちろん五年前のところは除外で抽選すんだけど」
「では、しばらく戻ってこないのか」
「うん。まあ半分旅行みたいなもんだから、気楽に行こうぜ」
「え? 私も行くのか?」
「なんのために側近なったと思ってんの?」
「おまえの剣の腕に一小隊がつけば、私などいらないだろう」
「なに言ってんだよ。巡業に出るのはオレとおまえの二人だけだっつーの」
キールは目を丸めた。
「なにっ! 正気か!」
「正気も正気。おまえは一人で一大隊の戦力あるから、もう大助かり」
「経費削減?」
「お、当たり。頼りにしてるぜ!」
しかし、二日後の抽選で決まった訪問先リストに目を通すと、キールは憂鬱になった。サンドライトと過ごすうちに明るくなっていた心に翳りが差し、過去に置いてきた憎しみがよみがえった。
リストの最後から二番目の場所——アンダーコート。
今なら殺れる。
そんな自信とともに、サンドライトと生きるという将来への未練がよぎった。
復讐すれば恨みは晴らせる。だが地位は失うだろう。否、どのみちアンダーコートへ行けば、透視能力者であると暴露されてしまうのだ。どうせ失う地位なら、いっそ村人全員の息の根を止めてやるがいい……
キールは積年の想いに目を向けた。核に仕えるため精神修行を積み、人の心を見ることに嫌悪しなくなっていたが、アンダーコートは別だった。貧困によるストレスがあったにせよ、人ならざる力に怯えていたにせよ、キールから見て彼らは百パーセント悪でしかない。それを許せるほどには達観していないのだ。
ゆえに決意した。七箇所目まではサンドライトにしたがうが、そこから先は共に歩いて行けないことを打ち明けよう、と。
こうして巡業の旅が始まった。グロウワームから東向きに出発し、順に近いところから訪問する。北や南にジグザクの線を描いての経路だ。最終的にグロウワームへ帰還するのは西からとなり、およそ二年後となる。
長い旅だが所持金は少なく、荷物は着替え二〜三枚と武器と二頭の馬のみだ。核には宿も食事も無料で提供されるからだ。
「なるほど」
キールが呟くのを、サンドライトは耳ざとく聞きつけ声をかけた。
「なにが?」
「いやなに。おまえがお伴を一人にしたのは、こちらの経費を削るというよりは、迎える側への配慮だったのだな。宿も食事もタダで提供するとなると大変だ」
「ちぇっ。そんなことか」
「そんなこととはなんだ」
「もっと面白いことかと思ったから」
「……私に面白いことを期待するな」
こんな調子ではあるが、旅路は軽快だった。誰もが気さくに声をかけ、サンドライトも慣れ親しんだ様子で応える。世界中の民が友達と言ってもよいのではないかと疑うほど、サンドライトには順応性と社交性があり、協調性とカリスマがあった。
通りがかりの川で釣りを楽しむ者たちがいれば交わって釣りをし、立ち往生している馬車に遭遇すれば手助けとなり、遊んでいる子供に出会えば、しばし遊び、一人暮らしの老人宅に泊まれば、家の修繕などを請け負った。
一方で山賊などの悪漢に出くわせば、一網打尽に駆逐してしまう。
サンドライトは見た目十八〜九と若いのに加えて、誰もが一度は目を見張る美青年だ。そのうえ王子であるから、多くの従者に囲まれて民とは接触を持たず、蝶よ花よと育てられていそうな雰囲気だ。が、中身は驚くほど真反対である。おおよそ、どのような過酷な環境にあっても生きて行けるほど雄々しく、ひとなつっこいのだ。
まさに核になるために生まれて来たような男だとキールは感心した。しかし弱い部分もあった。
〝もし核でも王子でもなかったら、誰か自分を愛してくれたんだろうか〟
という立場的に抱きやすい疑問。考えても詮無いことなのでサンドライトは決して口にしなかったが、キールはそのたびに「いっそ口にしてしまえばいいのだ」と思った。言えば笑い飛ばしてやるのに、と。
サンドライトは核であろうとなかろうと誰しもに愛される魂を持っている。民らが向ける尊敬と羨望は、親しみや愛情と同格なのだ。
それが証拠に民らは過度な加護を求めていない。ただサンドライトが健康で心穏やかに生きていてくれることだけを望んでいる。それも決して理想郷のためではなかった。
のちに彼らが獣と化してサンドライトを襲い、その心を深く傷つけてしまうことなど、誰が予測できただろうか。
渓谷の景色が雄大なイーストバリーにさしかかった。訪問先は五箇所を越えて、月日も一年経った。旅もあと半分。だがキールは、己にとっては終盤の旅であることを思い、胸が張り裂けそうだった。
あと二箇所訪れた先でサンドライトとも決別する。仇を討ち、みずからの命も絶つ、と覚悟を決めているのだ。
サンドライトの側近として名が広く知れ渡っている今、透視能力者と知られて、この先まともに生きて行けるとは思えなかった。アンダーコートの者をみな殺しにして、そのあとに展望があるとも思っていない。そして復讐がなにも生まないことぐらい知っている。本当の絶望だった。
さて。ここイーストバリーから次の目的地までは、街も村も集落もない。しばらく野宿が続く。そのため食料などは前もって多めに用意した。荷は馬に乗せ、キールは徒歩だ。
「明日はオレが歩くから」
馬上からサンドライトが言った。荷を自分の馬に移すと言ってくれたのだが、キールは手綱を引きつつ苦笑した。
「別に疲れない」
「でもさ」
「余計なことは考えるな」
「余計じゃねえよ」
「私は、おまえが核だから特別扱いしているわけじゃない。おまえを歩かせたりしたら周囲から非難される。それが嫌で歩いているのだ。そういう気をつかうのは逆効果だ」
サンドライトは眉をしかめた。
「非難なんかさせない」
「確かに、おまえが一喝すれば黙るだろう。だが心までは閉ざせまい。私がおまえの優しさにつけこんで楽をしていると、頭の中では非難し続ける」
「そうかなあ。ちゃんと話せば、きっと分かってくれると思うけど」
「民を信じるのはいいことだ。おまえらしい。だが民が愛しているのは、おまえであって私じゃない。それは肝に銘じておいてくれ。どんなにおまえを理解しても、私を理解するわけじゃない。おまえにとって民は究極の善だろう。だが私にとっては究極の悪なのだ」
サンドライトは急に馬を止め、飛びおりた。キールもつられて歩を止めた。
「どうした?」
サンドライトは肩を怒らせた。
「そんなこと言うなよ! オレはおまえのこと、すっげー頼りにしてるし、尊敬してる。きっとみんなだって!」
キールは皮肉げに口の端を上げた。本気でまっすぐなサンドライトが、うらやましかった。
「私が信用しているのは、サンドライト、おまえだけだ。たとえいつか、おまえが私を拒絶する日が訪れても、この気持ちは変えない」
キールは言い、背を向けて歩きはじめた。サンドライトは慌てて自分の馬を引き、追いかけた。
「なんだよそれ。どういう意味だよ」
「もうその話は終わりだ。前途は長い。早く行こう」
「勝手に終わらせんなよ! 納得いかねえって!」
「——あと二箇所だ」
「へ?」
「あと二箇所行ったところで、納得いく説明をしてやる。だから今は何も言わずに行こう。頼む」
ふり向かずに言うキールの背を見つめ、サンドライトは口をつぐんだ。その寂しさを感じて、キールはグッと奥歯をかんだ。
サンドライトは本当にキールのことを親友だと思っているのだ。身分の差など関係なく、神や人という区分もなく。
キールには、それだけで充分だった。サンドライトが嘘いつわりなく慕ってくれているこの一瞬の気持ちを一生の宝として、残されたわずかな時間を過ごそうと思った。