03【キール・マークレイ】その壱
空呈はいったん引き上げ、帝人らもそれぞれの部屋へ散った。その後、帝人は沙石の部屋を訪ねた。
「少し聞いておきたいことがある」
「なんだよ」
沙石はベッドに腰かけ、帝人は窓の桟にもたれた。
「寅瞳殿のことだ」
「ああ、あいつ?」
「燈月殿が一番の守り手というわけではなかったようだが、寅瞳殿にとってはそういう意味合いが強いように感じた。私の勘違いか?」
一番の守り手とは核を守る中心的人物のことで、沙石にとっては帝人がそれだ。
帝人の指摘に沙石の表情は正直に曇った。
「いや、勘違いじゃねえよ」
「では寅瞳殿の一番の守り手というのは?」
「知らない」
「聞かなかったのか」
「話さねえってことは言いたくねえんだろ?」
「初対面のおまえが見分けられるほど燈月殿のことを話しておいて? 妙だな」
帝人は脅えきっていた寅瞳の様子を思い出した。一番の守り手の話はしない、かつ、会いたいほうの人物でなければ怖いと打ち明けたそれは、一本の線でつながっているように思えた。
「なにかあったんだろうか」
「なにかって?」
「その一番の守り手と」
「おいおい、おっかねえな。そんなのあり得ねえだろ?」
「だが話さないのだろう?」
「うっ……。じゃ、なにがあったってんだよ」
「さて」
疑問だけふっかけて答えを出さずに顎をつまむ。そんな帝人を沙石は憎たらしそうに見やった。
「透視能力は? もうねえの?」
「ない」
「ちぇっ、不便だな」
「しかし闇を制御する力は得た。前回の二の舞にならないことは保証できる」
旧天上界は人の心から生まれた闇に浸食され滅びた。あの時はその闇を払うことができなかったが、今度は必ず払えると帝人は言うのだ。
(頼もしいこと言うけどよお、世界が滅びた原因ってそれだけじゃねえと思うぜ?)
そんな意見は胸の内にとどめ、沙石はそっと溜め息をついて帝人が背にしている窓の外を見た。暗雲がたちこめていて、いまにも雨が降りそうだった。
***
この天上界に生まれ変わってからというもの、帝人の心はほとんど平穏であった。透視能力の扱いに関しても要領を得ていたし、上面の感情だけを読んで判断するのは良くないということも学んでいたからだ。
怒りの裏の悲しみや、憎しみがおよぼす様々なこと。人の感情を突き動かすあらゆる要因を探らなければ、心は到底はかれるものではない。
人の悪意はどこから来るのか。善意とは何か。その真理まで読み解いた時、帝人は初めて、安易に人を恨んだり憎んだりすることはできないのだと気づいたのである。
そう。彼も始めからすべての人を許せるほど広い心を持っていたわけではない。魂が未熟な頃は人を恨みもしたし、殺したいとも思った。それが変わっていったのは、やはりサンドライトとの出会いが大きい。
***
帝人の前世キール・マークレイは、アンダーコートという貧しい村で両親と三人、肩を寄せ合い暮らしていた。村人からの非難と暴力に怯えながら——
そのような境遇は、唯一絶対神が持つ能力以外を悪とみなす思想からきていた。中でも透視能力というのは、よからぬ考えを持っている者にとって脅威であり、忌むべきものだったのだ。
家に投げ込まれる石とともに浴びせられる罵声。一家に対する嫌悪と恐怖。剥き出しの感情は言葉や態度だけではなく、強い思念となってキールを打ちのめした。
まだ幼かったキールは能力の制御ができず、垂れ流しの心を目の当たりにして泣くばかりだった。
人間はなんて醜い生き物だ。
そんなふうに思ってもしかたのないことだった。向けられる感情はいつも敵意で、今生の地獄に夢や希望はなかったのだ。
転機が訪れたのは十になったばかりの頃。父親が死んで一ヶ月、母親が蒸発して三日後の朝のことだ。キールは村を出た。行くあてのない旅だ。
人々が起き出す前の夜明けに、家をあとにした。村の外へと続く一本道を歩く。すると、あたりに立ちこめる村人の残留思念が目に飛び込んできた。
母親が追われている。数人の村人によって傷つけられ、野次を飛ばされ、ついには倒れる。それきり動かなくなった。村人はその身体を引きずり、森へ入り、地面を掘って埋めた。
母親がいなくなったのは生活に疲れたせいだとばかり思っていたキールは、唇をかみしめ拳を握った。あふれる涙をぬぐうことなく、ひたすら道を突き進んだ。
(仕返ししてやる。いつか仇を討ってくれる。大人になったら誰よりも強くなって、ここへ戻ってくる。覚えておけ——アンダーコートの畜生ども!)
こうして村を出たキールは、その二週間後に一人の少年と出会った。歳は同じ。名はアンバー。癖のある黒髪に大きな黒い瞳で、肌は小麦色。南国育ちのようだった。
休憩するため道の脇に寄って座り込んでいると、通りかかったアンバーのほうから話しかけてきたのだ。
「一人? おれも一人なんだ。どっか行くのか? よかったら一緒にプレートファームへ行かないか?」
プレートファームは鍛治師の街だ。身寄りのないアンバーは、手に職をつけるつもりらしかった。
「いつかは一流の鍛治師になりたいんだ」
そんなことを打ち明けていた。
一流の鍛治師は人の魂を焼いて、最強の武器や防具を作る。努力しても才がなくてはできないことだ。しかし、ひとたび一流鍛治師として出世すれば、身分は高くなる。核を守る武器と防具を作るとされているからだ。
キールは一人でいても心細かったので、アンバーについていくことを決めた。それでどこかに落ち着いて暮らせるなら幸運だと思った。
プレートファームに着くと、アンバーはシュレッシュ・オールド氏のもとを訪ねた。シュレッシュ・オールドは名うての鍛治師であり、街一番の工場を所有している。アンバーはそこで下働きなどしながら学ぶのだと言った。
しかしアンバーに教えるのはシュレッシュ・オールド本人ではない。孫のヒース・オールドだ。十五歳の少年で、金髪碧眼のハンサム。彼は千年に一人と言われる天才鍛治師だった。
鍛治師になるつもりのないキールは、カウンターに立った。工場でできた品を売るのが仕事だ。
キールの中性的な顔立ちは客目を惹いた。氷霜のようにきらめく白銀の髪が秀麗な顔を際立たせており、絶世の美少年だと評判が立った。だが美しさなど何の役にも立たない。寄って来る客が増えたからといって売り上げに変化があるわけではなく、生まれつきのものを褒め称えられてもキールはちっとも嬉しくなかった。
ただの好奇心。あるいは下心。そういった感情をぶら下げて投げかけられる言葉と笑みは、不快でしかなかったのだ。
そんなキールに再び転機が訪れたのは十六歳の冬だった。祖父だと名乗る老人が現れたのだ。
ラーク・マークレイ——彼は駆け落ちした息子夫婦に子がいると知り、捜し求めていたのだと言う。
「おまえの母を認めなかったことは悔いている。どうか許してくれ」
キールの父エドガーは長の子で、血統を重んじる種族にあった。移民族の女である母リンディとの結婚は当然のように反対され、あげく駆け落ちしてしまったのである。
種族が暮らすのは、スノーフィールドという雪に閉ざされた街だ。彼らはマークレイ家に代々受け継がれる透視能力を重宝し、崇め奉っていた。絶対神の能力、あるいは鍛治師以外の能力が悪とされている世では「大罪」だが、厳しい環境において経済的に豊かに暮らし、災害から民を守るには必要なことだったのだ。
しかしそんな理由が世間一般にまかり通るはずはない。ゆえに彼らは罪をともにする運命共同体となった。マークレイ家の透視能力を街全体の秘密とし、門外不出の代物としたのだ。
エドガーはそれを知らずに飛び出した。待ち受けていた迫害への驚きは幾ばくか知れない。だが引き返すこともできず、幸福な時もなく、非業の死を遂げてしまった。
「後継者はオマエだけなのだ、キール。私と一緒に帰ってくれないか」
祖父の訴えに、キールはうなずいた。
すでに親友と呼べる仲になっていたアンバーやヒースと別れるのはつらかった。が、能力のことを誰かに知られてはいけないと緊張しながら生きることにも疲れていた。スノーフィールドへ行けば解き放たれる……そんな誘惑に負けたのだ。