01【燈月と寅瞳、帝人と沙石】
寅瞳の手を引いている帝人の気持ちは複雑だった。燈月の台詞が気にかかっているからだ。
(核……確かにそう言った。どういうことなんだ?)
チラリと寅瞳を見る。白い髪に黄色い瞳。どう見ても帝人が覚えている核とは別人だ。わけが分からなかった。
(別の世界の核なのか? ここは旧天上界が単に復活したものと思っていたが、そうだとすると少し様子が違うな)
帝人は嫌な予感に動揺した。
界王が築いた世界はひとつやふたつではない。帝人が知らない世界も有象無象にあるだろう。寅瞳がそれらの中の世界から送られた核だとすれば、天上界におけるサンドライトの必須性は薄れる。それはつまり転生の可能性もなくなるということだ。
帝人は顔を上げてみた。薄暗がりを照らす松明が、通路の石壁を浮かび上がらせている。その角を曲がる期待は寅瞳にあり、不安は帝人にあった。
***
思い切って左折すると、互いは互いの存在をすぐに確認できた。五〜六メートル離れているが、わからないはずはなかった。
プラチナブロンドにエメラルドグリーンの目をした少年——沙石は牢の前でへたっていたが、急に驚きをあらわにしてピョンと立ち上がった。
残念ながら牢の壁に阻まれて状況を把握できない燈月は、少年の様子から監視員に見つかったのではないかと勘違いした。だが……
「サンドライト!」
帝人と寅瞳が同時に叫び、
「グランスウォール!」
と沙石が答えたことで、燈月は震えた。
「……なんだって?」
寅瞳は沙石に駆け寄った。それから牢の中に視線をやる。そこには印の上に正座したセリアス・ランドールこと燈月がいた。
「セ……セリアス様」
寅瞳は感極まり、泣きながら燈月に抱きついた。まるで迷子が父親に再会したような光景だと、帝人は思った。そうして帝人は沙石を見つめた。その視線に沙石は怪訝そうな顔をした。
「なんだアンタ」
帝人は苦笑した。
「ずいぶんな挨拶だ。忘れたのか。キール・マークレイだ」
沙石は目を丸めた。
「えっ!? ええっ!?」
そんなふうに驚いたのは、彼が記憶しているキールと髪の色や形が違ったりしたからだ。だが長い前髪の分け目からわずかにのぞく秀麗な顔は、やはりキールだった。
「まじかよ」
沙石はジロジロと帝人を眺めた。
「髪、どうしたんだ?」
「闇王の称号を受けてから黒くなった」
「闇王……」
天位五で闇王と言えば「帝人」という名で有名だ。ずいぶんと前から聞き及んでいたのにもかかわらず、沙石は少しもキールだと思わなかったことに苛立った。自分が神族なら当然キールも、などと安易に考えていたことが悔やまれたのだ。
「どうすんだよ、オレ神族だぜ?」
「なんだと?」
そこで二人は視線を合わせておいてから、燈月と寅瞳を見た。
「おーい、グランスウォールは何族だ?」
寅瞳はハッとして燈月から離れ、沙石に向いた。
「実は分からないんですよ」
「はあ!?」
「親がいなかったし、孤児院を離れた後は、ずっと飛鳥様にお世話になっていましたし」
「飛鳥様? それって燈月のこと捕まえたっていう封術師か?」
「はい。私は今、飛鳥様の付人をやっているんですよ」
「つ、付人!」
燈月と沙石は同じようなリアクションで驚いた。
「核が付人をつけるって言うんなら分かるけど、おまえが付人ってどういうことだよ」
沙石の指摘に、寅瞳は困ったように笑った。
「今はもう核じゃありませんよ。それに飛鳥様は命の恩人ですし、とってもお優しい方ですよ?」
「バカ! このお人好し! 優しいやつがこんな厄介な印を結ぶかって!」
沙石が指差した床を、寅瞳は見た。複雑な紋様をした印である。確かに厄介そうだ。
印というのは知恵の輪を解くようなもので、上から見ただけでは分からない隙間とかを探って解放する仕組みになっている。たいていの上位天位者なら神の目をもって上下左右から観察し、たやすく解けるものだ。
しかし燈月や沙石が四苦八苦している様子と印の形状からして、そんな単純な印ではないことが分かる。寅瞳も天位こそ持たないが神格を得ていて唯一絶対神を務めた身だ。印の形状を四方から確認することくらいはできる。
泰善の記した印は恐ろしく複雑だ。おそらく四方八方以上の方角から丹念に観察しなければ解けない代物である。天位三の神を拘束するため念には念を入れたのだろうが、さすがにやりすぎだと思えた。
寅瞳は深めに息を吐いて顔を上げた。
「きっと事情を話せば解いてくださいますよ」
「んな簡単にいくかよ!」
「いきますよ!」
ずいぶんと親しく会話する沙石と寅瞳を眺めて、首をかしげたのは帝人だ。
「二人は知り合いか」
帝人の質問に、沙石がうなずいた。
「だって帰る場所、一緒じゃん」
「なるほど。神界か」
そこから先は、どうやっても解けない印を囲んで四人が膝を突き合わせた。互いの世界の話をし、打ち解け合ったのだ。
「それで、飛鳥泰善は貴殿とどのような話をしたのだ」
帝人の質問に、燈月は苦笑いした。
「泰善はとにかく三種族の均衡をはかりたいのだ。どうしてそこまで固執するのか分からないが、差し当たっては神族と魔族が手を組めばいいと考えているらしい」
「なんと。ヤツらしい発想ではあるな」
「だがこうなると悪い話ではない」
燈月は帝人と沙石を交互に見やった。
「沙石が天上界の核だというのなら、俺は協力を惜しまない」
燈月が言うのに、沙石はふてくされた。
「だから核だ! 仮定みたいに言うなよ」
「そのわりには無防備だな。こんなところに身ひとつで忍び込んだりして」
「疑うのかよ! オレは強いから大丈夫なんだっ」
力説する沙石の横で、帝人がうなずいた。
「こいつは頑丈なだけが取り柄だ。それは間違いない」
「くっそ〜。褒めてねえなそれ」
「まあ信じるとしよう。それでどうする? 神族代表として言わせてもらえるものならば、泰善の案に乗ることはやぶさかではない。だが帝人殿が加わるとなると仲間がそれなりに警戒するだろうから、一筋縄にいかないことは確かだ」
燈月が言うと、帝人が腕組みした。
「そうだな」
「神族長の説得ならオレがするぜ?」
元気よく沙石が身を乗り出した。が、
「いくら三位でも昨日今日知り合った若造に説得されるような連中ではないだろう」
と即、帝人に却下された。
「私にしてもそうだ。いくら闇王という称号があっても、五位の身分で上を説得するのは難しい。おまえと行動するのなら魔族政権から離れるしかない」
「めんどくせ〜。どうして核の摂理は説かれてねえんだ?」
「知るか。界王の意思ならしかたなかろう」
「……界王か」
それを出されたら本気でどうしようもないと沙石は思った。世界を守り切れなかった罪は重い。親友と呼べる友と同じ世界に降ろしてくれた慈悲を思えば、種族が違うくらいのペナルティはあってしかるべきなのかもしれないと、うなだれるばかりだ。
「とりあえず飛鳥様に頼んで印を解いてもらいましょう」
寅瞳が言うと、燈月が眉をひそめた。
「しかし、神族や使族を抑えるためにした処置だ。そう簡単に首を縦には振らないだろう」
「私の頼みごとなら、たいていのことは叶えてくださるんですけど」
「たいていの範疇は充分に越えていると思うが」
「でも、私たちが三種族の均衡を目指して奮起すると言えば、むしろ飛鳥様には願ったり叶ったりでは」
燈月と帝人と沙石は互いの顔を見合った。
「確かに、我々だけでも手を組むということになれば、何分の一かは泰善の希望が叶ったことになる。だが危険な賭けだ。覚悟はあるのか?」
帝人の問いに、寅瞳はゆっくりうなずいた。
「私自身、種族が不明なせいもあるかと思いますが、誰がどの種族であってもいいような世の中が理想だと思うんです。そんな理想に近づくための一歩なら、がんばります」
寅瞳は予感していた苦難が訪れようとしているのを感じた。しかしそれも旧知の友やセリアスとなら耐えられると思った。支えなしでもしかたないと覚悟していただけに、その想いはひとしおだ。
(界王様……あなたの慈悲に感謝します)
瞳に光を宿して決意する寅瞳に向かい、ほか三名は固くうなずいた。