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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第三章 回顧
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02【サンドライトとグランスウォール】その弐

 燈月が過去世を何度も生きた世界——グラン・シールには一世界一核一神の摂理が根づいていた。「ひとつの世界に一人の神が、その魂を(いしずえ)として理を維持すること」が徹底されていたのである。

 グラン・シールの神はグランスウォールと呼ばれて人々に敬われ、慕われていた。彼の一生は千年と定められており、転生のサイクルは五千年置きである。仮に千年の一生をまっとうできなかった場合、グラン・シールは暗黒の時代を迎えるが、かつてそのような事態におちいったことはなかった。

 グランスウォールには常に大主教ラズヴェルトが付き添い、この二人を二十名の護神官が守り、さらにその護神官を五十名の護衛官が守っていたからだ。

 とはいえ敵というのもそういない。誰もがグランスウォールを称え、尊敬し、大切にしていた。守るといえば、おもに不慮の事故や病などから守るのだ。

 グランスウォールがいたのは中心都市の総神殿と呼ばれる最も大きな教会である。都市はそれ自体が神殿でもあり、人々はグランスウォールがいる教会をあがめて暮らしていた。

 残念ながら都市に生活拠点のない者は、地方の教会に参拝した。教会は東西南北にそれぞれあり、そこは各主教が守っていた。


 燈月は東主教(とうしゅきょう)という役職にあり、東の教会を守っていた。地方の教会は都心から恐ろしく離れている。よって燈月がグランスウォールに会えるのは年一度おこなわれる祭りの時だけだった。


***


(会ったのは数えるほどもない。だがグランスウォールは何故か俺をよく覚えていた)

 嬉しかったが、いっそう情がわいて悲しくもあったと、燈月はしみじみ思い返した。そして同時にラズヴェルトの顔も思い出す。出会ったのは遥か昔だ。互いに印象的な出会いだった。


***


 名もなき渓谷。数十メートルの高さから落ちる滝を源とする川は、豊かな森にはさまれていた。植物は、人里では決して育たぬ珍しいものばかりだ。空気は澄み、草食の小動物が数種類生息している。静かで穏やかな場所。だが人が足を踏み入れてはならない場所だった。

 そこへ一人の男が分け入った。濃紺の髪と瞳の、一八九センチと長身な男。精悍で二枚目である。名をラズヴェルトといった。彼は聖域の奥にある滝壺を目指していた。夢に告げられ、使命のままに赴いているのである。

 一羽の小鳥がこれを見て、聖域を守る山の主に知らせた。主は狼の姿だが肉体を持たぬ精霊であるため、小動物らを襲うことはない。銀色の毛に黄金の瞳。体つきも一般の狼より二倍近く大きい。

 小鳥の知らせに、銀狼はゆっくりとうなずいた。

〝こんなところへ赴くとは……よほどの話なら聞いてやらねばな〟

 太古の昔は、獣の姿をした精霊が今で言う神に近い存在であった。階級もあり、高級とされるのは数少ない。銀狼はその数少ない中でも五指に入るほどの高級霊であった。それに用があって来るというのは、大抵よほどのことであるに違いなかったのだ。

 小鳥がチチチッとなにごとか告げると、銀狼は苦笑した。

〝むろん俺の姿を視ることができればな〟


 こうして銀狼のもとに無事たどり着いたラズヴェルトは、滝の水が落ちるところの岩に腹ばい首をもたげている銀狼に、迷いなく視線を送った。銀狼は、あまりにもハッキリとみつめている男に驚き、口を利いた。

〝めずらしい人間だ。用件を聞こう、ラズヴェルト〟

 名乗らぬうちに呼ばれたラズヴェルトは、畏怖して片膝ついた。

「万物の超越者、界王が築かれたこのグラン・シールに、唯一絶対神となる核がご降臨なされます。あなた様には是非、東を守る主教として転生していただきたいのでございます」

 銀狼は黙した。

 ラズヴェルトが言うのは、人間として肉体を持ち、この世に生まれ変われという話だ。簡単に返事はできない。そのような愚かな者に成り下がり、心乱され傷つけられる世に生まれいずるというのは、相当な決心がいる。おだやかに暮らしてきた高級霊では、なおさらだった。

〝俺に主教になれと言う、おまえは大主教か〟

「左様で」

〝なるほど。俺がハッキリ視えるわけだな〟

 銀狼は立ち上がった。

〝よかろう。ただし絶対神も貴殿も敬意を示すに値せぬ時は、見限るぞ〟


 銀狼はセリアス・ランドールという名で転生を果たした。象牙色の髪に黄金の瞳だ。

 それから十九の時に、まだ幼いグランスウォールと出会った。グランスウォールは白い髪と黄色い瞳の、おとなしげな少年だった。

「東主教のセリアス・ランドールです。お見知りおきを」

「よ、よろしくお願いいたします」

 少年は深くお辞儀した。


 グランスウォールは誰に対しても平等で、謙虚だった。常に民の幸福を考え、最善の道を選ぶために払う自己犠牲もいとわない。そういう彼のそばにいると誰もが魂を清められた。それゆえ、彼の周りに集まる者も跡を絶たなかった。

 セリアスも例外ではなかった。「敬意に値せぬ時は見限る」と豪語した彼だが、グランスウォールを長く見守る決意を固めるまで、さほど時間はかからなかった。

 しかし遠く離れた地で想うことは、たやすくなかった。グランスウォールの聡明な眼差しが自分へ向けられることは無きに等しい。それだけのことがセリアスを苦しめた。所詮は主教ということを思い知ったのだ。

 ラズヴェルトはセリアスから見ても大主教にふさわしい男だった。尊敬に値し、良き友人となり得る人物である。どうあがいても入れ替わることは不可能に思えた。五指に入る高級霊だったセリアスにも敵わぬ相手がいたのだ。

「あの時の申し出を受けるべきではなかった」とセリアスは後悔し、一度グラン・シールを離れるまで追いつめられたのだった。


 行き先は、「堕ちた」という表現が最も適していると言い切れるほどの世界だった。

 地球という名の地獄に最も近い世界である。だが未熟な魂を鍛えるには良い場所だ。

 おりしも世は大飢饉を迎えていた。墨染めの衣をまとい、僧侶として生きる道を選んだセリアスは朔撚(さくより)と名を改め、古い寺に身を寄せた。

「神通力を持つ、ありがたい坊様がいらっしゃるそうな」

 村人はそう噂した。顔立ちはそのままに、髪と目の色だけ黒い。鏡を覗くたび、朔撚は違和感を覚えた。本来の姿ではないということが、どういうことか考えた。

(俺は完全に堕ちたのだろうか。こんな遠くにまで来て、このようにみじめな想いをするのなら、いっそ地獄に堕ちたほうがましではないのか)


 そんなある日、村娘が寺へ駆け込んできた。

「妖魔とおぼしき者が倒れております。お助けください」

 朔撚は小首をかしげた。

「はて、倒れているのなら、そのままにしておけばよい」

「そうではありません。妖魔をお助けくださいと申し上げているのです。それほど悪い者には見えませんので」

「これは驚いた。妖魔を助けろと?」

「わたくしは貧しく、美しくもありません。差し上げられる物といえば、わずかな着物と今日の晩に食べるはずの粟くらい。厚かましいことは承知のうえでお願いします。どうか、助けてやってくださいまし」

 朔撚は村娘の心のありように感心し、快く引き受けた。

「礼など結構。妖魔のところへ案内してくれ。してやれるだけのことはしよう」


 村娘の案内で行くと、妖魔が人の姿をしていたので朔撚はたいそう驚いた。髪も金銀に輝いている。抱き起こしてみると十六、七歳くらいの美しい面差しの少年だ。人ならぬ者の特徴がありながら人にも見える姿をしている、となれば思い当たるのはひとつだった。

「これは妖魔ではないな。おそらく神界人だ」


 朔撚は少年を寺へ運び、手厚く介抱した。そうして意識を取り戻した神界人に、朔撚が興味を示したのは言うまでもない。神界と言えばグランスウォールがグラン・シールを離れているあいだ眠る場所だ。ぼんやりしていては見果てぬ世界である。

「なにゆえ神界から降りた。それとも誤って落ちたのか?」

 朔撚の質問に、若竹色の瞳が向けられた。

「私は竹神(たけがみ)。飢餓に苦しむ民を救えないかと降りてみました。ところが降りたとたんに激しいめまいと吐き気をおぼえまして、気を失ってしまったのです」

「逆に救われたというわけか。さきほどの娘に感謝するんだな。この大飢饉のおり、あのように心美しいのは珍しい」

「そうですね。娘には米と着物とかんざしを贈りましょうか」

 朔撚は世間知らずの竹神に失笑した。

「盗賊にたちまち奪われてしまう。運が悪ければ、娘の命さえも——物で恩返ししようなどと思わぬことだ」

「わかりました」

「それより神界へは帰られそうか」

「いいえ」

「どうするんだ。ここは東洋。その容姿では暮らせぬ」

「代々、私を祀る者がおります。その者のところへ連れて行ってください」

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