08【帝人】その弐
冗談ではない。
帝人は思いながら、自室で右往左往していた。天位も持たぬ一介の封術師に振りまわされつつある己を、必死に律しているのだ。
(魔神が魔剣を所有するまでというのは存外、短くない。これでは身がもたぬ。いっそ魔剣は諦めたほうが懸命ではないのか)
自分のことだけではなく、周囲の反応からも帝人はそう考えた。だが悠崔が首を縦に振らなければどうにもならない。
(多少、行動の自由を奪っておくか。魔剣譲渡の条件は家庭教師として雇うことと封術師としての仕事を妨害せぬことの二点だけだ。それさえ侵さなければ良いのだ)
帝人は意を決し、飛鳥泰善の部屋の戸を叩いた。いちおう交渉事であるため、葡萄酒の一本も持参している。
戸を開けて帝人を迎え入れた泰善は機嫌が良かった。それは明らかに酒を見ての反応だった。どうやら葡萄酒には目がないらしいと悟った帝人は、交渉しやすくなったと安堵した。
「寅瞳殿は?」
イスを勧められつつ帝人は尋ねた。
「学校だ」
「勉強熱心だな」
「そうだな」
泰善は微笑しながらワイングラスをふたつ用意した。そして、もらったばかりの葡萄酒を注ぎ入れる。そのうちのひとつを帝人は遠慮なく手に取った。
泰善もテーブルを挟んだ真向かいに座り、同様にグラスを手にする。帝人は乾杯をする気などさらさらなかったが、泰善が掲げるのでしかたなくグラスを合わせた。
硝子が響き合う音とともに、泰善は言う。
「未来の天上界に」
帝人はグラスの縁を口に持って行きながら、眉間を寄せた。
「おぬしが思い描く未来の天上界とは、なんだ」
泰善は苦笑した。
「当然、理想郷だ」
「上位天位者の人口も増えてきた。いずれ実現するだろう」
「三種族の均衡を保つことが必須条件だ。それも成せずに実現すると思うか?」
厳しいひと言に、帝人は唸った。
「一介の封術師が案ずることではない。均衡など一位の神が現れれば是非もなく成される」
「均衡が一位より後に来ることはない」
「言い切るな? 根拠があるのか」
「もちろんだ」
「ほう……では話せ」
帝人が強制的に説明を求めると、泰善は口を閉ざした。
これはハッタリだったかと、帝人は葡萄酒を口に含んだ。
(つまらん意地を張る。意外と浅はかな男だな。がっかりだ)
一方、「浅はかな男」というレッテルを貼られた泰善は帝人の天位を何気に眺めた。
天上人であれば、誰でも天位者が持つ天位の宝玉を視ることができる。たいてい胸元に光り輝き浮いて視えるのだ。そして輝きの段階を正確に読み取り、何位であるかを知る。
泰善も天上人の一人であるかように、帝人の天位を読み取った。だが持続することはできない。泰善はすぐに別の視点で魂の輝きも読み取り、天位と釣り合うかどうかということまで確認してしまうのだ。ゆえにその後には必ずため息がもれる。
泰善は葡萄酒を飲み干し、大きく息を吐いた。
その溜め息が、帝人には意味深に思えた。理由はない。なんとなくそう思ったのだ。
「根拠になりそうな話が思い付かないのか?」
帝人は自分でも意地悪だと感じながら、ニヤリと笑って問いかけた。
泰善はなんとも言えない嫌な顔をした。が、それさえも美しい。帝人は咳払いしつつ理性を確保し、本題を切り出すことにした。
「まあそれについては追及しないでおこう。私はそもそも警告するために訪ねてきたのだ」
「警告?」
「行動を控えろ」
「……どうして」
「季条間と再挧真の反応を見ただろう。気づかなかったとは言わせないぞ。おぬしは毒だ。引きこもっているのが無難だ」
泰善はやや唖然としたあと、困惑した。
「季条はともかく、再挧真は子が生まれたばかりだろう」
「関係ない。おぬしは老若男女も状況も問わず人を惑わす美貌なのだ。基本とらえる側の問題とはいえ、やはり、もっと自覚すべきだろう」
キッパリと言われて、泰善は頭をかかえた。
「俺に一生引きこもっていろと言うのか?」
「いや、一生とまでは言わない。天位を得ないかぎり歳は取る。どこまで歳を取ればその美貌が失われるのかは知らないが、それまでは自重したほうがいいだろう」
泰善は頬杖をつき、ゲッソリとした。
「俺は不老だ」
「な、なんだと!? いったいどうして!?」
「理由はいろいろある。だが俺だけじゃない。空呈もそうだ」
「なっ……」
「この世は天位だけがすべてじゃない。もっと視野を広げ、知識を深める必要があるんじゃないのか?」
帝人は愕然としながら、泰善をしげしげと眺めた。あまり直視しないほうがいい美貌であるが、そうせずにいられなかった。
「半永久的にその美貌を維持するのか……最悪だな」
「本人を目の前によく言うな? どういう神経してるんだ」
「陰で言うよりマシだろう」
「それもそうだ」
二人は同時にため息ついて沈黙した。しかしそう長く続く沈黙ではない。葡萄酒を飲み干すと、またどちらからともなく口を開いた。
「鷹塚空呈が不老とは初耳だが」
「神界出身者はその傾向が強い。俺は違うがな」
神界と聞いて、帝人は驚きつつ納得した。
神界は文字通り神代の世界そのものである。神格を備えた魂だけが存在し、誰も肉体を持たない。それゆえ不老不死でもある。
いまでこそ天位制度が主流だが、かつては「これをもって神」という確かなものがなかったので、神界に送られる魂こそが神という考え方だった。
事実、一世界一核一神という思想(ひとつの世界に核を担える神は一人という摂理)が根付いていた旧天上界時代にも、唯一絶対神である核が死後に向かう世界は神界であると定義されていた。
空呈が神界の出身者だというのなら、核というわけではないにしても、不老であるのはうなずける。
だが待てよ、と帝人は首をひねった。
「おぬしが言うことを鵜呑みにすれば、神格を得れば天位を得ずとも不老になれるということになるな」
「そうだな」
「界王は神格を得た者に等しく天位を与えるものだと思うのだが」
「全員が有り難く受け取るわけじゃない」
帝人はピタッと視線を合わせ、こめかみに汗した。
「まさか、断ったのか?」
「空呈は断った」
衝撃的な言葉に、帝人は肝を冷やした。
「な、な、なんと恐れ多いことを! 正気とは思えん!」
「落ち着け。うざい」
「これが落ち着いていられようか! ……うざい、とはなんだ?」
「気にするな。とにかく、いらないものはいらないんだ。本人の意思は尊重すべきだろう」
「しかし! もったいない!」
「別に受け取らなかったからといって神格が消えてなくなるわけじゃないし、気が向けば受け取るだろう」
「まるで他人事だな。空呈はともかく、おぬしはどういうつもりなんだ」
泰善は口元をゆがめた。それもいちいち美しい。帝人は舌打ちしたいのを必死にこらえた。
対する泰善は睨みつける帝人を無視して、カラになったグラスに葡萄酒を注いだ。それを帝人に向かって軽く掲げ、一気に飲み干した。
「闇王たる者が一介の封術師の思惑など気にするな」