05【烈火】
神族長の紅一点。腰に届く黒髪は艶やかで、黒い瞳は宝石のように輝き、小麦色の肌は美しい。豊かな胸に細い腰。しなやかな長い手足。安土はまさに絶世の美女と呼ぶに相応しい女性だった。
彼女に恋心をいだいて早五百年。烈火は「自分がもう少し男前なら」とため息ついた。
朱色の髪に赤い瞳。背は一八五センチ。可もなく不可もない特にパッとしたところのない男だ。「それでも誠実に努めて高い天位を得れば、いつかふり向いてもらえるのでは」と淡い期待を持っていたのだが……
昨今の安土は飛鳥泰善に心奪われ、ほかの男には目もくれない。彼女は一日中うわの空だった。
「はああ」
「なんださっきから。ため息ばかりだな」
烈火に向かって槙李が言った。二人は書庫のソファに座って読書の最中だったが、烈火の手はいっこうにページをめくらないでいた。
「俺だってしたくてしているのではない」
「どうしたっていうんだ」
烈火は槙李の顔を眺めた。茶色の髪に若葉色の瞳。一七九センチは天上人男性のほぼ平均身長だが、とにかくバランスがいい。さわやかな二枚目である。
「おぬしのように容姿に恵まれている男には分からん悩みだ」
「は?」
槙李は眉をひそめた。否定する気はないが言い方が気に入らないのだ。
「喧嘩を売っているのか」
「あ、いやいや。すまん」
「悩みがあるなら聞いてやるぞ」
「いや別に」
「では静かに本を読め」
「くう〜っ」
烈火は歯がゆそうにして槙李を睨んだ。友人ならば積極的に突ついてほしいところだったからだ。しかしそこを流してしまうのが槙李である。烈火は辛抱できずに自分から口火を切った。
「安土殿が飛鳥泰善に心奪われているのは、おぬしも承知だろう」
「ああ。まあ、しょうがないな。あのように美しいのは見たことがない。眺めるだけでも全てをささげる価値がある」
「なんだと!?」
烈火は思わず立ち上がり、拳を握って腕を震わせた。だが反論はできなかった。彼とて、五百年もの歳月思い続けた女を忘れるほど一瞬にして目と心を奪われたのだ。ただ美しさに惹かれたゆえの衝動であり、真実の愛ではない。しかし、その衝動は真実の愛をも確かに踏みにじっていたのである。
烈火は力なくソファに腰を落とした。
「げに罪深き美貌だ」
槙李は真面目にうなずいた。
「まったくだ」
「ちょっと頭を冷やしに、散歩にでも行ってくる」
「それがいい」
***
烈火は書庫を出て、神殿の裏手にある林を歩いた。よく手入れされてある林で、ほどよい森林浴を楽しめる。
政権の拠点となる場所はなにかしらの森林を所有しており、たいていの神々は散歩を娯楽のひとつとしている。行き詰まったり悩んだりした時の気分転換としては最適であり、健康にもいい。
歩調はゆっくりと、二十分ほど奥へ歩いた。
そこで烈火はふと、木々をぬった先に人影を見た。影は遠目にも背の高い男であることがわかる。だが心当たりのない様子だ。
彼は不審に思い足を忍ばせて近づいて行った。徐々にハッキリとしてくる「それ」は後ろ姿で、漆黒の髪が陽射しに輝いている。やたら飾りヒモの多いブーツ、細かい刺繍の入った黒いトレンチコート、袖口には白いレースが無造作にヒラヒラとしている。
男としては少々伊達すぎか、女性的な印象を受ける。しかし、うなじから肩にかけての線の美しさ、背に見合った肩幅や手足の長さは目を惹く。烈火は顔も見ぬうちから飛鳥泰善の面影を見て、目をまたたかせた。
「誰だ」
呼びかけると男はふり向いた。顔はまさに飛鳥泰善と見まごうほどの美貌。両眼に宿る闇色の輝きは、安土の美しい黒瞳をいとも簡単に凌駕している。伊達すぎると思った衣装も似合いすぎるほどで、まったく違和感がなかった。
「おぬしは……?」
「飛鳥泰明」
烈火は驚いて目を丸めた。
「飛鳥泰善の血縁者か」
「そうだな」
「こんな所でなにをしている」
「別に」
「ここは神族政権が管轄している領地内だ。無断で出入りするのは禁じられている」
烈火が言うと、泰明はふと冷笑を浮かべた。
「つまらないことを言う」
その様子の美しさに烈火は息をのんだ。笑みと言葉に含まれる意味など考える余裕はない。
(これは敵わん。安土殿の目に触れる前に追い返さねば)
烈火が一人で焦っていると、泰明はおもむろに手を差し出した。美貌に見とれるあまり気づかないでいたが、彼は手に刀を握っていた。
「ここで先ほど収めた神剣だ」
「し、神剣!?」
烈火は目を丸めた。神剣など目にするのは初めてだったからだ。
刀身が細く一見頼りなげな剣だが、輝きは鋭く神聖な光を発している。
「管理できるか?」
「はっ!?」
「管理できるのならやろう。どうせおまえ達の領地で収めた神剣だ。所有権もあるだろう」
「え、い、いや、しかし」
「しかし?」
「泰善の面目は保てるのか? 血縁者なのだろう?」
「父のことは案ずるな。使族にだって聖剣をくれてやったのだ。おまえ達にもひと振りあったっていいだろう」
「父!?」
烈火は「使族に聖剣をやった」という事実よりも、泰善が父親だということに関心を寄せて驚いた。
「泰善は結婚しているのか」
泰明は怪訝そうにした。
「いや」
「しかし、おぬしは息子なのだろう」
「息子といえば息子だが、別にそんなことどうでもいいだろう」
「どうでもいいということもないが。泰善は息子があっても独り身なのか」
「恋人はいる」
「なんと」
これはいいことを聞いた、と烈火は嬉々として目を光らせた。
「そうか。いるのか」
「嬉しそうだな」
「いやいや、あのような男が独りでいるとロクなことがない。ちゃんとした相手をつかまえておくのが懸命だ」
「どういう意味だ」
「ヘタに独りだと多くの者を惑わす——あ、いかん。おぬしもほとんど変わらんではないか。おぬしはどうだ。恋人はいるのか」
「さっき答えた」
「え? いや、それはおぬしの父親のことで、おぬしのことではない」
「俺の恋人は父の恋人だ」
「ん? なんだそれは」
「これ以上の説明は面倒だ」
と泰明は、手にある神剣を差し出した。
「ほら、いるなら受け取れ。持っていると便利なこともある」
烈火は慌てて服で手の汗をぬぐった。
「有り難くいただこう。しかし、貰いっぱなしというのは俺の流儀に反する。なにか礼を」
この時、泰明はやっと穏やかに笑った。
「ああ、それならワインを一杯」
烈火もつられて笑んだ。
「おやすいご用だ。葡萄酒ならば、ちょうど鷹塚家より取り寄せた最高級のものがある」