03【季条間】
聖剣が季条間の手に渡ってからというもの、しばし女神たちの話題には飛鳥泰善の名がのぼった。
「本当に素敵な殿方でしたわ。またいらっしゃらないかしら」
「魔族にいるのよ? そう簡単にいきませんわ」
「ああ、いっそ魔族に嫁ごうかしら」
「ばかね。今は魔族にいるけど、魔剣を渡したら出てくかもしれないのよ?」
「そしたら出戻ればいいのよ」
「嫌だ。一度魔族に嫁入りした者を、季条様がお許しになると思うの?」
「そうね」
彼女らがおしゃべりしている広い居間は、庭園につぐ憩いの場である。天位四の女神らは十二名いるが、いつも集まるのは湖杜芽を除いた十一名だ。
黒髪と菜の花色の瞳、新改暗照幸厘。
橙色の髪と琥珀色の瞳、朱末晴姪。
萌葱色の髪と鶸色の瞳、暑旬恵。
瑠璃色の髪と瑠璃紺の瞳、灯紗楴。
銀色の髪と薄墨色の瞳、白鐶音美。
卯の花色の髪と柴色の瞳、遠夏待眉。
白髪とつつじ色の瞳、雪菜。
桜色の髪と桃色の瞳、雲春咲迦丞麗。
水色の髪と紫苑色の瞳、雨虹褄。
青竹色の髪と白緑色の瞳、仲委彼岐。
白藍色の髪と濃藍色の瞳、宵間静。
それぞれが個性的に美しく、可愛らしい女神たちである。
仕事以外では外套をはおらず、肩や背中の開いた白いドレスなどを召す。髪には花を飾り、腕にはブレスレットなどの宝飾品をつける。
自分の髪を編んでいた音美が、手を止め言った。
「ねえ、こういうのは? 私たちでなにか仕事を作って飛鳥様にお願いするの。お給料はみんなが出し合えば結構な額になるわ」
「仕事ってなに? どんなのがあるの?」
「それを今から考えるんじゃない」
「考えてから言ってよ、もう」
女神たちは悩ましく恋のため息をついた。そこへ突然、
「ところで飛鳥様って、女性には興味おありなのかしら」
と麗が疑問を投げると、女神たちはいっせいに彼女へ注目した。
「やーね。そんなのどっちでもいいのよ。もしないのなら、持たせればいいんだわ」
「自信あるの?」
「一度くらいはその気になるんじゃないかしら」
「なんだか雲をつかむような話ね」
「うるさいわよ」
***
そんな女神たちの様子を好ましく思わない人物がいた。季条間である。
「あんな男、呼ぶんじゃなかった」
「あら、呼んだのは海野様ですわ」
「同じことだ。拡果が呼んでも私が突き返せば呼ばれなかったはず。一生の不覚だ」
「そんなにご自分をお責めにならないで」
「これが責めずにいられるか」
自分を慰める湖杜芽を払って、季条は「散歩に行ってくる」と言って森へ出かけた。
ひとり木立の中を歩く。温暖な気候。さわやかな風。きらめく木漏れ日。なにもかもが素晴らしいのに季条の心はやっぱり晴れなかった。
女神たちの心が泰善に奪われたからではない。気がつくと泰善の顔や姿を思い浮かべている自分がいるからだ。ほかの女神たちとなにも変わらない「女」である我が身が憎らしいのだ。
(まさかこの私が男に惚れるとはな。滑稽だ。滑稽すぎて笑う気にもなれない)
季条はふと立ち止まると、空を見て目を閉じた。
(あのような男はいない。しかし天位がない。三位まで上り詰め、代表の地位についた私が相手をするわけにいかない。使族の名折れだ。だが……それにしても美しい)
彼女は閉じていた目を開け、空を睨んだ。
(ああ、どうすれば手に入る。あの男。どうしても使族の味方につけたい。どんな手を使っても私のそばに置いておきたい)
だが魔神に魔剣を献上すると決めている今は、どう足掻いても叶いそうにない夢だと、ため息ついた。そうして宮殿へ帰ろうとした時のこと。彼女は不意に呼び止められた。
「あ、待ってくれ。少し尋ねたいことが」
声のほうを向くと、深い森の中から人影が現れた。明るい場所へ出たそれに、季条は「あっ」と驚いた。
一九〇センチは超えている身長。見事な金髪と淡い緑の瞳。尋常ならぬ美貌——一点の曇りもないその容姿に泰善の面影を見て驚いたのである。
「おぬしは?」
「ああ、ここが使族の敷地内なのはわかっている。ただちょっと慣れない場所なので迷い込んだのだ。それで、知っているなら教えてくれないか」
「なにを?」
「飛鳥泰善」
季条はビクッとして目をひそめた。男は言った。
「あちこちに気配を残しているので、本体がどこにあるのか分からない。相変わらず行動範囲が広いようだ。最終的にどこへ行けば間違いなく逢えるか知らないか」
「おぬし、何者だ」
男は一瞬だけ間を置いて、ニッと笑った。
「飛鳥泰真」
「血縁者か」
「一応、息子だ」
「息子? あ……飛鳥泰善は妻帯者か」
泰真は左に少し首をかしげる。その仕草は泰善によく似ていた。
「そういう相手がいたということはない」
「しかし、おぬしの母は?」
「そんなことどうでもいいだろう。早く教えてくれないか。急いでるんだ」
季条は泰真と名乗る男をジッとみて、意地悪をしたくなった。ここへ長く引き止めておきたいと思った。
「それが人にものを頼む態度か。教えてほしかったら、こちらの質問に答えよ」
泰真は両手を腰にあて、ため息をついて顔をそむけた。
「教えてくれないのなら別にいい。ほかを当たる」
言うなり踵を返そうとしたので、季条は慌てた。
「待て! ……泰善は魔族にある」
泰真はゆっくりと季条をみつめ直した。
「どうも、ご親切に」
そしてやおら片膝つき、季条の手をとって甲にキスをした。
「これくらいの礼しかできないが許せよ。麗しの女神」
泰真はサッと立ち上がってそばを離れると、再び森の奥へ消えた。季条はフワッとした気分に襲われて、その場に倒れた。
気がついた時は自室のベッドの上だった。湖杜芽が心配そうに覗いている。
「お気づきになりました? いつまでもお帰りにならないと思っていましたら、倒れてらっしゃるんですもの。心臓が止まるかと思いましてよ」
「すまんな」
「きっとご心労がたまっていらしたのね。しばらくご療養なさるといいわ」
「そうだな」
季条は横になったまま応え、目を閉じた。しかし湖杜芽が部屋から出て行ったのを気配で感じると、ゆっくり笑みを浮かべた。
(私の手を取った指先も、触れた唇も、すばらしかった)
季条は明くる日も、そのまた明くる日も、しばらくポーっとなって泰善や泰真のことを考えていた。特に泰真がくれた口づけは思い出すたびウットリするほどだ。
(この手はしばらく洗えぬな)
などと思っては自然に笑みをこぼす。そんな様子の季条を誰もが不審に思った。特に湖杜芽は穏やかでなかった。
「季条様ったら、もしかして新しい女でもお見つけになられたのでは。どこの女かしら」
彼女はくやしさから爪をかんだ。
「きっと突き止めて、仲を引き裂いてやるんだから」