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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第十三章 完結
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28.新世界

 シュウヤは泰善と二人、何をするでもなく砂浜に寝転がって空を見上げていた。結局、宮殿も何も造らずじまいで、膨大な時間が過ぎた。シュウヤは泰善がいれば充分であったし、泰善はその心を知っている。必要なものは互い以外になかった。

 しかし本当にずっとこのままでいいのだろうかと、シュウヤは時おり悩んだ。泰善は界王であり、界王は破壊の主であり創造の主だ。表裏一体のその力を持つがゆえに神との決別を余儀なくされたが、だからと言って創造することをやめるのは間違っているのではないか、と。

 始点界は何もないに等しいが美しい。泰善の拠点として相応しい姿だ。そして試行錯誤の末に完成させたという流転の理の集大成「浄真界」もまた、美しかった。あれほどくっきりと鮮やかな四季を眺められる場所は他にない。

 泰善が織りなす世界は全て芸術だ。一滴の水にさえ尊い愛を感じる。これを失うことは、最も忌むべきことであると信じられる。

 シュウヤは砂を握った。一握りの砂——泰善を知る者はそこにある愛についても知る。


 お前たちは掴み損なったのか? それとももう、掴みに来ないのか……


 シュウヤは悠久の時の彼方で見送った神々へ向け、心の中で呟いた。そして何気なく泰善に声をかけた。

「……なあ」

「ん?」

「また造ってみないか?」

「——何を?」

「浄真界。久しぶりに見たくなったよ、お前が造ったあの世界をさ。ダメかな?」

「いや、お前が望むなら、俺は別に構わない」

 そう返答する一方で、泰善はレモングラスの草原に残る理の核を思い出していた。研究所も使わなくなって久しい。これから先も使用することはない。と言って、放置したままというのもスッキリしない。この際だからあれを利用してもいいか、と。心に刺さる棘を、そろそろ抜いてもいい時期だ。

 泰善は目を閉じた。瞼の裏にはレモングラスの草原が鮮明に映し出される。始点界から研究所へ意識を飛ばし、浄真界を再現しようと試みているのだ。

 世界の創造は何度もやった。息をするようにやれるまで繰り返した。甲斐あってか、長らく使わないでいる力でも、自在に扱える。しかし、至極懐かしい感覚だと思ってしまうほど使っていなかったことに気付くと、泰善の目頭は熱くなった。戻らないと分かっている昔が、まるで昨日の出来事のように、胸に蘇ってきた。


***


 泰善は一人、誕生したばかりの世界を歩いていた。露に濡れる草花を見て、理の記述に間違いがないことを確認する。それでも、完全な世界へ到達するには、まだ何か欠けていた。

 表情を曇らせていると、不意に気配を感じた。こちらへ向かってくる正体の知れない光。魂と悟るのは早かったが、泰善が創造する上で発生する動植物のものではない。明らかに異質なものである。

 警戒と期待が泰善の視界を支配した。自分が知らない別の何かが存在するという事実が、胸を踊らせている。白く清らかな光——それはまだ弱々しく見えた。だが自ら明滅して、何かを伝えようとしてくる。意思を持っているのだ。

 泰善は手をかざし、言葉を授けた。すると光は語った。

〝私は神という者の一部です。貴方の輝きに導かれて来ました。どうか貴方に近づけるよう、ご助力ください〟

 泰善は魂の清らかさだけを信じて肉体を授けた。自分のようになりたいというので、極力似せるように努力した。が、肉体は魂をかたどる。身の丈や顔立ちはどうしても似せてやることができなかった。

 魂がまだ幼かったので、身体も幼い少年だった。心が何にも染まっていないので、髪は真っ白だった。瞳は魂の中心の輝きを表す黄色で、顔立ちは性格が出たのか控えめだ。

 しかし泰善はその子を美しいと思い、愛しく思った。少年はもらった身体で走り回ったり跳ねたりした。とても気に入った様子で泰善の前まで戻ってくると、キラキラした眼差しで「ありがとうございます!」と言った。泰善はその頭を軽く撫で、微笑みかけた。

「名をやろう。リードレイ」

 すると少年はまた飛び跳ねた。それから次々に、思いつくものを与えてみた。与えるたび嬉しそうに跳ねる。そんな少年を見て、泰善は「与える喜び」を知った。もっと完全なものを与えてやりたいと思い至るのに、そう時間はかからなかった。


***


 世界を開く時に泰善が考えるのは、「季節は春から始めるのがいいだろう」ということだ。神々が思い描いた理想郷が常春だったように、その他の季節は気候的に厳しく、生命活動を始めるのに不適切だからである。


 泰善は大きく息を吸い込み、目を閉じ、理を紡ぐため世界を想像した。

 小さな花々の芽吹きと爽やかな風と暖かな日差し。若葉の茂る森のさざめき、小川のせせらぎ。大地を肥やし、なだらかに広げる。全ての基礎をここに置き、やがて来たる季節に備える。

 表面に見えるものだけでなく、地中の奥深く、海底に揺れる小さな泡、その他諸々、世界の隅々まで見落とすことなく気配りし、繊細に意識を注いでいく。

 世界を創造するのに間違いは許されない。全ては完璧に、全ては緻密に。何者も平等に、何事も争わぬように。ひとつの物は他の物のためにあり、他の物はひとつの物のためにあるように。共存し、調和を保ち、良心に忠実であるように。

 想像が創造に変わると、理は廻り始める。あらゆるものをかたどり、根付き、物に命を宿らせる。このエネルギーの根源は愛にあるが故に永遠である。森羅万象は輝き、祝福に満ちる。


 物質界の創造は、理を支配する者にのみ付与される力である。究極の大昇華を果たした神ですら成し得ない。それは神が創造するのは精神世界であり、波動が低く俗物的な物質世界ではないと自負するからでもある。

 しかし輝きに満ち、愛に溢れているような、高い波動を持った物質界を創造できるとしたら——そのような者が存在するとしたら、神の自負など哀れである。

 現実に、神は見てしまった。かつて存在した物質界の誕生の瞬間と、純粋な美しさを。「見た」のは正確には一部の神だが、彼らは全体でもある。よって目撃者が一部であっても、それは全体に共有される。その衝撃は全ての者に届く。目撃者はすでに超現実の世界を抜け、叡智の及ばぬ場所まで来ているが、時空をものともせず超えて伝わるのである。

 そこで神は、生まれたばかりの世界はとてつもなく高い波動を放ち、創造者の愛が直接感じられるほど眩いものだと知った。物質界を貶めるのは人間の魂であり、真の神性を発揮できない神の愚かさであったと。だが今なら、大昇華を果たした今ならば、この高い波動を維持したまま暮らせるに違いない。

 目撃者が到達した世界に向かわなかった者は、それによって大きな後悔をした。これから出発しても、共鳴で感じている素晴らしさを自身で味わうまで、恐ろしく長い年月を費やすと知っているからだ。


 目撃者は彼らを励ましつつ、到達地の美しさを伝えた。神々が創造した楽園も最高と言えるが、その世界は究極と言えた。地は地として、水は水として、木は木として、花は花として、あらゆるものが己の役割を理解し、自ら光を発し、創造者の愛に答えている。完全なる調和が物質界で成り立っている様は、奇跡に等しい。

 いったい誰が——と目撃者は想い、同じ場所へ行くことを願う者は気持ちを(はや)らせた。

 目撃者の前には、地に突き刺さったまま錆びた剣がある。雪剛の魔剣だ。彼らをここまで導いたが、今はもう、手を触れただけで崩れてしまうことが予想できるほどボロボロだ。

 天に向かって立ち上る螺旋状の、黄金の柱の根元に刺さったわけであるが、突然回転を始めた柱に飲み込まれ、このようなことになってしまった。

 剣が鍵となって柱を回転させたのか、柱が活動するタイミングで剣が刺さり、巻き込まれただけなのか、判断はつかない。だが柱が消えると同時に世界が生まれ変わっていた事実と照らし合わせると、偶然必然に関わらず、かの強大な力が加わったのは間違いない。それは言わずもがな「理」である。神の力の及ばぬ摂理の働きだ。

 目撃者は、世界の誕生に関わる秘密が黄金の柱にあり、それを構築した者が存在することを確信した。究極の神となっても知り得ぬ神秘と、支配できぬ何か——手の届かぬ光があるのだ。

 触れることも叶わない摂理の力に恐れをなしていると、前方より強烈な光を放つ何者かがやって来た。目撃者は物陰に隠れ、そっと様子を窺った。


 至高の輝きと漆黒の艶を併せ持った臙脂色の髪。柔らかな光と癒しの力を秘めた淡い緑色の右目。静寂と星の輝きを宿した青い左目。背は高く、恐ろしいほど均整が取れている。究極の美を体現するとしたら、これに勝るものはないと断言せしめる美しい男。

 その者は、錆びて原型をとどめない剣に目をやり、眉をひそめた。後方に控えている男が首をかしげ、「なんだそれ」と尋ねる。彼は答えた。

「さあ、覚えがないな。理の核を置く場所には細心の注意を払っている。核に意識を集中した時にはなかった」

 声の響きに、目撃者は震えた。妙なる調べを聞くような心地よさには、懐かしさがある。

 彼は片膝をつき、足元のレモングラスの葉を指で撫でた。そして不安そうな面持ちで瞬いた。

「おかしい」

 連れの男が身をかがめて、葉を覗き込む。

「なにが?」

「記述の色が、微妙に違う」

「色? たとえば……どんなふうに?」

「基本は黄金だ。だが角度を変えるとわずかに違う光彩を放っている」

「わずかって?」

「……お前に見せても気付かない程度だが」

「ああ、そう。で、問題があるのか?」

「分からない」

「は?」

 彼は立ち上がり、辺りを見渡した。

「状態は完璧だ。一見すると今までと変わらない出来映えだ。むしろ少しいい」

 連れの男は身を起こして肩をすくめた。

「じゃあ、いいじゃん」

 すると彼は苦笑した。

「二千億年近く創造することをやめていたんだぞ? 腕が鈍る分でも上達することはない」

「分からないぞ? ゆっくり休むことで感性が鋭くなったのかも」

「だったら、途中でこの異物に気付いている。世界を創造する際に必要じゃない物の干渉があるのは危険だ」

「じゃあ必要だったのかも」

 連れの単純な返答に、彼はやや目を丸め、沈黙した。


 そこへ出て行くのは控えるべきかもしれない。

 目撃者は心の奥底から湧き出る欲求を必死に抑えながら思った。だが魂は正直だ。彼の立ち姿、眼差し、声——全身から放たれる光と溢れる愛。それがなんであるのか知っている、と叫ぶのだ。飛び出して行けと、心が命じる。行って伝えなければならない。その使命があるのだ、と。

 目撃者の中の一人の魂に刻まれた記憶は、神全体が共有している。このひとつの魂を通して見ていた光景は、すべての者に焼き付けられているのだ。

 かつても彼は露に濡れた草花を眺めていた。草花は美しかったが、彼は浮かない表情をしていた。大きな愛の光に導かれ、その正体を確かめたいという一心でやって来た。それなのに、無償の愛の根源である彼は寂しげに立っていたのだ。

 今も暗い顔をしている。何かを不安に感じているのだ。その不安が何であるのか、原因は明らかである。それは目撃者を導いた、彼にとって招かれざる客だ。

 目撃者は彼を見て、己が何をすべきか悟った。剣の導きの訳を理解した。と同時に激しい焦燥にかられた。それは物陰に隠れるという、些細だが愚かな行為が引き起こしたことだ。ひとつでも多く、わずかでも積極的に、彼には返さなければならないものがある。にもかかわらず不安を与えてしまったことへの、後悔だ。

 目撃者は思い余って、物陰から飛び出した。数は六。彼らは言った。

〝それは雪剛の魔剣の成れの果てです〟

 彼——泰善は絶句し、彼らを見つめた。光の球だ。しかし、ひとつひとつが意識を持ち、個性を持っている。

〝ワグナーの祈りが、ようやく成就したのです〟

 その言葉を聞いて、泰善の脳裏にワグナーの声が蘇った。

 それは化け物となって核を襲わないための祈りであり、泰善も予想していた最後の手段だった。また、スノーフィールド全住人の魂をひとつの剣に込めるとなると、強力な魔剣となる。界王たる泰善が封を施し、所有して管理することも承知していた。

 だが、それに伴う結末に関しては、誰にも予想ができなかった。むろんワグナーも確信を得ていたわけではない。しかしその判断をあの極限状態で選択することにより、万にひとつあるかないかの未来を切り開いたのだ。極めて薄い可能性にしがみつき、人霊に戻れる機会さえも捨て、魂を捧げることで、全ての願いを成就させたのである。

 神々の願いを結晶化させたワグナーの執念というべき信念に泰善は驚き、息を止めた。目に映る理の記述。それらが放つ光に混じって煌めく七色。それは泰善だけでは成し得ない、神だけでも成し得ない、新世界の輝きなのだ。

 そばに寄ってきたひとつの光球に手をかざすと、魂の形が現れる。白い髪に黄色い瞳の少年だ。もう姿を明確にするために肉体は必要ない。彼らは彼ら自身の力によって魂を飾ることができる。界王から貰わなければならないものは、すでにない。だからこそ泰善は、もう彼らの前に存在する意味はないと思っていた。しかし彼らは尚も求めてやって来たのだ。ただ傍らにあること、それのみを。


 泰善はシュウヤに見守られながら、六つの魂を新世界へ迎え入れた。やがて彼らに導かれ、全ての魂がここに集う——その日を夢見て、ゆっくりと目を閉じ、微笑んだ。

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