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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第十三章 完結
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27.超現実

 その日。

 天上界が大昇華を迎える百日前。

 泰善は毎日のように腰掛けていた椅子から離れ、ベランダに立った。頬を撫でる風と真っ青な空と緑の大地。描き続けてきた夢が終わる予感に、魂の震えを感じていた。

 死の印章の効力が細大漏らさず生かされるように監視してきたが、その必要性もなくなりつつある。見渡せば、辺りには神々の気が満ちている。成熟した魂たちの輝きが、全てを照らしている。

 ベランダに佇む泰善にシュウヤは歩み寄り、そっと肩を抱いた。

「どうした?」

 シュウヤの問いに、泰善は目を閉じた。

「俺の夢は終わった。神々の志は遂げられつつある」

 シュウヤは眉をひそめた。そういう言い方だと、神々の願いは泰善の望むところにないように聞こえる。これまでの泰善の考えと相反するのではないかと。

「逆じゃないのか? 神々の願いを実現することこそ、お前の夢だっただろう?」

 すると泰善はふっと笑った。

「この世は俺の想像によって創られた世界だ。それはある意味、(うつつ)であって現ではない。思考による現実は夢だ。昇華によって魂が現世(うつしよ)から解放された時にこそ、神々は真の現実を生きるだろう」

「真の現実……って、何だ?」

「意識という実体を持つことでしか得られない、現実を超越した現実世界だ。そこに負は存在しない。調和のとれた愛と光が支配する楽園だ」

 シュウヤは眉根を寄せた。その表情には悲壮感があった。

「そこに、お前は暮らせないのか?」

 泰善はうなずいた。

「神が自らの力で初めて開く世界だ。俺は必要ない」

「そんな」

 肩を抱くシュウヤの手に自分の手を重ね、泰善は反論を素早く封じた。

「祝福すべきことだ。自立しようとする子を引き止める親は愚かだろう」

 シュウヤは唇を噛んだ。理想郷の構想を後押ししたのも、流転の理から独立して、神々が自分の道をどう歩いていくのか見守る親の心境だったのかと思うと、返す言葉がなかった。しかしどうしても納得のいかないシュウヤは、思いの丈を吐き切ろうと努力した。

「でも、お前は親じゃない。神の憧れで、愛の根源で、求める全てだ。独立したって、自立したって、それは変わらない。そもそもみんなが頑張ってきたのは、お前に近づくためだ。お前から離れて生きることなんて、これっぽっちも考えてなかったじゃないか」

「魂が発祥した時から、神の歩む道は定められていた。その定めのために必要だっただけだ。いわば原動力だ。叶ってしまえばいらなくなる。きっと忘れる」

「なんだよ、それじゃまるで理想郷の時と同じじゃないか」

「ああ」

「あ、ああって……」

「物質世界を維持した楽園か、その上位である精神世界の楽園か——その違いだけで、根にあるものは変わらない。俺を必要としない世界の実現こそ、神が求めるべき道だ。道を極めた時、俺は全てから遠ざかるだろう。神々の記憶も例外ではない」

 シュウヤは泰善の肩を引いて、自分と向かい合わせた。

「なんで! なんでそんなことになるんだよ!」

 泰善は驚いて一瞬見開いた目を、軽く伏せた。

「完全な昇華を果たした神は、これ以上になく輝き、絶大な愛を得る。しかしそれ以上は決してない。そこが限界だからだ。俺を意識していては、神はいつまでも満たされないだろう」

 シュウヤは絶句した。神にとって界王は、永久に届かない存在なのだ。追うことの虚しさ、求めることの無意味さは、いずれ絶望へと繋がる。だから泰善は諦めているのだ。神々と共にあることを——

 動揺して、しばらく泰善を見つめていたシュウヤだが、ふとその場を離れて駆け出した。部屋を飛び出して向かったのは、帝人のところである。

「帝人!」

 魔族の事務室にいた帝人を捕まえ、シュウヤは声を張り上げた。いきなり怒鳴り込んできたシュウヤに驚きはしたものの、真剣な眼差しに押され、帝人は冷静に対処した。

「どうかしましたか」

「あ——足元くらいで妥協しろ」

 少し息を切らせつつ言ったシュウヤのセリフに、帝人は目を丸くした。

「は?」

「どうせそこまでだ。それが限界だ。下手に近づこうなんて欲かいたら、余計に界王のもとへは行けない。神が昇華の後どうしようと自由だけど、泰善のことを本気で想うなら、本当に一緒に生きたいって願うなら、限界を受け入れて、闇雲に近づこうとするな」

 帝人は唖然としながら聞き、シュウヤを見つめた。顔ではなく、その心を。

 愛する者を救いたいという一途な気持ち。神々の願いを叶えてやりたいという純粋な想い。そして絶望の中に光る一縷の望み。

「……それが、真の理想郷へ辿り着くための鍵のひとつとなりますか?」

 帝人の質問に、シュウヤは硬くうなずいた。

「ああ、たぶん。いや、絶対」

 その答えに、帝人は微笑んだ。

「わかりました。ありがとうございます」

 その後シュウヤが部屋へ戻ると、泰善はまだベランダにいた。ゆっくりと手を差し伸べる動作に惹かれてシュウヤが手を取ると、泰善は言った。

「発たなければ」

「え?」

「ここにはもういられない」

「で、でも、まだあと百日ある」

「当日まではいられない。この辺が潮時だ」

 シュウヤは泰善を見つめ、肩を落とした。

「……それじゃあ、みんなに挨拶を」

「いや、このまま行こう」

「ダメだ! そんなの」

「顔を見ればつらくなる。行こう」

 シュウヤはその意見に反対だったが、泰善の無表情な瞳の奥に隠された深い悲しみに吸い寄せられて、足が勝手に歩を踏んだ。すると景色が一変し、天上界よりも澄んだ空気が肺を満たした。

 始点界の青、結晶石の緑、そして真っ白な砂の大地。それ以外に何もない。

「宮殿を建てなかったんだが、あったほうがいいか?」

 言葉の背景を慮り、シュウヤは泰善を引き寄せて抱きしめた。

「いいよ、お前が造る気になったら造ればいい」

「……そんなことを言っていると、永遠に砂の上で過ごすことになるぞ?」

「あはは、それも悪くない」

 少しおどけてみせるシュウヤの背に、泰善は腕を回した。

 唯一の欲、唯一の情、唯一の他者——シュウヤは泰善にとって、自由の象徴だ。全知全能である彼が持つことの叶わなかった全てである。

 泰善は、シュウヤを抱く腕に力を込めた。何を失っても、これだけは失うわけにいかないと。

「新世界は無理だったが、それ以外の物ならなんでも創る。お前が望む物なら、なんでも」

 もしも自分に創造の力があったら、とシュウヤは嘆いた。もしなんでも創る力があれば、泰善のために何かを創ったのに、と。


***


 大昇華へ向けて邁進する神々は、界王が去った日を知ることはなかった。期限が残り千日に迫る頃には、すでに界王を訪ねることが不可能になっていたからだ。

 最上階の最奧に位置するシュウヤの部屋周辺は、途方もなくまばゆい光に包まれ、強い浄化の力に満たされている。近づけば大昇華の前に昇華してしまいかねない。最後にひと目と考えた者は多くいたが、いずれも叶わなかった。

 寅瞳は部屋の手前で立ち止まり、光を見つめた。生まれたばかりの頃に見たものよりも数倍明るく、数段崇高である。神々には限界があったが、界王にはなかった、その証だ。

 寅瞳は、界王が誕生した奇跡に想いを馳せた。それは、つらく苦しいものだったかも知れない。だがその存在の尊さが、神に愛を教えた。界王なくして、この世に愛は存在しなかったのだ。ゆえに界王は、神のためにあったと言っても過言ではない。だからこそ、これから先は神が界王のためにあらねばならないと。

 寅瞳は凛とした眼差しでまた光を見つめ、一礼した。

「貴方に恩を返せる日が必ず来ると、私は信じています」


***


 天上界を中心とした大昇華は、泰善にとってはもう遥か遠い昔の出来事だ。当日の百日前に新しい始点界へ移ったが、瞬間移動による彼らの時間が一秒足らずでも、距離にすると約一千億年の時差が生じるため、理論上、新しい始点界へ着いた時点で神々の大昇華は約一千億年前ということになる。

 無論、泰善の力をもってすれば、移動した瞬間の天上界へ戻ることはできる。体感時間に現実の距離や時差を合わせることが可能だからだ。が、戻らない場合は理論上の軸で時が流れるため、遠い宇宙の出来事は、遠い昔の出来事になってしまうのだ。


 ビッグバンよりも大きな爆発と衝撃。幾つものブラックホールを飲み込み、光のうねりの中に巻き込んでいく浄化の嵐。大昇華はその名に相応しい有終の美を飾り、愛と光の調和に満ちた世界を形成した。

 全魂が交わり、融合し、また分裂する。幸福に満たされた精神世界の中で、神々は「生きている」という実感を体験した。それは肉体を持って生きていた時とは違う、真に確かな感覚だ。器を離れた魂は自由で、意識は究極に鮮明である。

 強い光を放ちながら飛び交う魂の群れを先導する魂は、その手に剣を召喚した。雪剛の魔剣である。

〝さあ、今こそ人霊に戻る時。魂を解放し、界王のもとへ〟

 呼びかけに雪剛の魔剣は反応し、刀身を走らせた。あまたの魂は刀身の導きに追随する。

 それは果てしない旅だった。光の速度で移動しているにもかかわらず、何年経っても目的地は見えない。「奇跡」は、膨大な時間をかけ、途方もない距離を飛び越えなければ、到達しない場所にあるのだ。


 旅の長さは想像を絶した。みなが平穏な心を手に入れ、光の楽園にある。ここにいれば未来永劫、幸福でいられる。なにもこんな苦労をして新世界を築かなくても良いのではないか……そんな誘惑に負けそうになる時もあった。しかし、留まれば後悔することになるという共通意識を鼓舞し、神々の魂は広大な世界を移動した。

 やがて、物質世界で言うなら五千年という時間に匹敵する月日が経った。その長すぎる旅で、ついに脱落者が出た。ひとつ魂が歩みを止めると、ひとつ、またひとつと歩みを止める。彼らはふと「究極の神となって、調和のとれた光の楽園に暮らしているというのに、何のために剣を追うのか」と疑問を持ち始めたのだ。流れていく時の中で、情熱が薄くなると同時に記憶も薄れ、旅の目的がいつの間にか不明確になっている。それに気付いた一人の思考が周囲に伝染し、多くの者が立ち止まった。

 目的地も分からない。そしてどこまで行っても自分たちが築いた調和の世界が広がっているばかり。もしかしたら同じ場所をグルグル回っているだけなのではと思えた。

 叡智において、この世界は大昇華によって幾つかの宇宙が融合したものだと判明している。神の知識の中にこの世界のことは全てあり、知らないことはないはずだ。であるのに、そこに目的地についての詳細は一切なく、漠然とした形もない。

 幻影でも見ていたのか。現実はどこまで行っても、何もない。そしてどこへ行っても同じである。

 このような結論に至った神は、そこで旅を終えた。しかし本当に何の目的もなく五千年もの旅をしてきた訳ではないだろうと思った者は旅を続けた。剣が止まらない限り、追い続けねばならないという信念で飛び続けた。

 だが信念の強かったそれらの魂も、年追うごとに疑念を抱くようになり、一億年ほどの周期で脱落者を出した。出発から一千億年経った頃には、わずか六つの魂しか残らなかった。

 彼らとて、幾度となく止まりかけた。忘れてしまった目的のために続ける旅など無意味だと思った。でももし大切なことだったとしたら、必ず後悔することになる。行かずに後悔するよりは、行って後悔したほうがいいと、彼らは自身を奮い立たせて前へ進んだ。

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