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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第十三章 完結
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23.道を探して

 宝物庫へ駆け込んだ帝人は、銀製の箱に収められた雪剛の魔剣を取り出してみた。もう刺すような冷気は発していないが、重みのある魔剣は冷んやりとして、手の平の体温を奪う。

 今ではない。

 と帝人は魔剣を見つめつつ、思った。これを界王へ捧げるにはタイミングが大事だ。全ての民が昇華するに相応しいレベルへ達し、かつ魔剣に奇跡を起こさせるだけの力を蓄えなくてはならない。準備が万端整ったその時でなければ、意味がないのだ。

 七万四千八百六十九年——この期間に余すところなく完了しなければならない。チャンスは一度きりだ。

 帝人は魔剣を箱に収め直しつつ、ゆっくりと息を吐いた。


***


 さて、この容易ではない目標をどう周知させるべきかと、帝人が思案しながら最上階へ向かうと、シュウヤの部屋の前で沙石と寅瞳と楼蓮がたむろしていた。不審に思って声をかけると、三人はそろって肩をすくめた。

「親睦を深めたほうがいいんじゃねえかと思って来たんだけど、シュウヤが入れてくんねーんだよ」

「それで?」

「ねばってんの」

「理由は聞いたのか?」

「とにかく今は駄目だって」

 帝人はため息ついて、扉を叩いた。すると扉の向こうからシュウヤの声がした。

「しつけーな! 駄目なもんは駄目だっつってんだろ!」

「帝人だ。理由だけでも聞かせてくれないか。このまま廊下に寅瞳や沙石を放置するのはいただけない」

「ちょおっとお! 私は!?」

 対象に入れてもらえず憤慨する楼蓮に、帝人は真顔を向けた。

「下心のある乙女の心配をするほど暇じゃない」

 楼蓮はプウッと頬をふくらませて赤面した。

「だあってぇ、しょうがないじゃない」

「確かにしょうがない。想いを寄せても無駄な相手だ。諦めろ」

「ひどい!」

「ひどくて結構」

 帝人は言い捨てて、再び扉に向かった。

「訳を話す気はないのか?」

 扉越しに様子を窺っていたシュウヤは、苦笑いした。帝人は伊達に最高位ではない。こっちの機嫌を取るのもお手のものらしい、と。

「しょうがねえなあ。訳聞いたら、引き上げるか?」

「おう」

 沙石が答えると、シュウヤは「よし」とうなずいた。

「泰善がしばらく研究所にこもる関係で、泰明……つまり精霊を置いてったんだ。痛みを請け負ってんのは左側だけだからな」

 帝人以下四名は、目を丸めた。

「精霊、ということはつまり、三位一体の技を?」

「そうそう。でも今回は精霊だけ。負担になってる部分だけ切り離したってこと。研究っつっても、理とかいじる作業だから集中できないとマズイって理由で」

「では今、精霊だけが?」

「ああ。んで、いろいろ請け負ってる最中に本体から切り離されると——まあ、ぶっちゃけキツイって話で」

 ようは臥せっているという話だ。思ってもみなかった回答に帝人は少々戸惑った。

「何か手伝えることはあるか」

 帝人の動揺と心配を声の抑揚だけで感じ取ったシュウヤは申し訳ないと思いつつ、きっぱりと断った。

「いや、強いて言うなら部屋に近づかないことだ。悪いな」

「何故」

「今は痛みに耐えるので精一杯だから、俺が究極浄化の聖域作って結界代わりにしている有様だ。問題なのは泰明が終わりと死を司ってるってこと。制御が不安定だ。一歩踏み入れたら最後って思ったほうがいい」

 帝人は青ざめて一歩引いた。

「そんな重要なことを、どうして言わなかった」

「苦しんでるって分かってて何もできないのはつらいだろ? できれば知らないほうがいいかと思って」

 帝人は納得して沙石や寅瞳、楼蓮と視線を交わした。沙石と楼蓮は暗い顔をしてうつむき、寅瞳は今にも泣きそうにして唇をかんだ。

 帝人はもう一度、扉に向かった。

「そうか。すまなかった。しばらくは誰も近寄らないよう警告しておく」

「ああ、よろしく」

 帝人らが去っていくのを音で確認したシュウヤは、ようやく扉に背を向けて部屋の中を眺めた。いや、もはや部屋ではない。そこは宇宙のように真っ暗な闇と無数の銀河が生まれては消える空間だ。泰明は力なく宙に漂っている。ベッドに横たわるよりは楽らしいが、あんまり浮上されると看病がしづらいので、シュウヤは腕をつかんで引き下げた。

「ったく、早く帰って来てもらわないと、カオスなことになりそうだ」

 シュウヤがぼやくと、泰明がうっすら目を開けた。冷たく美しい始点界の空が広がるような青い瞳。シュウヤが思わず見とれると、泰明はつかまれていないほうの手で、その頬を軽く叩いた。

「……しっかりしてくれ」

 シュウヤは我に返って瞬いた。

「あ、ああ、ごめん」

 シュウヤはバツが悪そうに頭をかいてから、またチラリと泰明を見た。

「始点界へ帰ったほうが良かったんじゃないのか?」

「天上界は崩壊の危機を脱して安定した軌道に乗ったばかりだ。管理がいる」

 シュウヤは肩をすくめた。

「何かあったら俺が知らせるよ。これまでだって、そうしてただろ?」

 シュウヤは理想郷のあいだ週一で偵察していたことを言ったのだが、泰明はかすかに首を横へ振った。

「状況が違う。何かあってからでは間に合わない」

「死の印章は?」

「ここが崩壊寸前の世界だったことを忘れてるんじゃないのか? 延命処置だと言っただろう。死の印章は傷を覆い隠すための包帯みたいものだ。過度な期待はするな」

 シュウヤは渋い顔をした。

「泰善は、何か考えがあって研究所に向かったんだろ?」

 泰明は即答せず、目を閉じて静かに息を吐いた。

「何も——何も考えが浮かばないから行ったんだ。あるいは」

「……あるいは?」

 尋ねてみたが、またすぐに答えは返らなかった。言うべきか迷っているのは明らかで、シュウヤは促すように泰明の身体を引き寄せた。

「言ってくれ。秘密はなしだ」

 泰明はまぶたを上げ、瞳にシュウヤを映した。その顔は途方もない時、泰善を支え続けた顔である。秘密は確かに裏切りだろうと思えた。それでも泰明は言いにくそうに、喉の奥で息を声に変えた。

「あるいは、己を殺さずに排除する方法を、考えているのか」

 シュウヤは目をわずかに見開いたあと、ぐっと奥歯を噛み、握った拳を胸に当てた。

「そんなこと、もうさせない。つか、俺との約束はどうなったんだ。真の理想郷は」

「真の、理想郷か」

 泰明は自嘲ぎみに微笑して、再び目を閉じた。

「それは夢だ、シュウヤ。決して俺が願ってはいけない、ただの夢……」

 語尾は囁くような声だったが、二人しかいない静かな部屋ではよく聞こえた。深い眠りに落ちた泰明の身体を腕に抱きながら、シュウヤは悔しくて泣いた。

「望んでいるなら、願えばいい。願ってくれ。無償の愛なんて、もういらない。俺たちは、もらいすぎた。もらいすぎて、持ちきれないんだ。だから、もういらない」


***


 シュウヤの悲痛な訴えを遠い世界で聞いた泰善はうつむいて、風に揺れるレモングラスを見つめた。

 研究所と言っても四角い建物があるわけではない。天上界がある宇宙とは別の宇宙——この宇宙、この世界、すべてが研究所だ。実験に失敗しても、ほかの宇宙にはまったく影響しない。そういう意味では、始点界以上に隔絶された世界と言えるだろう。

 泰善は両腕を少し持ち上げて広げ、顎を上げた。どこまでも広がるレモングラスの草原の中央に、巨大な光の螺旋が立ち上る。理の基本形だ。これを元にいくつもの複雑な理の記述を折り込んでいくと物が創造される。そしてさらに発展させ大きく膨らませていくと、理が機能して世界が成り立つのだ。

 基礎は完全だ。故にいじりようがない。問題は枝葉の記述である。

 もしすべての民を一度に召喚できるなら、ここに完璧な流転の世界を築けばいい。真新しい世界なら、数億年は安泰だ。しかし同宇宙間の移動ならともかく、別の宇宙への召喚は物理的にも倫理的にも、理の性質的にも不可能だ。実行するには「転生」という方法以外にない。だが「死」を失った者は転生をおこなえない。

 真の理想郷を描くか、昇華を受け入れるか、選択肢はその二つ。逃げ道などないのだ。

 それでもそれ以外の道があるなら探してみたいと、泰善は精霊を切り離すというリスクを負ってまで来てみたのだが、神が生まれた日から回り出した理は、もはや撤廃しようのない力で世の中に根付いてしまっている。界王としての能力と影響力の大きさがここへ至らしめたのだ。これを皮肉と言わず何と言うのか。

「失うことは、怖くなかったはずだがな」

 泰善は理を紡ぐ螺旋状の光の柱に向かって呟いた。

 一度理想郷を叶えた天上界の昇華となると、それを内包する宇宙ごと昇華する大昇華となるだろう。その際には始点界も昇華に巻き込まれる。始点界は究極浄化の源であるから、大昇華をさらに巨大な昇華へと導くことは必至だ。そうなると近隣の宇宙も影響を受ける。連鎖的な昇華が起こることは予想でき、泰善は幾つもの宇宙を同時に失う。それこそ一から創り直す気力も削がれるほどに。

 神さえ納得して受け入れるなら、それでもいい。だがどこまで受け入れられるのか現状では怪しすぎるため、なおのこと泰善を悩ませるのだ。


***


 それから、何人(なんびと)もシュウヤの部屋には近寄れない日が二週間続いた。本体はいっこうに帰還する気配がなく、精霊の容態も良くなる様子はない。大御神と燈月の影響もあって、界王への恩を返していこうという気運が高まりつつあった矢先だったので、皆もどかしさと無念さが募る毎日であった。

 その日の午後。

「ああもう! これ以上放っておけないぜ!」

 と痺れを切らせた沙石が立ち上がった。今後の天上界の指針を話し合う会議の席だ。五位以上の天位者や神界出身の高名な神々が集まる場である。

 帝人は額に手の平を当ててゲッソリした。

「お前は時と場所を少しわきまえられないのか。いくら核で二位とはいえ、自由すぎるぞ」

「うっせー! オレはずっと考えてたんだ。部屋に近寄らないことが唯一できることだって言われても、やっぱ納得できねえ。オレたちにだってやれることあるはずだ」

「何がやれるんだ?」

「それを今、話し合やぁいいんじゃね?」

「思い付いてから発言してくれ」

「オレ一人でいいアイデアなんか思い付くわけないじゃん」

「では、その議題は終わりだ」

「はあ!?」

「何かできるならとっくにしている。私だって考えているんだ。だがどうしようもない。今はただ神が神として、正しく生きるしかない」

「お前ってホント、言うことつまんねーな。どうしようもなかったら諦めんのか? そんなんでいいと思ってんのか」

「いいと思っていないから、これから神々が歩むべき道について話し合っているんだろう」

「それが界王の助けになんの?」

「おそらく」

 沙石は脱力したように椅子へ腰を落とした。

「はぁーあ、分かったよ。もうオレは黙ってる」

 沙石が落ち着いたところで、帝人は会議に出席した者の面々を見た。すべての記憶を取り戻したのはわずかだが、自分も含め、みな徐々に失われた記憶を取り戻しつつある。それゆえに、界王を心配する声も多く上がってきている。しかし沙石を諭したように、今できることはない。未来のために何をすべきか考えるのが先決だ。

「真の理想郷を確立するための、奇跡の鍵は得た」

 と帝人は言った。唐突に聞こえる宣言に、全員が目を丸めた。が、帝人は淡々と説明した。

「しかしこれを生かすには、まだ力不足だ。効力を最大にするためには、使うタイミングも、神々の精進も欠かせない。もし最大限に生かせない場合は、失敗する」

 大御神が眉をひそめた。

「何が必要じゃ」

「すべての民が、昇華するに値する魂を得ること。我々がひとつになった瞬間に、鍵を使うことだ」

「ひとつになる瞬間に何があるんです?」

 とは燈月が尋ねた。帝人は正面を見据えた。

「これまでの経緯や状況、あらゆる事象を見る限り、我々はおそらく、界王の力をひとつずつ借りている状態なのだと思う。ということはつまり、すべての魂がひとつになる一瞬だけ、界王と同じ力を得ることができるはず。むろん、力量は半分か何分の一かだろうが、その原理でいくと、理に干渉することも可能だ」

「まじか」

 だんまりを決めるつもりだった沙石が驚きのあまり声を上げると、大御神が身を乗り出した。

「どのように干渉するつもりじゃ」

「創造する。己のためでなく、界王のための世界を、我々が創造するんだ」

 あまりにも壮大なことに、みな思考がついていけないという顔でポカンとした。

「……できんのか?」

 沙石の素朴な疑問に、帝人はうなずいた。

「やるんだ。それしか道はない」

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