01【鷹塚編】
昔、傾国するほどの美女と謳われた女がいた。名は藍林。何人もの男が彼女に求婚したが、選ばれたのは天上界屈指の大財閥家当主、鷹塚光永であった。
光永は「まことに美しい女だ」と妻に迎える女を誇らしく思い自慢にした。その後、一男四女をもうけ幸せに暮らしていたが、結婚から三百年経ったある日。彼女は家を出て行った。使族の男と駆け落ちしたのだ。
男とのあいだにも子を一人授かった。名を再挧真という。再挧真は使族系有翼種——つまり天使だった。しかしただの天使ではない。二十五位と比較的高い天位を持ち、めずらしい銀の翼を持っていた。銀の翼は大きくて美しく、その羽根をお守りに持つと幸運が訪れるという評判が立つほどだった。
もちろん根も葉もない噂だ。藍林は「こんな噂のために無用な災いが訪れはしまいか」と、名前はもちろんのこと所在や素性まで隠したが、再挧真を心配するあまり病に倒れ帰らぬ人となった。
鷹塚光永の末子で一人息子の空呈は、よその男と逃げた母を最期まで恨むことはなかった。すでに大人だったこともあるが、父・光永の愛が先に冷めていたことを知っていたからでもある。だからといって、父をも責めることはしなかった。
光永はその頃、時おり商談に訪れる男に密かな恋心をいだいていた。この男というのが、始終いい女に目移りしている空呈でも、目で見て追う時は格別な想いをいだかせる存在だったのだ。
男は飛鳥泰善といった。あらゆる賛美を役立たずにしてしまうような美貌で、絶世の美女である藍林も、莫大な財力を持つ光永も、またどのような名声を勝ち得た者であろうと、太刀打ちできる相手ではなかった。
母が去って三十年が過ぎたころ。
空呈は父より受け継いだ新事業の拡大にあたって泰善と仕事をする機会を得た。近くで見ると泰善はますます美しく、空呈は何度も絶句してしまった。そのたびに泰善は少し困った顔をした。
「聞いているのか?」
「あ——ええっと、申し訳ない、飛鳥殿。どこまで話しましたか」
空呈は、鷹塚の血を濃く受け継いだ空色の髪をクシャクシャとかき、目を伏せた。
「泰善でいい。葡萄農園の候補地で二件交渉が難航していると」
「ああそうか。……やっぱり利益分配する方法がいいのか、それとも、いっそ倍の値で買うのが正解だろうか」
「長い目で見れば買いだろう。しかし向こうにしてみれば利益の何割かを吸い上げるほうが、のちのち良いに決まっている。うまくいかなかった場合を想定するなら、こちらは利益の一部を渡していく形が利口だろうし、向こうは高値がついたところで売ってしまうほうがいい。結局あの土地が生きるか死ぬかだな」
「あちらを立てればこちらが立たず、か。あなたはどう視る——泰善?」
問いかけられて、泰善は不敵に笑んだ。
「俺なら買いだ。三倍の値を出してもいい」
空呈は息をのんだ。
「自信がおありか」
「まあな。この手の勘をはずしたことはない」
「では二倍の値で交渉してみよう」
「それがいいだろう」
泰善は立ち上がって帰り支度をした。空呈も立ち上がった。
「ところで、報酬は本当に葡萄酒でよろしいのですか?」
「ああ。新しい農園で素晴らしいものができると信じている。今から楽しみに待つさ」
そんなことがあってから一週間後のこと。
空呈の前に青の鳳凰が現れた。界王の手によって息を吹き返した再挧真を預けに来たのである。空呈に断る理由はなかった。かねてより「いつか逢いたい」「いつか一緒に暮らしたい」と願っていたからだ。
***
空呈にとって、幼い再挧真は弟というより息子のようだった。明るく素直で、あまり手をかけない典型的な良い子——空呈にもよくなついた。時々おびえた目をすることもあったが、空呈がそばに寄れば、その不安も解消されるようだった。
残念なことに家の者は再挧真に冷たかったが、空呈はめげることなく可愛がり続けた。それは再生の天使であるか否かは関係ない。心から愛していたのだ。
兄弟といえば女ばかり。両親は離婚。言い寄ってくる女はみな金目当て。鷹塚家は彼にとって無味乾燥地帯だった。そんな中、風のたよりに弟が生まれたことを知り、美しい銀の翼を持った天使と聞いた時は、心躍るように嬉しい気持ちになった。なんと誇らしい弟ができたことだろうと、それはそれは喜んだのだ。
しかし光永は「再挧真に逢いたい」という彼の願いを退け、その暇を与えぬようにと厄介な仕事ばかりを押しつけた。空呈はそんな父を恨んだこともある。いくら愛が冷めていたとはいえ、また「元妻が見知らぬ男とのあいだにもうけた子など、かわいくない」という感情は致し方ないにしても、一人息子である自分の希望をそんな形でしか踏みにじれなかった性根が悲しかったのだ。
だが青の鳳凰に託されてはどうしようもない。光永も受け入れざるを得ない様子で首を縦にふった。
その再挧真も十二歳になり、天位十五を得ると使族の宮殿へ入廷した。頼る者が兄しかいない鷹塚家を出て独立したいという願いを、空呈も聞き入れた。
これを機に再挧真は鷹塚の名を伏せた。正統な鷹塚の人間ではないのだし、名に甘えることなく生きたいという希望があったからだ。また、再生の天使であることも隠したがった。心の傷が癒えていないのは明白であった。界王さえも動揺して理を枉げるに至った、凄惨な出来事だったのだ。無理もない。
***
宮殿内において、天位があるというだけで素性の知れない再挧真の扱いは、悪くはないが良くもなかった。鷹塚家にいても似たような立場だったので本人は気にしなかったが、気にかけてくれる人物もいた。使族長の一人、土万妝だ。
知的で優しい彼女を、再挧真は綺麗な人だと思った。実の姉のように慕ったが、おそらく初恋の相手だった。その想いは日々強くなり、二十歳になった時、再挧真は告白した。
「僕の天位が一桁になったら、結婚してほしい」
断られること覚悟だったが、彼女はうなずいた。再挧真と同じ気持ちだったのだ。
しかし甘い喜びも束の間。三女神の代表である季条間の猛反対にあい、たとえ天位が上がっても、すぐにどうこうというわけにいかなくなってしまった。
「季条ったら、自分が男嫌いだからって、人の恋路を邪魔することないじゃない」
土万はよく麗にグチった。麗は春色の瞳をまたたかせ、なんと返していいのか迷った。
「きっとそのうち認めてくださるつもりなんだわ。あんまりアッサリ認めては、お二人のためにならないとお考えなのよ」
「そうかしら? 絶対そうは思えないけど。単なる嫌がらせだわ」
「どうして?」
「彼、今の天位は十二よ。八十年で三位も上げたわ。それほどの彼をダメと言ったら、ほかに誰がいるっていうのよ。知ってる? この前も馬屋の修繕をさせたりして、なんのつもりかしら。とても天位十二の神にさせる仕事じゃないわ。バカにしてるったらありゃしない」
「う、うーん、それは確かにヒドイかも」
「かもじゃなくて、そうなの!」
そんなある日。
彼女らの前に飛鳥泰善が現れた。聖剣をおさめるために呼ばれたのだ。そして彼の口から、再挧真が再生の天使であることを知らされたのだった。