01【魔族編】その壱
迂闊に背を奪われ、膝を砕かれ、捕虜の身となって早数ヶ月。両腕を鉄鎖につながれ牢の暗闇で息をしている男は、殺伐とした眠りから覚めた。不意に頭をもたげ、開いた両眼に生気をみなぎらせる。見た目は三十歳前後だが、齢は千五百歳を越えたところだ。眼差しは金色。短髪は象牙色。顔立ちは端整と言っていい。
名は燈月。青を基調とした詰め襟の丈長外套は神族の長たる証だ。彼が捕虜となったのには、もちろん、それなりの事情がある。
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神と人とが共存する遥か高みの世界——そこは天上界と呼ばれている。すべての始まりと終わりを支配する万物の超越者・界王によって、神々や人々に与えられた最後の楽園だ。
民は天上人と呼ばれているが、かつては下界にあった。そこで大自然に恵まれた聖なる世界「天界」を崇めて暮らしていた。種族は三つ。霊力を根源とする神族、魔力を根源とする魔族、聖なる力を根源とする使族である。
彼らは決して交わることはなかったが争うこともなく、日々精進し、いつか天界へ上がる日を夢見ていた。
下界において初めて神となったのは、使族の季条間という女性である。界王が制定した天位制度に基づいて、人から神に昇格したのだ。
天位とは神の位を示す。九千九百九十九位に始まり一位に終わる。ここで天位を授かった者は、神として終わりの一位を目指すといわれている。一位には世界を理想郷とする力があるとされ、神の中の神という名誉が与えられるからだ。しかし一世界唯一の存在であるため先達者となることが大切だ。また理想郷を目指している天上界にとっても必要不可欠である。仮にこれを目指さぬ世は、やがて滅びるといわれているゆえだ。
そして神々が期待するのは理想郷の確立だけではない。一位の神として認められた暁に界王の腹心となることこそ、大いなる夢であり野望であった。界王はそれほど絶対的で、完全だった。有限世界と無の世界をあまねく支配する超越者なのだ。腹心となればこの世に怖いものなどない。
季条も御多分にもれず一位を目指して切磋琢磨した。他者もそれにならった。やがて多くの民が天位を得、彼女が四十九位を授かった時。界王は天界と下界とを結び、世界をひとつにした。名は天上界と改められ、神々が政をおこなう神代の世界として、新たな歴史を刻むことになったのである。
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時は流れ、天上歴五三六〇年。共存の道を行きながらも特に干渉せずやってきていた三種族間に不穏が訪れた。
魔族長『通称:魔神』飛儚介瀬匠覇碕悠崔と、使族長『総称:三女神』の季条間、土万妝、海野拡果が同時に天位三を得たことが発端とされている。
魔族と使族、はたしてどちらが世界の先導者としてふさわしいのか、という論争が起こり、天上界全体を巻き込む抗争へと発展したのだった。
この三年後、神族の最高指導者六名がともに天位三を授かったが、現在天位二に最も近いとされる覇碕悠崔と季条間がその権威を主張して、神族長らが論争へ介入することを退けようした。
憤った神族は天位三位者が最も多いことを盾に、魔族・使族間の争いをおさめ、三種族の力の均衡を目指そうと決起する。
天位を持たぬ天上人の多くは、その種族にかかわらず神族の理想を支持した。魔族政権と使族政権を司る者たちには不都合な事態であり、より神族に対する敵意を増幅させたことは言うまでもない。
魔族は使族と、使族は魔族と剣を交えながらも、神族の勢力をおさえることに躍起になった。
五三六五年。歳の頃はまだ百五十(身体年齢十五)と、若年にして高い天位を得た長をかかえる魔族は一方で、使族の長らに遅れをとるまいと頭を悩ませていた。天位は四、称号は大魔王である長の側近ら三名は、その日も膝を突き合わせて思案に暮れていた。
魔族政権の中枢にある者は黒を基調とした丈長外套の着用が義務づけられている。軍用も兼ねているので制服のようなデザインだ。
ほかの政権においても、脛まで届く丈の外套は政権の中心における正装であり、色が決まっている。
魔族は真の闇に近い黒であればあるほど天位が高い。襟が大きく立って、鋭角な先が肩に向かって垂れているのが特徴だ。使族は白を基調としたダブルボタンにセミピークドの襟で、天位が高いほど純白に近いものを着用する。神族は青を基調とした詰め襟のもので、天位の高い者は記章をつける。
それを身にまとう彼らは、たいてい二十代から四十代といった外見をしている。しかし実年齢は一千歳から四千歳を越える。天上人がもともと歳をとりにくい性質を持っているのに加え、天位者は不老となるためだ。
また老人になって天位を得ると若返り、未成年者は成人するまで成長したのち不老となる——つまり、おのれの最も輝ける世代に姿をとどめるのだ。後日、魔族の捕虜となる燈月が千五百歳にして男盛りに見えるのは、そうした理由だ。
「天位三位者の数だけをいえば我々は不利だ。とくに魔神は若い。ゆえに指導力も乏しく、正直な話、形勢は思わしくない」
ヒゲをたくわえている一八〇センチ強の背の男、由良葵虎里は言った。
「そうは言っても仕方ない。なんとか私たちで支えるしかない」
細いつり目で色白な熟女が答えた。彼女の名は凪間成柢。大魔王ら三名の中で最も早く天位四を得た頼りになる女性である……はずだが、ここではキッパリとした案を出せずに軽く目を伏せた。
その横でやたらと図体のでかい男が腕組みをする。身長は二五〇センチ。筋骨隆々で顔も厳つい。名は麁和津琴京だ。
「そういえば最近すごい噂を聞いた。北方で嵐を起こしている魔剣を封印し、おさめた封術師が現れたとか」
成柢は琴京の言葉に反応した。
「雪剛の魔剣を?」
「ああ」
「本当だとしたら確かにすごい。どこの何者か分かっているのか」
「東の〝日の射す街道〟あたりに居を構えているという話だ。名は飛鳥泰善」
「なんだ、とくに謎めいてはいないのか」
「界隈では有名な封術師らしいからな」
成柢は顎をつまんだ。
「その者、もしや使えるかも知れん」
「使える?」
「魔剣を譲ってもらうのだ」
「譲ってもらって、どうするというのだ」
「雪剛の魔剣の強さは、おぬしとて承知であろう。それを高名な封術師に魔神へ献上させれば箔がつく」
「はたして、うまくいくかな」
「封術師ごとき、言うことを聞かせられないようでは魔族政権もこれまで。しぶるようなら金を積んでも惜しくはない」
琴京は虎里と視線を交わし、成柢の考えにうなずいた。