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私が目を覚ますと、そこに魔女の姿はなかった。「エリュガード……メアリー……魔女は?」
気絶していたせいか掠れた声で二人に問う。だが、返ってきたのは重い沈黙だけだった。
その静寂が、何よりの答えだった。
「……私達の命は、取らなかったのね。なら、どうして……お父さんの命だけ……!」
エリュガードとメアリーが無事だったことへの安堵と、父を奪ったあの女への底知れぬ憎しみで、心がぐちゃぐちゃにかき乱される。なぜ、私達は生かされたのか。なぜ、あの人だけが……。
父は、生涯を捧げるほど愛した女に、なぜ殺されなければならなかったのか。分からない。分からないからこそ、許せない。
「ねえ、エリュガード」「なんだ、シャーナ」「私、決めた。これからの、私の人生を懸ける目的を」「……それは?」
「魔女を……殺す。たとえ、あの人が私の母親だとしても……! お父さんを殺したあの魔女を、この手で絶対に殺してやる!!」
私の絶叫を受け止め、エリュガードは静かに目を伏せる。彼なりに、私が叩きつけた重い覚悟を懸命に受け止めようとしているのが分かった。
そして、次の瞬間。彼の蒼白い顔に、決意の炎が灯った。それは8歳の少年が宿すものとは思えないほど、激しく、そして大きな炎だった。
「シャーナ、俺も手伝う。あんたの父さんが殺されて、黙っていられるわけがない。それに……お前は、俺が死なせない。絶対に」
「……ありがとう、エリュガード。本当に、ありがとう」
彼は優しい。優しいからこそ、私がこれ以上傷つくのも、死ぬのも見たくないのだろう。彼の頬を、一筋の涙が伝うのが見えた。
「なあ、シャーナ」「……なに、エリュガード?」「魔女の目的……知りたくないか。あいつが俺達を待つ、『約束の場所』についても」
彼の声には、大切な人を失った者特有の哀愁と、魔女への静かな憎しみが滲んでいた。
きっと彼も、私達には見せないだけで、心にぽっかりと穴が空いているのだ。
「もちろん。魔女を殺すためなら、どんな情報でも欲しい」
喉から手が出るほど、情報が欲しかった。彼の問いに、否やはない。
「そうか……。単刀直入に言う。魔女は、お前に『七つの大罪』と呼ばれる悪魔を倒してほしいそうだ」
「……続けて」「そして、その悪魔共の魂を使って、この世界に新たな花畑――『クロニクル・エヴァーガーデン』を創り出すつもりらしい。その花畑では、死者が蘇る。……たとえ、あんたの父さんでも、な」
「……何、言ってるの? それじゃあ、私達が魔女に協力しろってこと?」
空気が、凍てつく。私の中に生まれた鋭い拒絶が、氷のような声となってエリュガードに突き刺さった。本当は、こんなことを言いたいんじゃない。でも、彼は私の決意に頷いてくれたはずだ。なのに……。
エリュガードは、一体何を考えているの?
「いや、違う。シャーナ。……魔女は殺す。絶対にだ」
凍りついた沈黙を破った彼の言葉は、私の想像を、遥かに超えていた。
「シャーナ。利用するんだ。あの魔女を。……あんたの父さんを蘇らせるために」
「魔女を利用して、お父さんを復活させる……そんなことが、本当に可能なの?」
「ああ、そうだ。シャーナ。……信じられないかもしれないが、クロニクル・エヴァーガーデンの力が本物なら……」
本当なら、か。
エリュガード……君は、その保証もない〝賭け〟を信じるというの?
そして何より、エリュガードは一つ勘違いしている。
私は彼の驚く顔を意にも介さず、その真意を確かめるように顔を近づけて威圧した。
「でも、エリュガードはその花畑を見ていないでしょ」
「……」
沈黙……か。期待、してたのにな。
「何か言ったらどうなの? エリュガード」
「……見たことが、ある」
「えっ? エリュガード?」
「なんで、今まで思い出せなかったんだろう。僕の生まれた場所の名前を。……故郷の名前を」
「エリュガード……もしかして、何か分かったの?」
「今の父さんや母さんとは違う……血の繋がった親が出会った場所。それこそが、僕の本当の故郷だ」
彼は何かに憑かれたように、ふらりと歩き出す。
「どこへ行くの!? エリュガード!」
「エリュガードお兄ちゃん、顔がこわいよぉ!」
私とメアリーが慌てて追いかけると、エリュガードは振り返って私達に微笑んだ。
「ありがとう」
その微笑みと感謝の言葉の意味は分からなかった。それでも、私は信じる彼に微笑み返した。これまでだって、こんな絶望的な状況を何度も覆してきたのは、エリュガードの閃きだったのだから。
「行くべき場所が分かったのね、エリュガード!」
「ああ、待たせたな、シャーナ。俺たちが行くべき場所は……隣町のツングースカだ。そこに、探し求めた答えがある!」
そうして私達は、荒野の中、目に涙を溜めて走り出した。
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二週間後。
「エリュガード……」
「いや、まだどこかに手がかりがあるはずだ! シャーナ、待ってくれ! 次は……! ……ない、よな。分かってる」
「うん。そうだね、エリュガードお兄ちゃん。行けるところは全部行ったよねぇ」
「はあ……本当は、俺だって分かってる。あの時の記憶が偽りだったなんて。もっと早く気づいていれば……」
「エリュガードお兄ちゃん、それに気づいたの、昨日だよ」
「エリュガード……あなた、一体何をしてるの?」
私達は、揃ってため息をついた。
父が死んで二週間。
あの日の悲しみは、まだ少しも癒えていないのに。
私達は、一体何をしているんだろう。
「あの……シャーナさん?」
その柔らかな声に、私ははっとした。あまりの懐かしさに声のした方を振り向くと、彼女がいた。
私は、駆け寄ってその体を強く抱きしめていた。
彼女の顔を見ているうちに、同じ父親を失った者同士の共感か、途端に涙が溢れ出す。
そんな私を見て何かを察したのか、彼女は優しく私の頭を撫でながら言った。
「本当に、お久しぶりです。シャーナさん」
彼女の名前は、エルザ・ハーヴェスト。
私の、大切な友達だ。




