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『異世界転生でアイドル目指します。』  作者: 星空りん
第三章 声にならない願い
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65 聖女の檻、祈りのかたち

 第二聖堂は、聖都の中心にそびえる白亜の建築群のひとつであり、宗政評議の場として知られていた。

 神殿よりも実務的な空気を纏い、内部は厳粛で、静寂に満ちている。


 セレスティアが通されたのは、その最奥に位置する円形の会議室。

 中央には演壇があり、その周囲をぐるりと囲むように、高位神官や政治顧問たちが座していた。


 その最上段。ひときわ高い席に座していたのは――


「聖女セレスティア。……ようこそ」


 重く、威厳ある声。


 宗政評議長・マルティアス・クレヴィン。


 老いた外見ながら、澄んだ双眸と整えられた銀髪。立ち上がらずとも、空間に圧を与えるような存在感。


 事実上、教皇ともいえるこの男が、今日の場を導くというのか。


「先日の祈祷における行動について、我らは“公的な聖女としての適格性”を審議せねばなりません」


 マルティアスの言葉は柔らかく、それでいて有無を言わせぬ響きを持っていた。


 セレスティアは一歩、演壇へと進み出る。

 自分の足音だけが、静寂に響く。


 そして、視線を逸らさず、まっすぐに告げた。


「……わたしは、命を救いたいと願い、祈りました。形式ではなく、命に向き合う祈りを」


 議場の空気がわずかに動いた。


「それは、教会の統制を無視したということですか?」


 中段に座していた若き神官が声を上げた。


「違います。無視したのではありません。……ただ、“それだけでは足りなかった”のです」


 彼女の言葉は、聖なる壁のように閉ざされた議場へ、ひとつの風穴を開けるように響いた。


 マルティアスの目が細められる。


「“足りなかった”……と?」


「はい。規定の祈祷には、誰かの命に触れる“温度”が欠けています」


「形式だけでは届かないものがある。だから、わたしは祈ったのです。“聖女”としてではなく、“セレスティア”として」


 数名の神官が顔をしかめた。


「……あなたは、自らの祈りを“個”の領域に持ち込むつもりか?」


 別の神官が、あからさまな不快の色をにじませながら問う。


「祈りは、常に“個”から始まるものです」


「それが女神に届き、やがて“救い”として形を成すのだと、わたしは信じています」


「教義に従わない祈りは、異端と紙一重です」


 その声には警告の色があった。

 そして、誰もがその言葉の重みを理解していた。


 “異端”。


 それは、ただの規律違反ではない。


 神の名のもとに“罪人”とされ、社会から葬られる烙印。


 だが、セレスティアは怯まなかった。


「それでも、祈ります」


「誰かの命が、救いを求めている限り、“わたし”の祈りは止まりません」


「……たとえ、この“聖環ノクティア”がわたしを縛っても」


 彼女の手が、再び首元の冷たい金具に触れる。


「これは制御の象徴。でも、わたしの心までは縛れません」


 マルティアスが、わずかに目を閉じた。


「……ならば、問います」


「その祈りが、教会の意思と食い違ったとき、あなたは“どちら”を選ぶのですか?」


 その問いは、まさに審問であった。


 セレスティアの瞳が、揺れることなく彼を見据える。


「わたしは、“命”を選びます」


「それが女神ノクティアの御心であると、信じているからです」


 議場に、長い沈黙が落ちた。


 その沈黙は、承認でも拒絶でもない。


 ただ、彼女の存在が、“規律”と“信仰”の狭間に生きているという、その事実を突きつけていた。


 このあと、宗政評議会がどのような判断を下すのか。


 それはまだ、決まっていない。


 だが、確かなことがひとつあった。


 ――セレスティアは、もはや“ただの聖女”ではない。


 枷をつけられたまま、なお自らの祈りを選ぶ“異端”の聖女。


 それが、今ここに立つ彼女の姿だった。


◇ ◇ ◇


 その日の午後、セレスティアは再び聖女寮の自室へと戻されていた。


 けれど、それは“帰還”というにはあまりにも静かすぎて――まるで、“軟禁”に近いものだった。


 見張りの神官が扉の外に立ち、室内には外界の音ひとつ届かない。


 まるで世界から切り離されたような空間で、セレスティアはひとり、祈りの石を手に、椅子に座っていた。


(あの場で、わたしは……“宣言”してしまった)


 異端ともとれる言葉。


 けれど、心は不思議なほど静かだった。


 恐れは、なかった。


 むしろ、あの瞬間から初めて、自分の“祈り”に誇りを持てた気がしていた。


 女神ノクティアが、沈黙の奥で何かを感じ取ってくれた気がして。


 そのときだった。


 扉の外で、足音が止まる音がした。


 鍵が静かに開き、顔をのぞかせたのは――


「……あなた」


 中に入ってきたのは、聖都近衛の副長を務める青年、ルディス・フレイだった。


「大丈夫か」


 短く、けれど真摯な問い。


「わたしなら、大丈夫。でも……あなた、ここに来ていいの?」


「ああ。宗政評議の判断が下るまで、誰も君に直接触れることは許されていない。だから、僕は“触れない”」


 苦笑を含んだその声に、セレスティアの頬が緩んだ。


 ルディスは彼女の前に膝を折り、少しだけ顔を伏せる。


「……君の祈りを、僕は見ていた。あの子の命が救われた瞬間も、母親の涙も……全部」


「なら、あなたも“異端を見た”のね?」


「いや。あれは、“奇跡”だったよ」


 彼の言葉は、まるで自らの信仰を再確認するような、穏やかな響きを持っていた。


「君のような祈りが、もっとあっていいと思う。けれど……それが“制度”に触れると、教会は動かざるを得ない」


「わかってる。でも……」


 セレスティアは首を振った。


「わたしは、もう戻れない。誰かの意志に従って、枷のまま祈るだけの聖女には」


 その言葉に、ルディスは少しだけ瞳を伏せた。


 だが次の瞬間、まっすぐに彼女を見据えて言った。


「……君が祈り続ける限り、僕は君を信じる」


 その短い言葉が、どれほどの力を持つのかを、セレスティアは知っていた。


 支えを求めていたわけではない。

 けれど、それでも。


 誰かが“わたし”としての祈りを信じてくれることが、どれだけ心強いかを。


 ほんの一瞬、目の奥が熱を帯びる。


 だが、涙はこぼれなかった。


(もう、泣かない)


(わたしの祈りが、誰かの命に届く限り)


(わたしは、歩いていける)


◇ ◇ ◇


 その夜、セレスティアはひとり、窓辺で静かに星を見上げていた。


 聖都の夜空は、雲もなく澄んでいた。


 高い塔の影が聖女寮を覆う中、彼女は小さくつぶやく。


「……ノクティア様。わたしの祈りは、間違っていませんでしたよね?」


 応える声はない。


 けれど、胸の奥に、やわらかな温もりが広がる。


 その感覚こそが、答えだった。


 “祈りは、従属ではない”


 “祈りは、わたしの意志で選び取るもの”


 そう信じることで、彼女は、また歩き出す力を得ていた。


 たとえ、教会がそれを“反逆”と呼ぼうとも。


 たとえ、この身に枷が嵌められ続けようとも――


 その祈りは、確かに、未来へと繋がっている。


 静かなる反逆の祈りは、今も、夜の空に捧げられていた。



 けれど、その小さな“反逆”も、すぐに見逃されなくなった。


 祈りによって癒された者がいたこと――そして、その奇跡が、セレスティア自身の意志から生まれたものだったことは、すぐに教会全体へと伝わった。


 「聖環による制御下で起きた祈りではない。これは、危険な兆候です」


 「意志を持った祈りなど、再現性が担保できない。我々の教義に背く行為だ」


 そう断じられた彼女は、速やかに“聖女寮の自室”から隔離され、

 《監視強化処置》として、現在の“聖女の檻”――魔術結界で封じられた個室へと移された。


 それは、名目こそ“保護”とされていたが、実質的な“拘束”だった。


◇ ◇ ◇


 夜の祈りも、もう許されていなかった。


 ――たとえ、それが、誰にも見られぬ部屋の中であったとしても。


 セレスティアは、かつて自室の片隅にひざをつき、ひっそりと祈りを捧げていた。誰の指示でもなく、誰の承認も得ず、ただ自分の心に従って。手を組み、目を閉じ、名もなき誰かの痛みに想いを寄せた、その時間。


 だが今、その静けさすら奪われていた。


 喉を震わせようとすれば、喉元に巻かれた《聖環ノクティア》が鈍く脈打ち、警告音のように重く響く。祈りの言葉は咎となり、ひとりの想いは“異端の兆候”と断じられる。


 部屋の扉は施錠され、窓は半透明の結界で覆われていた。

 ここは、もう“部屋”ではない。誰より神に近いとされた少女が、最も孤独に閉じ込められる“聖女の檻”。


 それでも、セレスティアは机に向かっていた。


 祈れないなら、せめて言葉に残そう。

 声が許されないなら、筆先に想いを込めよう。


 白紙のノートに、彼女はひと文字ずつ綴っていく。


 「この祈りが、誰かに届くのなら――」


 そこに神の名はなかった。

 書かれていたのは、ただひとりの少女の、誰かを想う気持ちだけ。


 セレスティアは、筆を止めると、手元のノートをそっと閉じた。


 ページの端には、小さく震えた指で書かれた名前がある。


 「……マルシェ」


 その名を口にした瞬間、《聖環ノクティア》が静かに反応した。

 魔力の波が、首元から喉へとせり上がる。だが彼女は顔を歪めながらも、声を殺してそれに耐えた。


(“禁句”……? 名前を呼ぶだけでも……)


 もう何が許されて、何が咎とされるのかも分からなかった。

 祈りも、感情も、記憶すらも管理されていく。けれど、それでも。


「……消せない。わたしの心は、わたしのままだもの……」


 ――コン、コン。


 不意に、扉をノックする音が響いた。


 警備か、監視か、それとも……彼女の胸がわずかに高鳴る。


「セレスティア様、聖務院よりの使いです。聖環の調整を行いますので、立ち上がってください」


 金属質な声。機械のような淡々とした口調は、祈りではなく命令にのみ従うためのものだ。


 (……祈りの力を“測定”し、“再現”させるために?)


 何度も繰り返されてきたその“調整”。

 意識を朦朧とさせる魔導波、神経に差し込まれる針のような制御術式。


 祈りのたびに、彼女の体は少しずつ削られていく。


 だけど、それでも彼女は、祈ることをやめない。


 扉が開き、白衣をまとった魔導技師が数人入ってくる。無表情に、儀式の準備が始まる。


 セレスティアは立ち上がりながら、小さく息を吸った。


(せめて――誰かひとりでも、わたしの祈りを信じてくれるなら……)


 その言葉は、声にはならなかった。


 けれど確かに、祈りと共に、彼女の胸の奥に灯る。


 消えそうで、消えない、小さな灯火のように。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。


第65話「聖女の檻、祈りのかたち」、いかがでしたでしょうか。


制度と信仰。祈りと統制。

セレスティアがその狭間で、自分の意志を貫こうとする姿は、決して華やかでも、劇的でもありません。


けれどそれは、“声なき祈り”が確かに存在するという、静かなる証明でした。


聖環に縛られ、祈りすら奪われた檻の中で、それでも彼女は“心だけは自由でいよう”と願う――

この話は、そんな小さな灯火の物語です。


物語は、いよいよ次の段階へと進みます。

それでも祈り続ける少女に、どうか、もう少しだけ寄り添っていただけたら嬉しいです。


もし、あなたの中に何かが残ったのなら──

ブクマや評価、そして感想など、そっといただけると励みになります。


また、次の祈りのなかで。


⸻ 星空りん

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