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『異世界転生でアイドル目指します。』  作者: 星空りん
第三章 声にならない願い
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57 私が選んだ祈り

57 私が選んだ祈り


 私は、その日も祈った。


 けれど、祈るたびに、どこかが少しずつ削れていくような感覚があった。


 白銀の儀具は、今日も祈祷の台に据えられていた。


 誰もそれに触れようとはしない。

 けれど、それが“私のためのもの”であることは、誰もが知っていた。


 魔力を“記録するための器具”。

 祈りを“計測するための儀式”。


 それが、今の私に与えられている“場所”だった。


 誰かのために願う気持ちが、どこに記録されるのだろう。

 数値になど、できないはずの想いが――今は、測定されていた。


(これは、本当に祈りなのかな……)


 心の中で、そうつぶやいたとき、

 胸の奥に、すうっと冷たい風が吹いた気がした。



 その夜、私は久しぶりに中庭へ向かった。


 月は雲に隠れていた。

 けれど、風は静かで、夜気はやわらかかった。


 私は、人気のない噴水の縁に座り、手を膝の上でそっと重ねた。


 言葉は、浮かばなかった。


 けれど、それでも祈りたいと思った。


 誰かが泣いているとき、私はそばにいられない。

 でも、せめて、その涙を知ることだけはできるかもしれない――


 その思いが、胸の奥にじんわりと広がっていった。


(……誰にも見られなくても、祈れる)


 そう思ったとき、心が少しだけ軽くなった。


(記録されなくても、数値にならなくても)


(……祈りは、わたしの中にある)


 声に出さなくてもよかった。

 神さまに語りかける言葉は、胸の奥にだけ宿っていた。


 誰もいない空間。

 でも、確かに何かが“聴いている”ような気がした。


「……ノクティア様」


 ごく小さな、風よりもかすかな声で、名を呼ぶ。


「今日も、誰かの痛みに触れられますように。

 たとえ、見返りがなくても。

 たとえ、誰にも気づかれなくても。

 それでも、祈れる私でいられますように――」


 沈黙が、そっと祈りを包んでいった。


 まるで、夜そのものが“返事”のようだった。



 しばらく、私はただ座っていた。


 月はまだ姿を見せなかったけれど、

 木々のざわめきが、どこか心をなでるようにやさしかった。


 ふと、手のひらを見つめた。


 何も持たない、小さな手。

 でも、誰かの痛みを包む力が、ここに宿っていると――今なら、信じられた。


(……祈りは、わたしの中にある)


 誰が測らなくても。

 誰が認めなくても。


 “祈れる”ということそのものが、

 私がここにいる証なのだと――今、ようやく思えた。


◇ ◇ ◇


 その日、私は呼び出された。


 講義の終わる直前、神官が扉の外に立ち、私の名を告げた。


「……セレスティア・ルミオール。本日午後、中央礼拝堂にて“特別祈祷”の任を仰せつかります」


 淡々とした言い回し。

 けれどその声音には、“断ることはできない”という圧が滲んでいた。


「……承知しました」


 私は立ち上がり、教本を静かに閉じた。


 講堂にいた者たちは、誰も私を見なかった。

 それでも、空気が変わったのを感じた。


 私が歩くそのあとに、静けさが残った。



 午後。中央礼拝堂。


 長椅子が整然と並ぶ空間の奥、壇上に設置された祈祷台には、あの白銀の制御儀具が備えられていた。


 その傍らには、リメルの姿。

 そして、複数名の高位神官たちが静かに列席していた。


 私は何も訊かず、ただ一礼し、壇上に上がる。


「……本祈祷は、加護の実証として記録されます」

 記録官のひとりが、淡々と読み上げる。


「対象:第一級神官カルモス・イレーリ。

 高熱と昏睡状態により、治癒魔法および薬療効果が停止。

 これまでに複数名の高位治癒術者および祈祷者が試みるも、いずれも効果を示さず。

 本件は聖堂監査局による要請のもと、最終的措置として、“祈祷加護”の顕現を試みるものとする」


 その説明が終わると、奥の扉が開き、

 担架に乗せられた一人の男がゆっくりと運ばれてきた。


 顔色は悪く、呼吸も浅い。

 額には冷たい汗が滲み、意識はなかった。


(この人が……)


 何も知らぬまま、私は“命のはざま”にいる人を前に座らされた。


「祈ってください」


 そう言ったのは、リメルではなかった。


 上座にいた年長の神官が、一歩、こちらへ向かってきた。


「あなたの祈りが、“加護”と認められるものであるならば……今こそ、それを示しなさい」


 まるで、試すような口調だった。


 私は、手のひらを重ねた。


 でも、指先がほんの少しだけ震えていた。


(……これは、“祈り”じゃない)


 “祈らされる祈り”は、祈りじゃない。


 私は、誰かの命を救いたいと思っている。

 けれど、誰かに証明するために祈るのは、違う気がした。


(……それでも)


 目の前の神官が、苦しそうに唸り声を漏らす。


 意識のないその人の息遣いが、かすかに聞こえた。


 私は、そっと目を閉じた。


(この人が、明日を迎えられますように)

(この痛みが、やわらぎますように)


 ただ、その願いだけを胸に浮かべる。


 祈りに名前はいらない。

 評価も、証明も、奇跡の演出もいらない。


 ただ、祈りたい。


 そう思ったとき、自然と口が動いていた。


「……ノクティア様。

 この方の、眠りが穏やかなものでありますように。

 沈黙の中に、やすらぎがありますように。

 どうか、あなたの闇が――この人の痛みに、そっと寄り添ってくれますように」


 祈りは、やわらかく胸の奥から流れていった。


 制御儀具が、小さく振動する。

 足元の刻印が、黒く深い紫の光を放った。


 静かだった。


 けれど――その光は、確かに祈りに応じていた。


 空気が、少しだけ温度を持って変わる。


 担架の上の神官が、うっすらとまぶたを震わせた。


「……う……」


 誰かが、息を呑んだ。


「っ、目が……開いてる……!」


 記録官の筆が止まり、神官たちがざわめく。


 私は、ただ手を組んだまま、目を閉じていた。


 この祈りが、ただ“ひとつの命”に届いてくれたのなら――

 それだけで、私は十分だった。



 祈りが終わったあとも、私はしばらく目を閉じたままだった。


 記録官たちの筆音は止まり、空気はぴたりと固まっていた。


 誰も言葉を発さなかった。


 高位神官たちは何かを確認するように視線を交わし、

 儀具の揺らぎを示す魔力反応を黙って眺めていた。


 それでも――


 私の中には、ひとつの“確信”が芽生えていた。


 祈りは、届いたのだ。


 証明はいらない。

 評価も、称賛もいらない。


 ただ、あの神官が――

 ひとときでも苦しみから解放されたのなら。

 その瞳が、わずかでも光を映したのなら。


 それだけで、十分だった。



 その日以降、私の立場が目に見えて変わったわけではなかった。


 “ノクティアの加護を持つ者”という囁きが、教会のどこかで流れ始めただけ。


 それが称賛だったのか、畏れだったのか――わからない。


 けれど、それでも私は、祈ることをやめなかった。


 以前よりさらに、静かに。

 誰にも見られぬ場所で。

 誰の記録にも残らぬ祈りとして。


◇ ◇ ◇


 夜。

 私はまた、中庭の隅に立っていた。


 風はやわらかく、冬の冷たさはもう遠ざかり、春の匂いが混じり始めていた。


 空には、いくつもの星が瞬いていた。


 けれど私は、ただ静かに俯いたまま――

 指先に残る熱を、そっと胸の上で感じていた。


 祈り終えたあとの手は、ほんのりとあたたかく、

 そのぬくもりだけが、自分の内側に灯る光のように思えた。


(……誰の記憶にも残らなくても)


(この想いが、誰かの痛みにそっと触れたのなら――)


 それだけで、私はここにいられる。


「……声がなくても、想いは届く。

 言葉にしなくても、祈りはここにある」


 小さく、小さくつぶやいた。


 それは、誰にも聞こえないような囁き。

 けれど、私の中には、確かに響いていた。


(……わたしは、“祈れる”)


 その事実だけが、今の私を支えていた。


 誰の光にもなれなくていい。

 闇であってもかまわない。

 沈黙の中に、ほんの小さなあたたかさを残せるなら――


 私は、この祈りを手放さない。


◇ ◇ ◇


 私は夢を見た。


 誰のものでもない空間で、誰の声でもない“静けさ”が私を包んでいた。


 その中で、私は確かに祈っていた。

 名を呼ばず、姿を求めず。

 ただ、そこにある“痛み”に向けて――


 優しく、手を差し伸べるように。


 そして、闇の中で。

 誰かがそっと、私の手を取ってくれた気がした。


◇ ◇ ◇


 翌朝。

 私はまた、静かに歩き出した。


 監視されていることは変わらない。

 距離を置かれていることも、変わらない。


 でも、それでも。

 私は“祈れる私”のままでいたかった。


 祈ることしか、できないのではない。

 祈ることを――私は、選んでいるのだと。


 そう、胸の奥で、静かに呟いた。

第57話「私が選んだ祈り」を、最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。


誰かに求められて祈るのではなく、自ら選んで祈る。

セレスティアがその一歩を踏み出すまでの過程を、静かに、でも確かに描きました。


“祈ることしかできない”という言葉に、縛られるのではなく、それを「選ぶ」こと。

たとえ誰にも届かなくても、記録されなくても、光ではなく“闇”に寄り添う祈りであっても。

それでも――自分の意思で、祈るということ。


そんなセレスティアの祈りが、少しでもあなたの心に触れていたら嬉しいです。


もし物語を気に入っていただけたら、「感想」や「ブクマ」、「いいね」で想いを残していただけると励みになります。

静かに歩き続ける彼女の祈りに、あなたの言葉や気持ちを重ねてもらえたら、とても心強いです。


次回も、“祈りが祈りであり続けるために”――彼女が選び続ける姿を、丁寧に描いていきます。

どうか、これからもそっと見守っていただけたら幸いです。

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