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『異世界転生でアイドル目指します。』  作者: 星空りん
第三章 声にならない願い
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56 ノクティアの聖女

 「――本日付けで、あなたは“監視対象”と指定されました」


 そう告げられたとき、私は、ただ小さく頷いた。


 感情は、浮かばなかった。


 驚きも、怒りも、悔しさも。

 何もなかった。


 けれど、それは決して“受け入れた”わけではなかった。


 ただ、もうそうなるとわかっていた。

 この数日間、誰も口には出さないけれど、誰もが私を“別のもの”として見るようになっていたのだから。


「……わかりました」


 自分の声が、他人のもののように聞こえた。


 リメルは、いつもと変わらぬ表情で私を見ていた。

 けれど、その眼差しの奥には、かすかな揺らぎがあった。


「あなたの居室には、今後“観測用の加護石”が設置されます。祈りの記録は自動で集積され、定期的に報告されます。……拒否することはできません」


「はい」


 それも、わかっていた。

 祈りに“強い反応”が現れてしまった以上、教会がそれを放っておくはずがない。


 問題は、“私”ではなかった。

 私の“祈り”だった。


 それが、教会にとって“計測すべき対象”になっただけのこと。


「……セレスティア様」


 リメルが口を開きかけて――そして、やめた。


 言葉を選びかけて、選べなかったのだろう。


 それが、彼女なりの精一杯の誠実さなのだと、私は理解していた。


「――失礼いたします」


 静かに頭を下げて、私は部屋を出た。



 廊下の先にある、淡いステンドグラスから差し込む光が、足元に影を落としていた。


 その影が揺れないように、私は慎重に歩いた。


 心が揺れると、影も揺れてしまいそうだったから。


(……監視、か)


 それは、罰でも、拒絶でもない。

 けれど、それは“信頼されていない”という証だった。


 私は、何もしていない。


 ただ、祈っただけだった。


 誰かのために。

 誰かの痛みがやわらぐように。

 誰かの明日に、小さな光が残るように。


 その祈りが、“測定不能”という結果になっただけ。


 けれど教会は、それを“制御されるべきもの”として扱う。


 ――まるで、それが“危険物”であるかのように。


 歩きながら、ふと自分の手を見た。


 薄い指先。

 傷も、汚れもない。

 この手が、誰かを傷つけたことなど、一度もなかった。


 なのに、今は。


 この手が生み出した祈りが、“監視される”という現実だけが、私に貼りついていた。



 その夜。

 私はまた、中庭に出た。


 月は欠けていて、夜空は深く静かだった。

 風が吹いていたけれど、冷たくはなかった。


 石畳の片隅に座り、私は手を組んだ。


(……祈ってはいけないなら、私はなんなの?)


 ふと、そんな思いが浮かんで――


(でも、祈ることしか……できない)


 私は、それしかできなかった。


 魔法も使えない。

 剣も持てない。

 癒しの術も、奇跡も、私の意志で起こせるものではない。


 それでも、私には“祈る力”があった。

 ただ、それだけがあった。


 そして――


(祈れるなら、それでいい)


 そっと、目を閉じた。


 静かな夜。

 誰にも見られていないはずの空の下。


「……神さま。わたしは、今日も祈ります。

 誰の許しもなくても、誰にも理解されなくても。

 この手が、祈れる限り――わたしは、わたしのままで」


 風が、ひとすじ、頬を撫でた。


 それは、誰かの手のように、やわらかくてあたたかかった。


◇ ◇ ◇


 翌朝から、目に見える変化が始まった。


 祈りの場では、私の周囲にだけ“空白”ができるようになった。

 誰も声をかけないし、目も合わせない。

 それでも、気配は確かに感じる。

 誰かが私を“観察している”という気配が、肌にまとわりついていた。


 講義中も、必要以上に私の席には近づかなくなった。

 用件があっても、私以外の者に回されていく。

 廊下を歩けば、私の足音だけがやけに響く。


 誰も何も言わないのに、すべてが、はっきりと“拒絶”を物語っていた。


(……闇属性、というだけで)


 それだけで、人はこれほどまでに距離を置く。


 私が何かをしたわけではない。

 けれど、“何かをするかもしれない”存在として、扱われている。


 監視対象――その言葉が、今の私の立場だった。



 それでも、私は祈り続けていた。


 講義の終わった夕刻。

 食事を終えてから、私は書庫の奥の誰もいない一角で手を組んだ。


 もう“祈祷”と呼べるような儀式ではなかった。

 誰かに見せるためでも、記録に残すためでもない。

 ただ、息をするように、心の奥から自然と“願い”がこぼれていた。


(……誰かの痛みが、やわらぎますように)


 言葉にはならなくても、想いはそこにあった。


◇ ◇ ◇


 そんな日々の中で――


 数日ぶりに、あの姿を見た。


 午後の講義が終わり、私はひとり、講堂の脇を歩いていた。

 陽の落ちかけた時間帯、建物の影は長く伸びていた。


 通路の向こうから、小柄な影がひとつ、こちらに向かってくる。


 ――マルシェ、だった。


 あの日、祈りによって救った少女。

 それ以来、ほとんど言葉を交わしていなかったけれど、私は彼女の顔を覚えていた。


 マルシェもまた、こちらに気づいた。


 歩みを止めかけて――けれど、そのまま静かに通り過ぎた。


 声は、かけなかった。


 でも、すれ違うその瞬間――

 ふと、視線が交差した。


 ほんの一秒にも満たない、けれど確かに、目が合った。


 彼女は、何も言わずに軽く頭を下げた。

 それだけだった。


 でも、私の胸の奥に、淡く小さな何かが残った。


(……あのときのこと、忘れてないんだ)


 祈った日。

 届いたかもわからなかった願い。


 けれど、今、マルシェの視線は、確かに“覚えている”ことを教えてくれた。



 その夜、私は久しぶりに心が揺れていた。


 小さな灯火のように。

 目を凝らさなければ見えないほどの、ささやかな揺らぎだった。


 でも、それでも私は――祈った。


「……今日も、祈れました。

 たった一瞬でも、誰かに届いていたと思えたから。

 だから、どうか。わたしの祈りが、また誰かに寄り添えますように……」


 風が、ほつれた髪を揺らした。


 夜はまだ冷たかった。

 でも、その風がどこか、やさしく感じられた。


 その頃、私は知らなかった。


 私の“祈り”が、教会の中でひとつの議題として扱われていることを。


◇ 


 その日の夜――

 聖堂本庁の中層区画、外部との通話や転送を遮断する“結界封鎖室”のひとつ。

 通称《会議の間》。

 教会の上層幹部たちが、実務的な方針を協議するために用いる密議の空間だった。


 重厚な長机を囲むように、数人の高位神官たちが集まっている。

 その中央には、一枚の魔力反応記録表が広げられていた。

 黒と紫で塗りつぶされた測定値の断片が、淡く、そして不吉に光を放っていた。


「……確認はニ度。いずれも同様の反応」


「測定石の異常ではなく、“本人由来”と断定してよい」


「問題は、“それが意図によるものか否か”だろうな」


「――いずれにせよ、通常の祈祷とは異質です」


 低い声が交差する。


 慎重さの裏に、警戒と恐れが滲んでいた。


「彼女の属性は“闇”と判明している。加護反応も確認済み……つまり、“ノクティアの聖女”ということになる」


 その言葉に、室内がしんと静まる。


「……女神ノクティアは“信仰の対象”にはあれど、“顕現の巫女”を擁する前例はない」


「光のリュミエルと並ぶ存在であっても、“沈黙の女神”に仕える者を、どう扱うかは……前例が、ない」


「扱いを誤れば、“聖女制度”そのものの信頼に関わる」


 神官たちのまなざしが、再び記録表へと落ちた。


「よって――我々は、以下の措置を講じるべきと考える」


 一人の神官が静かに紙を差し出す。


 そこに記されていたのは――


 《制御制限具の導入および、祈祷時の魔力封緘試験実施》


「祈りの強度を可視化するための測定儀具は、すでに旧記録庫に残されています。

 “魔力制御の戒具”と呼ばれた、試作の祈祷封じ。……対象に対し、強制的な制限を」


「……使用は未認可だ。倫理規程に抵触する」


「だが、あの子の祈りは“倫理”を超えている。

 このまま放置すれば、制御不能の魔力が自律的に発生する可能性もある」


 言葉の交錯が、どこまでも静かで、どこまでも冷ややかだった。


 そして――


「……あの子は、いずれ“聖女”の象徴になるだろう。

 ならば、今のうちに“型”を定めておくべきだ。

 “ノクティアの聖女”とは、何者であるかを――」


◇ ◇ ◇


 翌朝。


 私はまだ、そんな会議が行われていたことなど、夢にも思っていなかった。


 ただ、また変化があったことだけは、すぐにわかった。


 祈祷の場に用意されていた、“新しい儀具”。


 私が祈るときだけ置かれる、白銀の装置。

 祈りの際、両手を重ねる位置に導線が配置され、足元には刻印が彫られていた。


「……これは?」


 誰に聞くでもなく、私はつぶやいた。


 けれど、答える者はいなかった。


 それが何を意味するかを知っている者も、知らない者も。

 みな、黙ったまま、私の祈りを“観察”していた。


(……記録されてる)


 そう思っただけで、胸の奥が、ひやりと凍るようだった。


 けれど――それでも。


 私は、祈った。


 誰かのために。

 誰にも見えないところで、誰かが泣いているのなら。


「……今日も、届きますように」


 祈りの言葉は、抑えた声で、そっと空へと放たれた。


 周囲の誰もが、その声を“数値”で測ろうとしている中で――

 私は、自分の内側にだけ、微かなぬくもりを感じていた。

セレスティアが“ノクティアの聖女”と呼ばれはじめる、その第一歩を書きました。


誰かのために祈ること、それだけを信じてきた彼女の祈りが、“記録されるもの”として扱われていく――。

この静かで苦しい変化が、やがて彼女の中に小さな決意の光を灯していく物語です。


感情を声にせず、ただ祈り続けるセレスティアの姿が、もし少しでもあなたの心に残っていたら――

その想いの一端を「感想」や「ブクマ」、「いいね」という形で届けていただけると、本当に嬉しいです。


皆さまの反応は、物語を続けていく上での何よりの支えです。

どうか、静かな祈りの行方を、これからも見守ってください。


次回も、沈黙のなかで灯る小さな希望を綴っていきます。

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― 新着の感想 ―
ここ数話の流れから、 『dreaming bird』(アイカツスターズ!の曲)を思い出した。
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