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『異世界転生でアイドル目指します。』  作者: 星空りん
第三章 声にならない願い
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55 祈りのかたち

 その週の終わり、私は再び呼び出された。


 けれど今度は、中央礼拝堂ではなく――

 “魔力測定室”と呼ばれる、教会の奥に位置する重厚な部屋だった。


 石造りの厚い扉を抜けると、そこはひんやりとした空気に包まれていた。

 中央には、黒曜石を思わせる巨大な魔力反応石。

 六属性に応じた魔術刻印が床に彫り込まれ、淡く光を宿している。


 「セレスティア・ルミオール。祈りによって発生する魔力を測定いたします。通常通りの祈りをお願いします」


 神官の声は冷静で、儀式のようだった。


 私はうなずき、測定石の前に立つ。



 深く息を吸い、手を胸の前に重ねる。

 目を閉じて、静かに、祈り始めた。


「……神さま。今日も、誰かが笑えますように。

 誰かの悲しみに、小さな灯がともりますように。

 この祈りが、ほんの少しでも、誰かの救いになりますように」


 その瞬間だった。


 測定石が、低く、唸るような震動を放った。


 石全体が黒い光に包まれ――次の瞬間、闇属性の紋が、眩いほどの深紫に輝いた。


 「――!」


 記録官が身を乗り出す。


 「……属性反応、闇。測定値、上限超過……!? 魔力総量、規定基準を超えて計測不能……!」


 他の属性紋は微かに揺らいだだけで、光を持たなかった。

 ただひとつ、闇属性のみが圧倒的な濃度と強度で反応を示していた。


 私は、目を開けた。

 何が起きたのかは分からなかった。

 けれど、測定室の空気が――明らかに変わっていた。



 「……魔力総量、測定上限を超過」


 その言葉が、測定室に静かに響いた。


 記録官たちは顔を見合わせ、何人かは測定石の反応値を確かめ直していた。

 けれど、石の表面に浮かび続ける濃密な黒い光は、明らかに“例外”の兆しだった。


 「闇属性、単一反応。……構文なし、外部干渉なし。

  純祈由来と見なしてよいか?」


 「可能性は高い。だが……この魔力量は、候補生の枠を超えている。

  いや、正規の神官クラスと比較しても、上回っている……」


 そんな声が、小さく交わされる。


 私はただ、立ち尽くしていた。


 祈っただけなのに。

 ほんのいつも通りに、誰かのために祈っただけなのに。


 なぜ、こんなにも世界がざわめくのだろう。



 測定後、私は何も告げられないまま、神官に付き添われて部屋を出た。


 廊下に出ても、心の中のざわつきは収まらなかった。

 足元がふわふわとして、身体の輪郭がぼやけているような気がした。


(闇属性……)


 私は、それが何を意味するのかを、まだよく知らない。

 けれど、教会の中で“光”と並ぶ象徴的な位置にある属性が、“闇”であることだけは知っていた。


 光は、希望。

 闇は、沈黙。


 どちらも女神の一柱として信仰の対象にはなっている。

 だが、現実として、闇に強く反応する存在は――常に“注意の対象”とされていた。


 静かすぎる力。

 形を持たず、誰かの影に寄り添うようにして現れる魔力。


 目に見えにくく、言葉にもなりにくいもの。

 だからこそ、恐れられやすい。


 (でも、わたしの祈りは――)


 ただ誰かを想って、願っただけだった。



 数時間後、リメルが私の部屋を訪ねてきた。


 「測定、終わったのですね」


 彼女の声はいつもと同じだった。

 でも、目の奥に何かを探るような光が宿っていた。


 「記録は正式に保存されました。……あなたの祈りは、教国の観測史においても例外的な“濃度”とされるでしょう」


 「……悪いこと、なのでしょうか?」


 思わず聞いてしまった。

 それは弱さではなく、ただ、知りたかった。


 “祈るだけではだめなのか”と。


 リメルは、ほんの一瞬だけ言葉を止めてから、静かに答えた。


 「……悪いかどうかは、まだ誰にも判断できません。

 でも、あなたが祈ってきた日々が――“闇”の女神ノクティアに届いたということは、記録として残るでしょう」


 私は、ノクティアという名を改めて意識した。


 “夜と沈黙”の女神。

 光の対極に立ち、すべての苦しみを抱いて眠る者。


 その名を、私の祈りは知らずに呼んでいたのかもしれない。



 翌日から、私は再び奇妙な距離感の中に立つことになった。


 神官たちの視線は、以前よりさらに慎重で、測定後の祈りには必ず監視がつくようになった。

 食堂では、私の席だけが半端に空いていた。


 “闇属性”。

 その一語だけが、私の周囲の空気を変えていた。


 何かを言われたわけではない。

 でも、皆の沈黙が“壁”になっていくのがわかった。


 それは、祈りを拒まれることよりも苦しかった。


 (……私が、もし“光”だったら――)


 誰にもそんなことを言われたわけじゃないのに。

 私は、そんなことを考えてしまっていた。


 その瞬間、自分の胸がひどく痛んだ。


 (――それは、願っていたことじゃなかった)


 光でも、闇でもない。

 誰かの痛みに寄り添いたいと、ただ祈っていたはずなのに。



 夜。


 私は、また中庭に立った。


 空は月が欠けていた。

 けれど、風はやわらかくて、少しだけ春の匂いが混じっていた。


 目を閉じて、手を組む。


「神さま……」


 声が自然にこぼれた。


「今日、わたしは少しだけ迷いました。

 闇であることを、誰かが嫌がるのなら、祈ることも怖くなってしまうって……」


 でも――


 「それでも、私は祈りたいです。

 この手が、誰かの痛みに触れられるのなら。

 名前を呼ばれなくても、届く場所があるのなら。

 どうか、それを間違いだと思わずにいられますように」


 沈黙の中で、風がまたひとすじ、通り過ぎていった。


 まるで、何かが“いいよ”と呟いてくれたような気がした。


◇ ◇ ◇


 数日が経った。


 周囲の態度は変わらなかった。

 けれど、私の中に少しだけ変化があった。


 “闇属性”。

 その言葉が示すものに、最初は戸惑いしかなかった。

 けれど今では、それが私にとって“ただの記録”ではなく――

 私の祈りの色であるように感じ始めていた。


 暗がりの中で、誰かの痛みに寄り添う祈り。

 名前も顔も知らない人に、そっと灯りを届けるような――

 そんな祈りが、確かに“ここ”にあったのだと。


◇ ◇ ◇


 ある日の午後、また測定室から連絡が来た。


 “再測定の必要性あり”――

 記録官たちの間で、私の魔力量が“誤記ではないか”という疑問が挙がっているという。


 それは、私にとってはどうでもいいことだった。

 数値がどうであれ、私の祈りが“誰かのため”であることに、変わりはなかったから。


 けれど、それでも私は応じることにした。

 この力を、ただ否定されないために。

 “祈ることしかできない”私自身を、貫くために。



 再測定は、最初のときよりも緊張した空気だった。


 部屋の隅には、教導区の高位神官らしき人物もいた。

 リメルの姿もあったが、彼女は何も言わず、ただこちらを見つめていた。


  私は、何も語らずに測定石の前に立った。


 そして、ただ、祈った。


 光でも、火でも、風でもない。

 静けさと影を抱く、“あの女神”――


 私の中にずっと在った、名前も知らなかった“存在”に向けて、今、はじめて名を呼ぶ。


「……ノクティア様。

 夜を包むその手が、誰かの涙に届きますように。

 言葉にならない苦しみに、ひとしずくのやすらぎを。

 どうか、あなたの闇が、痛みに寄り添う場所でありますように――」


 私のすべてを、その祈りに込めた。



 その瞬間だった。


 測定石が、低く唸りを上げ――そして、爆ぜるように光った。


 六つの属性紋のうち、ひとつ――闇の紋が、測定室全体を包むほどの深紫の光を放った。


 黒と紫が渦を巻き、空間の温度さえ変わったように感じられた。


 「っ……測定石、反応過剰! 制御が――!」


 「魔力強度……先ほどより遥かに増大! 記録値が、器に収まりません! 数値化不能、警告域突破!」


 石の中心からあふれる深紫の光は、もはや“祈りの記録”ではなく、“顕現”そのものだった。


 記録官の筆が、音もなく止まった。

 測定石はなおも深紫の光を湛え、空気がわずかに震えていた。


 「……こんな反応値、教導区の記録にも例がない……」


 「闇属性でこれほどの濃度……本当に“祈祷”によるものなのか……?」


 「素質ではなく、祈祷によってこの量が顕現している……?」


 神官たちの声が交差していく。


 そのなかで、私はひとり、静かに祈り終えた。


 それが私だった。

 それが、今の私の“祈りのかたち”だった。



 その日の夜、私は中庭に出た。


 空は晴れていて、星がいくつも瞬いていた。

 けれど、私は空を見なかった。


 見ていたのは、自分の手。

 闇に溶けるように白いその指先を、私は胸の前でそっと重ねた。


「……私は、ノクティア様の″加護″を授かった」


 言葉にするのは、はじめてだった。


「でも、それが誰かを救うなら。

 光でなかったとしても、手を差し伸べられるなら。

 私は、これでいい。私は、祈り続けたい」


 それは、決意だった。


 “祈ることしかできない”――

 その言葉はもう、私を縛るものではなかった。


 むしろそれは、“祈れる者”としての唯一の誇りだった。


◇ ◇ ◇


 その後しばらく、私は測定の対象から外された。


 理由は示されなかった。

 けれど、記録が残った以上、私が“例外”として扱われることは避けられなかったのだろう。


 それでも私は、変わらずに祈った。


 朝も、夜も。

 誰にも知られない場所で。

 誰かのために。


 特別でなくていい。

 奇跡でなくてもいい。

 名前も、評価も、光もなくていい。


 ただ――心からの祈りが、ひとつでも届くのなら。


 私は、この手を、決して離さない。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


“祈ることしかできない”――

その言葉に込められた無力さと、だからこそ生まれる強さを、少しずつ丁寧に描いていけたらと思っています。


闇属性という形で現れたセレスティアの祈り。

それはきっと、優しさのかたち。光では照らせない場所に、そっと手を差し伸べるような、静かなあたたかさ。


誰かの心に、この“祈りのかたち”が届いていたら嬉しいです。


感想・ブクマ・応援のいいねなど、いつも本当に励みになっています。

次回も、よろしければお付き合いくださいね。

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