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『異世界転生でアイドル目指します。』  作者: 星空りん
第二章 響きあう想い
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47 風に舞い降りた奇跡、竜のひとしずく

 春の陽射しが差し込む教室には、今日も柔らかな空気が漂っていた。


 窓の外では、桜に似た淡い桃色の花が枝を揺らし、小鳥たちのさえずりが空に溶けていく。校庭の芝も、ほんのりと緑を増しはじめていて――風が吹くたびに、その緑がさざ波のように揺れ動いていた。


 「じゃあ皆さん、この前の復習ね。魔物の行動変化について、代表的な例を三つ……わかる人?」


 エルシア先生が黒板に向かってそう言うと、教室のあちこちで紙をめくる音や、鉛筆の走る音が聞こえ始めた。誰かの小さな咳払いも混じっていて、そんな音のひとつひとつが、この教室の日常を作っているように感じられる。


 私も、手元のペンを持ち直しながら、ノートの余白を見つめた。


 隣では、マリナちゃんがすでにページを開いて、さらさらと綺麗な字で書き始めている。その向こうでは、フィリーナさんが姿勢を崩さず、真っ直ぐに黒板を見つめていた。


 (……なんだか、今日は少し風が強いみたい)


 窓際の席に座っていた私は、ふと気になって視線を外に向けた。


 花壇の花が風に煽られて揺れていて、木の枝もばさりと音を立てている。春らしい風ではあったけれど――いつもよりも、ほんの少しだけ強い気がした。


 それでも、それはまだ“異変”と呼べるほどのものではなかった。


 「では次。魔力に過剰反応を起こした魔物は、どのような兆候を……」


 エルシア先生の声が、そこで突然、止まった。


 がしゃあんっ!!


 耳をつんざくような音が、教室中に響き渡る。


 「きゃっ!?」「な、何!?」


 あちこちで叫び声が上がり、私は思わず身をすくめた。


 窓ガラスが砕け、破片が飛び散る。その隙間から――何かが、風と一緒に教室へと飛び込んできた。


 ばさっ、ばさっ――羽のようなものがばたつく音。


 それは、破片をかすめながら机の間へと落ち、どさりと床に倒れ込んだ。


 「……ま、魔物……?」


 後ろの席の男の子が、戸惑ったような声を漏らす。けれどその声音には、恐怖よりも――むしろ困惑が混じっているようだった。


 私も思わず立ち上がり、そっと視線を向ける。


 そこにいたのは――


 翼を持った、小さな生き物だった。鱗のような肌は光を鈍く反射し、身体は傷だらけ。片方の翼は、途中で折れてしまっているようだった。


 (あれは……ドラゴン……?)


 そう思った瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。


 その子の目が、私を見ていた。


 蒼緑に染まった大きな瞳。その奥には、苦しげな光と――そして、怯え。


 (怖がってる……)


 なぜだかわからない。でも、そう感じた。傷ついて、弱っていて、それでも必死に何かを伝えようとしているような――そんな瞳だった。


 私の目の前に倒れ込んできたその小さな魔物――


 鱗に覆われた身体は血に濡れ、呼吸も浅く、今にも意識を手放してしまいそうだった。


(……まだ、幼いの?)


 体格は猫ほどの大きさで、爪や牙はあるものの、どこか丸みを帯びていて、むしろ守ってあげたくなるような印象を与える。だけど、その背にあるはずの翼の一枚は、無残にも折れ曲がり、羽ばたく力さえ残っていないようだった。


 鱗の間から滲む血。震えるような呼吸。そんな姿を見ていると、胸がぎゅっと締めつけられる。


「せ、先生……あれって……」


 マリナちゃんが不安そうな声で尋ねる。教室の空気は凍りつき、誰もが動けずにいた。


 エルシア先生は静かに前へ出て、私たちの前に立った。その目は真剣で、でも威圧することはなかった。


「落ち着いて。敵意は……感じられません。おそらく、弱りきって偶然ここへ飛び込んできたのでしょう」


 エルシア先生の言葉に、わずかに教室の緊張が緩む。


 だけど、それでも誰も――その魔物に近づこうとはしなかった。


 魔物だから。教科書には、危険だと書いてあったから。


 けれど――


 私は、もう一度その魔物を見つめる。


 苦しそうにかすれる息。にじむ涙のような瞳。


(助けなきゃ……)


 気づけば私は、立ち上がっていた。


「……なんとか、助けられませんか?」


 自分でも驚くほどの声だった。ふるえていて、小さくて――でも、確かに届いた。


 エルシア先生が、私を見つめる。その目に驚きと、わずかな戸惑いが浮かぶ。


「シオンさん……あなた……」


 他の生徒たちもざわめき始める。


「魔物なのに……」「危なくないの?」


 フィリーナさんも、すっと立ち上がった。


「先生。シオンさんの言うとおり、助けてあげられるなら……」


「フィリーナさん……」


「私は、魔力の気配を少し読めます。あの子からは……敵意も、怒りも、感じません」


 マリナちゃんも、私の隣に来てくれる。


「ねえ、先生。私もそう思います……だって、こんなに傷ついてる」


 思いが、重なっていく。


 それでも、魔物の呼吸はますます浅くなっていた。


 時間が……ない。


(……私に、できること)


 私の胸の奥から、ふわりと音が――“歌”が、浮かんできた。


(お願い……)


 私は、そっと目を閉じる。そして、心に浮かぶままに――声を重ねた。


 それは、優しい旋律だった。痛みをなだめるように。涙を包むように。苦しみをそっと撫でるように。


 誰もが静まりかえる中、教室に響いたのは――“私の歌”。


 淡い光が、私の胸元から、指先へ。そして――魔物の身体を包んでいく。


 鱗の裂け目がゆっくり閉じていく。折れかけていた翼が、ほんの少し、持ち上がる。


 蒼緑の瞳が、私を見つめた。


 涙のように光る、その瞳が。


 私の歌が――届いた。


 私の歌が終わった瞬間、教室は静まり返っていた。


 風が止まったような、そんな静寂――。


 それでも、私の前に横たわっていた小さな魔物は、確かに――生きていた。


 その身体はうっすらと金色の光をまとい、傷は癒え、呼吸もゆっくりと穏やかになっている。折れていた翼も、まだ少し不安定ではあるけれど、形を取り戻しつつあった。


 (……よかった)


 自然と、ほっと息が漏れる。


 そのときだった。


 魔物が、小さな声を漏らすように鳴いた。かすれたような、でも柔らかい音。


 そして――


 そのまま、私の方へ、よろよろと歩み寄ってきた。


 「え……」


 私の足元にぺたりと座り込み、小さな頭を私の膝にこすりつけるようにして、甘えるような声をあげる。


 「な、懐いてる……?」


 誰かがぽつりと呟いたその言葉が、教室中に広がっていく。


 私はそっとその頭に手を添えた。ざらりとした鱗の感触の奥に、温もりがある。


 「大丈夫……もう、痛くないからね」


 そう語りかけると、小さな竜は、うれしそうに喉を鳴らした。


「シオンさん、今の……魔法、ですか?」


 エリーゼさんが、小さな声で尋ねてくる。けれど、その瞳には驚きと――何かを見つめるような、まっすぐな真剣さが宿っていた。


 「ううん……ただ、歌っただけ」


 そう答えると、教室にふわりと優しいざわめきが広がった。


 「……歌って、あの子を癒やしたんだね」


 「びっくりしたけど、素敵ですわ……」


 「うん、見ててすごく優しい気持ちになったよ」


 「なんだか、光に包まれてるみたいだった」


 どの声にも、不安や疑いはなかった。ただ純粋な驚きと、心からの賞賛――そして、温かな眼差しだけが、そこにあった。


 エルシア先生も一歩前へ進み、小さな魔物の様子をじっと観察していた。その鋭い眼差しが、一瞬だけ、わずかに柔らいだ気がした。


 「……信じがたいことですが、これは現実ですね。見事でした、シオンさん。あなたの“歌”が、確かにこの子に届いたのだと、そう思います」


 静かに、けれど確かな響きをもって紡がれたその言葉に、教室が再びやわらかくざわめいた。


 でも私は、どう返していいのか分からなかった。ただ――目の前の小さな命が救われたことに、胸の奥から、そっと安堵の気持ちがこみあげていた。


 そのとき――


 「……この子、森に返してあげられるかな?」


 マリナちゃんが、ぽつりと呟いた。


 私は、小さな竜を抱えたまま、そっと首を振る。


 「まだ……飛べそうには見えない。きっと、今は動かすより、ここで落ち着かせてあげた方が……」


 私の言葉に、フィリーナさんも静かに頷いた。


 「そうですわね。無理に移動させるより、安全な場所で休ませた方が良さそうですわ」


 そのやり取りを見ていたエルシア先生が、一歩前に出て、小さな竜の様子をじっと見つめた。


 「この子は、学院の保護区域で預かることにしましょう。専門の職員に引き渡して、しばらくの間、ここで静かに回復を待つのが良さそうね。……君が“歌”で救った命、責任をもって、大切に扱わせてもらうわ」


 私は、胸の奥がじんわりとあたたかくなるのを感じた。


 助かってよかった――本当に、よかった。


 ふと、エルシア先生が私を見て、穏やかに微笑んだ。


 「ねえ、シオンさん。せっかくだから、この子に名前をつけてあげてはどうかしら?」


 「……えっ、私が?」


 思わず聞き返した私に、先生は優しく頷いた。


 私は、小さな竜の顔を見下ろした。


 丸みのある体。傷ついた小さな翼。まだ幼いけれど、どこか意志を感じさせる、澄んだ蒼緑の瞳――


 (……じゃあ)


 胸の奥に浮かんできた名前を、私はそっと口にした。


 「“ルゥ”って、呼んでもいい……?」


 その瞬間、ルゥは元気よく、ぴいっとひと鳴きした。


 まるで、「うん、うれしいよ」って、答えてくれたかのように。


 教室のあちこちから、ふわっと明るい笑い声がこぼれる。


 「ルゥって、いい名前だね!」


 「シオンさんらしいです!」


 「あの子、安心してるみたい」


 みんなの言葉が、春の風のように、そっと私の胸にしみこんでいく。


 私が“歌”で救った、小さな命。


 その日、教室は光とやさしさに包まれて――


 小さな竜・ルゥの存在が、まるで春の奇跡のように、あたたかな余韻を残していた。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。


春の風に乗って訪れたのは、小さな異変――そして、小さな命との出会いでした。

シオンの“歌”が誰かの痛みを癒やし、その命に触れ、やがて心を通わせる。

この第45話では、そんなひとつの「奇跡」と「優しさの連鎖」を描けたらと思いながら、執筆しました。


ルゥという名前に込めたのは、「流れる音」「包みこむ風」「柔らかな光」といった、シオンの歌声をそのままかたちにしたような存在感です。

まだ小さく、傷ついていた竜――けれど彼(彼女?)の中にも、確かに意志と温もりがありました。


この出会いは、きっと、シオンたちにとっても読者の皆さんにとっても、これからの物語に優しく灯るひとしずくになってくれたら嬉しいです。


それでは、次のお話でまたお会いしましょう。

ルゥとともに、皆さまの心にもそっと春風が届きますように。

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