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『異世界転生でアイドル目指します。』  作者: 星空りん
第二章 響きあう想い
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39 森の風と剣の音、動き出す日常

 春の朝、王立セレナリア学院の裏手に広がる森には、朝露をまとった若葉の香りと、清らかな空気が満ちていた。


 学院生活にも、少しずつ慣れてきた頃。今日は、初等部と中等部が合同で行う「野外実習」の初日だった。


 数日前の授業で告げられていたこの実習は、森での観察や訓練を通じて、実践的な魔力感知や魔物の知識を学ぶ機会として設けられたものだ。中等部は剣術科と魔法科に分かれて本格的な訓練に臨み、初等部はそれを見学しながら、安全な範囲で観察と簡単な感知訓練を行う。


 シオンは、朝の光を浴びながら学院の裏門をくぐった。彼女の隣には、いつものようにマリナちゃんが歩いている。その数歩後ろには、フィリーナ様の姿。


 三人一組で行動する班分けは先生の指示によるものだったが、シオンはそれをどこか自然に受け入れていた。ぎこちなさはある。けれど、少しずつ距離は縮まりつつある――そう思えるくらいには。


「そういえば、私たちの担当はエルク先生なんだって」

 歩きながらマリナちゃんが言った。声は明るいが、周囲の様子には注意を払っているようだった。

「兄が中等部の訓練でお世話になったことがあるって。落ち着いてるけど、魔力の扱いがすごくて、緊張感ある先生なんだってさ」


 そう聞いたシオンは、ほんの少しだけ背筋を伸ばした。


 しばらく無言で歩いていると、森の奥からひんやりとした空気が流れてくる。


「……少し肌寒いけど、気持ちいいね」


 マリナちゃんが袖をさすりながら、小声で言った。


「うん。森の空気って、なんだか澄んでて……」


 シオンも軽く深呼吸をしてみる。鼻先に、若葉と土の匂いが混じった柔らかな風が届いた。


「列を崩さないように。森の中は見通しが悪いですから」


 後ろから届いた、落ち着いた声。フィリーナ様だった。


 その声音は、以前のような冷たさは感じられなかった。不器用なりに、ちゃんと心配してくれているのかもしれない。


「はーい! フィリーナ様!」


 マリナちゃんが元気よく返す。その返事は明るくて、どこか楽しそうだった。


 三人でいることに、まだぎこちなさは残る。けれど、歩く足音が重なるたびに、その距離はほんの少しずつ縮まっていくような気がした。


(……フィリーナ様とも、まだうまく話せるわけじゃないけど)

それでも、あの共鳴のとき――ほんの少しだけ、心が触れた気がした。


 そんな思いを胸に抱きながら、シオンは視線を前へ向けた。


 三人が歩を進めていくと、森の中に設けられた開けた訓練場が見えてきた。すでに中等部の生徒たちが集まり、それぞれの科で訓練を始めている。


 剣術科の生徒たちは木剣を手に、互いに打ち合う音を響かせていた。太陽の光を受けて、流れる汗がきらめく。掛け声と足さばきの鋭さからは、初等部の授業とはまるで異なる緊張感が漂っていた。


「……すごい迫力」


 シオンが思わずつぶやく。すぐ目の前で振るわれる木剣の一撃は、風を切って空気を震わせるほどだった。


「ねー、やっぱり中等部は違うね! 私たちも、あんなふうになれるのかな?」


 マリナちゃんが楽しげに言いながら、剣を構える少女の動きを目で追う。その背には筋が通っており、動きに無駄がなかった。


 その隣で、シオンはふと別の方向――魔法科の演習区画に目を向けた。


 こちらでは、詠唱を唱える生徒たちのまわりに、風や火の魔力が渦巻いている。炎の矢が的に突き刺さり、風の刃が葉を裂く様子に、シオンは息をのんだ。


 羨望ではない。それは、あくまでも“憧れ”に近いものだった。自分の魔法はまだ未完成で、しかも“歌”という特殊な形を取る。けれど、あの魔法科の生徒たちのように、堂々と魔法を放てる“強さ”には、きっと何かがある。


 そのとき、フィリーナ様がふいに足を止めた。


 彼女の視線の先には、剣を手に構える一人の少年。背筋はまっすぐで、動きは鋭く、静かに相手の隙を見極めている。


「……あの方は?」


 シオンがたずねるより早く、マリナちゃんが小さく「あっ」と声を漏らした。


「フィリーナ様の……お兄様?」


 その名を聞いたフィリーナ様は、わずかに目を見開いたが、すぐにまなざしを戻す。


「ええ、兄の――セディアスお兄様です。剣術科に所属していて、学年でも上位の実力者ですわ」


 言葉の端に、誇りとどこか遠慮が混じる。たしかに、彼の動きは際立っていた。華美な技ではない。けれど、型が美しく、周囲の空気さえ引き締めているようだった。


 ふと、セディアスお兄様がこちらに気づき、視線を送ってくる。


 フィリーナ様と目が合う。ほんの一瞬だったが、彼は軽く顎を引いて頷いた。その仕草は威圧的ではなく、どこか穏やかだった。


「……さすがって感じだね。フィリーナ様のお兄様」


 マリナちゃんの何気ない一言に、フィリーナ様はきちんと姿勢を正してから、控えめに言った。


「兄は、昔から努力を怠らない方ですから……」


 その声音には、敬意と少しの距離が滲んでいた。


 そのとき、木々の奥から別の声が飛んできた。


「よう、初等部の皆さん。迷わないように気をつけてくれよ?」


 声をかけてきたのは、中等部の男子生徒たち数人だった。笑みを浮かべながらも、その視線には探るような色があった。


「偉いお家の方々も混ざってるって聞いてたけど……本当だったんだな」


 その言葉に、マリナちゃんが少し眉をひそめた。


 フィリーナ様は、表情を変えることなく一歩前に出る。


「軽口を叩くより、訓練に集中なさったほうがよろしいのではなくて?」


 その声音はあくまで静か。だが、紛れもなく“王族の威”を帯びた言葉だった。


 男子たちは顔を引きつらせ、気まずそうに肩をすくめる。


「……悪かったよ。別に失礼なつもりはなかったんだ」


「それじゃ、お互い気をつけて。失礼します」


 そう言って、彼らはそそくさと立ち去っていった。


「……あのような態度では、魔物に呑まれてしまいますわ」


 誰に言うでもなく、フィリーナ様が小さくつぶやいた。


 ちょうどそのとき、訓練を見回っていた先生の一人が、生徒たちに向けて声を張った。


「――各班、行動に気を引き締めろ。森の奥で微弱だが、魔物の気配が観測されている」


 その言葉に、空気が変わった。


 ざわめきはない。けれど、周囲の魔法科や剣術科の生徒たちの動きに、明らかに緊張が走った。


「魔物……って、ほんとに出るの?」


 マリナちゃんが声を落とす。


 シオンは、フィリーナ様の横顔を見る。彼女は眉一つ動かさずに言った。


「この森は“比較的安全”とされているだけです。自然の力に、“絶対”はありませんから」


 静かな警鐘のようなその声に、シオンは無意識に手を握りしめた。


(……もし、何かが起きたら。私に、できることって――)


 見学班は、訓練場を離れ、さらに森の奥へと移動を開始した。


 歩幅を合わせながらの移動。決められた隊列の中で、シオンたち三人は中ほどの位置を保っていた。周囲には他の初等部の生徒たちもいるが、誰もが少し緊張しているのが分かった。


 空気が、変わった。


 鳥のさえずりは遠のき、木々のざわめきがどこか重たく感じられる。陽の光は葉の隙間から差し込んでいるのに、なぜか空が曇っているような気さえした。


「……なんだか、雰囲気がちがう」


 マリナちゃんがぽつりとつぶやいた。明るい声を抑えているのが分かる。


「……ここ、兄が中等部の訓練で使ったことがあると聞きました。魔力の流れが複雑で、注意が必要だと」


 フィリーナ様が静かに言った。その声音は落ち着いていたが、わずかな緊張がにじんでいた。


 やがて班は立ち止まり、教官が全体に向けて声をかける。


「これより、各自観察を開始する。離れすぎないように、三人一組で行動すること。魔力感知に集中するように」


「はい!」


 生徒たちが一斉に返事をし、周囲へと散っていく。


 三人で、近くの倒木の周囲を観察し始める。木肌に走る筋や、触れるとほんのり暖かさを感じる魔力の痕跡がある。


「……ここ、魔力の濃さが少し違う気がする」


「うん。なんだか地面の色もちょっと違うかも」


 マリナちゃんがしゃがみ込み、指先で土をつまむ。その隣で、フィリーナ様がじっと木の根に手を添えていた。


「……流れが、乱れている気がします」


 そう言って、フィリーナ様は立ち上がる。


 その動作に無駄はなく、森の静けさの中でよく映えていた。


(やっぱり……すごいな)


 シオンはそんなことを思いながら、ふと、手を胸に当てる。


 共鳴のときに感じた、あの温かなひかり。心と心が繋がるような不思議な感覚。あれは偶然だったのか、それとも――


(私にも、できることがあるのなら)


 小さな願いが、胸の中で芽を出す。


「ん……?」


 そのとき、森の奥で、かすかな音がした。葉がこすれるような気配――誰かの足音?


 シオンが振り返ると、他の班の一人もそちらに目を向けていた。けれど、すぐに視線を戻して、何も言わなかった。


 風が一筋、足元を抜けていく。


 その風には、かすかに冷たい匂いが混じっていた。


 ――森は、まだ静かだった。

ご覧いただきありがとうございました!


今回は、学院生活の中でも特別なイベントである「野外実習」のはじまりを描きました。

はじめての森、先輩たちの訓練、中等部との関わり……そして少しずつ深まっていく三人の関係。


それぞれの立場や思いを抱えながらも、同じ場所で過ごす時間が少しずつ距離を縮めていく――そんな小さな“変化の兆し”を感じていただけたら嬉しいです。


次回、静かな森に忍び寄る影が、彼女たちの絆を試すことになります。

“歌の魔法”は、ただの不思議な力ではありません。

それがどんな想いをのせて響いていくのか、ぜひ見届けてください。

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