37 揺れる視線、あの子の光(フィリーナ)
王都セレナリアに春が訪れた朝。窓の向こうで揺れる薄紅の花々と、それを撫でる風の匂いに、わたくしはようやく実感する。
(今日から、わたくしの学院生活が始まるのね)
第三王女――フィリーナ・ノルディアとして、王家の血を引く者として、わたくしは王立セレナリア学院の門をくぐる。ただし、今回は“王女”としてだけではない。
わたくしがこの学院に通うのは、単なる学びのためだけではなかった。
父上――ノルディア王国の国王陛下から、ひとりの少女の名を知らされている。
――シオン・エルステリア。
先日、王都にて行われた入学前の「魔力測定」。その場において、彼女は“七属性すべてに反応する”という前代未聞の現象を起こした。
通常、魔力は六つの属性に分類され、人は生まれつき一つの属性しか持たない。だが、彼女は――七属性。
それは、この世界の理を揺るがしかねない“何か”だった。
(そんな子が……わたくしと同じ学院、しかも同じ学年に)
父上は言った。
『あの子には、特別な力がある。だが、力というのは時に人の心を蝕む。お前には、彼女を見守る役目を与えたい』
監視。観察。見極め。
表向きは同級生として、けれど実際には王命を帯びた監視者。それがわたくしの“役目”だ。
ただ、心のどこかで、わたくし自身も彼女に興味を抱いていたのは確かだった。
学院の正門をくぐると、敷地内の中庭には春の花々が咲き誇っていた。入学式のために用意された講堂へと向かうと、初等部の新入生たちが整列している。
そして――その列のなかに、見つけた。
小柄な体に整った制服。白銀の長い髪が風にそよぎ、白い肌に大きな瞳が浮かぶ。澄んだ、けれどどこか影を抱いたようなまなざし。
(……あれが、シオン・エルステリア)
講堂の壇上に立つと、眼下には新たな学び舎へと歩み出す子供たちの顔が並ぶ。その中心で、シオンさんは静かに立っていた。
(……まっすぐな目)
その瞳に、わたくしは確かに何かを見た。
ただの“特別”ではない。もっと、別の……あたたかく、やさしい光。
「皆さん、はじめまして。わたくしは、フィリーナ・ノルディアと申します。本日から、皆さんと同じように学院の学び舎で過ごす者として、この場に立たせていただいております」
王女としての立場を踏まえつつも、できる限り穏やかに――わたくしは挨拶を締めくくった。
あの子を見下ろしながら、心の奥で小さく誓う。
(これから、あなたのすべてをこの目で見届ける)
それが“監視”であっても、“運命”であっても。
わたくしの意志で、それを選ぶと。
◇ ◇ ◇
入学式の翌日、学院では新入生を対象とした“魔力の共鳴実験”が行われた。
感応水晶に手をかざし、自身の魔力がどの属性と共鳴するかを確認するという、入学儀礼のひとつ。形式的なものではあるが、その反応が記録され、今後の授業の指針となる。
人は生まれつき一つの属性しか持たない。それが火であれ水であれ、共鳴するのはただ一色。それ以外はありえない――それがこの世界の理だ。
わたくしが水晶に手をかざすと、白く柔らかな光が淡く灯った。
光属性。
わたくしは王族としての自覚を胸に、静かに手を引いた。
そして、あの子の番が訪れた――
列の最後。シオン・エルステリア。
彼女が水晶の前に立ち、小さな手をそっと添えた瞬間――
(……っ!)
光が、水晶の中で弾けた。
一色ではない。虹のように、七つの光が重なり、舞い、まばゆい輝きを放っていた。
水晶はかすかに震え、光があふれ出して、教室中が静まり返る。
何が起こったのか理解できずに固まる生徒たち。けれど、その中には――
初等部の一部、特に先日、魔力測定に立ち会った数名の子たちは、驚きというよりも「ああ、やっぱり」という顔で彼女を見つめていた。
エルシア先生は微動だにせず、ただ静かに、すべてを見守るようなまなざしを向けていた。
だが、その中心にいたシオンさん本人は――
ただ、不安そうに自分の手を見ていた。
誇るでもなく、得意げでもなく。
まるで、「どうして?」と戸惑っているような、そんな面持ち。
(……無垢な子)
ただの“すごい子”ではない。
あの光の中にあったのは、力そのものよりも、彼女の内側から滲み出る“なにか”だった。
わたくしの胸の奥に、あたたかなものがそっと広がっていくのを感じていた――
◇ ◇ ◇
翌日。
午後の実技演習では、生徒それぞれが自身の属性に応じた魔石を前に立ち、魔力の流し方を体験する時間が設けられていた。
わたくしは光の魔石の前で呼吸を整え、静かに魔力を流し込んでいた。
その途中、ふと視線をやれば――
シオンさんが、風の魔石に手をかざしていた。
けれど――反応は、なかった。
彼女は何度も呼吸を整え、真剣なまなざしで魔石に手を差し出している。
それでも、風は動かず、光も生まれない。
(……応えないのね)
昨日、あれほど鮮やかに輝いたあの子の魔力が、今日はまるで沈黙しているかのようだった。
型にはまらない。
詠唱もなく、構えもなく、ただの“想い”で光を灯したあの力は、たぶん――
(通常の魔法ではない)
そう思った、まさにその瞬間だった。
「きゃっ!」
演習場の反対側で、マリナ•フローゼルの叫び声が響いた。
火属性の魔石を扱っていた生徒のひとりが、魔力の制御を誤り、炎の矢が誤射されたのだ。
マリナさんの腕に炎が掠った。
わたくしは反射的に駆け寄ろうとした――けれど、誰よりも早く動いたのは、シオンさんだった。
彼女は膝をついて、マリナさんの手をそっと包み込む。
「……だいじょうぶ……痛く、なくなりますように……」
それは、呪文でも祈りでもなかった。
ただ、自然と溢れた――歌のような声。
まるで心の奥から紡がれた旋律のように、優しく、静かに、その場を包み込んだ。
そして次の瞬間。
シオンさんの両手から、ふんわりと光が溢れ出した。
それは、昨日の七色とは違う。
もっとあたたかく、やさしく、包み込むような光だった。
マリナさんの腕が、瞬く間に癒えていく。
ざわつく教室。けれどわたくしは、ただその光景を見つめることしかできなかった。
(……これが、“歌の魔法”)
父が言っていた言葉が、ふと胸をよぎる。
『あの子の力は、おそらく“魔法”ではなく、“歌”に似た何かだ』
確かに、それは“詠唱”ではなかった。
けれど、確かな“願い”だった。
(わたくしには……真似できない)
その事実が、少しだけ悔しくて。
けれど、それ以上に――尊くて、羨ましかった。
◇ ◇ ◇
その日の放課後。
教室へ戻ると、生徒たちは口々に今日の出来事を話していた。
けれど、誰一人、シオンさんのことを悪く言う者はいなかった。
「魔法じゃなくて、あれって……歌だったよね?」
「詠唱なしで、あんな光が……本当に癒しの力?」
彼女に向けられた言葉は、好奇と驚きと――そして、どこか尊敬の混じったものだった。
マリナさんは、シオンさんの隣でにこにこと笑いながら話しかけていた。
傷はもう、すっかり癒えていた。
(あの子は……受け入れられてる)
その意味を、わたくしは痛いほど分かっていた。
わたくしが、どれほど力を示しても、誰かが“近くにいる”ことは滅多にない。
王族という立場が、知らず知らずのうちに距離を作ってしまうから。
けれど、彼女は――その“力”を見せたうえで、なお自然に、友達の輪の中にいる。
隣に座り、同じ目線で、笑い合っている。
(……すごいわ)
それは、力の問題じゃない。
人としてのあり方そのものだ。
わたくしには、まだ持ち得ていない“何か”だった。
彼女の“力”は、誰かを圧倒するものではなく、そっと支えるもの。
だからこそ、怖がられない。遠ざけられない。
(こんな力……わたくし、知らない)
そして、わたくしは確かに思った。
(もっと知りたい。シオン・エルステリアという少女のことを)
◇ ◇ ◇
夜。
自室の窓辺で、わたくしは星を眺めていた。
学院の始まりとともに出会った、あの光。
あの少女。
七属性に反応した共鳴実験。
魔石が応えなかった演習。
そして、マリナさんの傷を癒した歌のような祈り。
その一つひとつが、わたくしの中に深く刻まれている。
父上の命令は、確かに重かった。
けれど――
(もう、“命令”ではないのかもしれない)
知りたいという願いは、誰かに与えられた義務ではない。
わたくしの、自分の意思だった。
そう思えたことが、どこか嬉しくて。
わたくしはそっと、月明かりの下に目を閉じた。
ご覧いただきありがとうございます。
今回はフィリーナ視点で描く、学院生活の始まりと“あの子”との出会い。
監視という立場に揺れながらも、シオンという少女に心を動かされていく様子を、丁寧に描きました。
「ただの王女」から「ひとりの少女」へと変わっていく、その始まりをお楽しみいただけていたら幸いです。




