36 響きあう想い、はじまりの調べ
王立セレナリア学院の初等部での生活が、やっと“いつもの毎日”になりはじめた頃。
まだ馴染みきれていない制服の襟元を直しながら、私は教室の扉を開いた。
朝の光が差し込む教室には、もう何人かの子たちが集まっていて、それぞれが自分の席に着いたり、友達と話していたりしていた。
マリナちゃんの姿を探していると、窓際の方から手を振る姿が見えた。
「おはよう、シオンちゃん!」
「おはようございます、マリナちゃん」
「今日の授業、なんだか楽しみだよね! “魔力共鳴”だって!」
「ひとりじゃなくて、みんなとやるのは初めてだから、ちょっと緊張してるけど」
そんなやりとりをしていると、チャイムが鳴り、担任のエルシア先生が教室に入ってきた。
「おはようございます、皆さん。席についてくださいね」
優しい声に教室が静まり、みんなが順に着席していく。
「さて、今日の授業は“魔力共鳴”の基礎を実際に体験してもらいます。三人一組での実習になりますので、近くの子と相談してグループを作ってみましょう」
その一言で、教室が一気にざわめき出した。
「三人一組、だって!」
「どうする? 一緒に組もうよ!」
あちこちから声が飛び交い、子どもたちがわらわらと動き出す。
私とマリナちゃんはすぐに顔を見合わせた。
「じゃあ、私達は一緒だね!」
「うん、よろしくね」
自然な流れで手を取り合うようにして、二人組が完成する。
けれど、ふと教室の一角を見ると、金の髪を揺らした一人の少女――フィリーナ様が、静かに席に座ったまま周囲を見つめていた。
その瞳に焦りはなかった。でも、どこか寂しげで。
誰も、彼女に話しかけようとしない。
……王族という存在が持つ、圧倒的な“距離”。
私は胸の中に、ちくりとした痛みを覚えていた。
「ねえ、シオンさん……」
マリナちゃんが、少しだけ声をひそめて私に顔を寄せた。
「フィリーナ様、一人みたい……」
視線の先には、やはりまだ誰も近づこうとしない金髪の少女の姿があった。
その姿は凛としていて、気品があって――でも、どこか、ひとりきりの寂しさを纏っているようにも見えた。
「……うん、私も、そう思ってた」
「一緒に、声かけてみる?」
マリナちゃんの問いかけに、私は少しだけ目を伏せてから頷いた。
初対面のときから、フィリーナ様は気になる存在だった。
入学式での代表挨拶も堂々としていて、美しくて……けれど、どこかぎこちない。
少しの緊張と、誰にも近づけない孤独と――まるで、壁のようなものがその周囲に立ち込めている。
でも、それでも――
「私、声をかけてみる」
「……うん、いこう!」
マリナちゃんが背中を押してくれる。
私は一歩、フィリーナ様の方へと踏み出した。
教室のざわめきの中、その歩みだけが妙に大きく感じられて、鼓動が高鳴る。
「フィリーナ様……」
小さな声で呼びかけると、彼女のまっすぐな金の瞳が私をとらえた。
その目には驚きが走り――そして、ほんの一瞬、揺らぎがあった。
「はい?」
「あの……私と、マリナさんと、一緒に組みませんか?」
言葉にしてしまうと、思っていたよりもずっと緊張していたことに気づく。
でも、それ以上に、心の奥から湧き上がる“何かを伝えたい”という気持ちがあった。
フィリーナ様は少しだけ視線を揺らし、それから――
「……よろしいのですか?」
その声は、いつもよりもずっと、静かで、柔らかくて。
「もちろんです!」
マリナちゃんが横からぱっと笑顔で応える。
その瞬間、フィリーナ様の目がふっと和らいだ気がした。
「……では、ぜひ」
その返事に、私は胸の奥がふわりとあたたかくなるのを感じた。
グループ分けが一通り終わると、エルシア先生が教室の前で手を叩いた。
「皆さん、準備はよろしいですか? では、各組ごとに魔力共鳴用の魔石と指導札をお配りしますね。今日は初めての実習ですから、安心して取り組んでください」
先生の言葉に、教室が再び引き締まった空気に包まれる。
私たち三人は、教室の奥に用意された丸机の一つに移動した。円形の台の中央には、淡く光る三色の魔石が埋め込まれている。共鳴実験用に設計された特別な魔道具で、それぞれの魔力が中央に収束し、共鳴の可視化が行われる仕組みだという。
「魔石に手を添えた状態で、各自の魔力を流していきましょう。無理に出そうとせず、自分の中にある“想い”に寄り添うように意識してください」
エルシア先生の説明が教室に響く。
私は深く息を吸って、そっと魔石に手をかざした。隣では、マリナちゃんが元気よく「よーしっ」と意気込み、フィリーナ様は表情を変えず、けれどどこか静かに決意を宿した瞳をしていた。
「じゃあ……いくね?」
「ええ」
「うん、一緒に」
三人の手が、ほぼ同時に魔石に触れた。
その瞬間――
静かな光が、魔石の中心からふわりと立ち上った。
色はまだ淡く、輪郭もあいまいで、それでも確かに“何か”が生まれ始めている。
(感じる……マリナちゃんの魔力、フィリーナ様の魔力……)
それらが、私の中にそっと流れ込んでくる感覚。
冷たくも熱くもなく、でも確かにそこにあって、私の“歌”に似た震えを起こす。
「……これが、共鳴……?」
マリナちゃんがつぶやく。
フィリーナ様の指先が、小さく揺れた。
私はそっと目を閉じる。
(とどけ……この気持ち。この光。この“ぬくもり”――)
私の中の魔力が、歌のように波紋を描いて広がっていく。
旋律ではない。でも、確かにそこに“音のない歌”があった。
それに重なるようにして、マリナちゃんの水の気配が満ちていく。
そして――フィリーナ様の光が、それらすべてを優しく照らすように包みこんだ。
魔石の中心で、三色の光が重なり合い、一つの花のような光輪が咲いた。
「……きれい……」
誰かの声が、ぽつりと漏れた。
そして、共鳴は――静かに、ゆっくりと収束していった。
目を閉じていると、感覚のすべてが研ぎ澄まされていく。
魔力の流れ、手のひらに感じるかすかなぬくもり、そして――ふたりの“気配”。
マリナちゃんの魔力は、やわらかくて、しっとりしていて。
優しい雨のように私の中に染み込んでくる。
フィリーナ様の魔力は、澄んだ光のようだった。
清らかで、どこか儚さを秘めていて、でも――決して弱くはなかった。
(こんな風に、誰かと“混ざる”ように魔力が共鳴するなんて……)
私の中にある“歌の魔法”は、まだ未熟だ。
でも、心から“届けたい”と願えば、魔力は応えてくれる。私は、それを信じていた。
(ふたりとつながってる。今だけじゃない、もっと――)
手を取り合わなくても、心が近づいていくような感覚。
まるでひとつのステージに、三人で立っているような気がした。
……ふと、そんな想像が浮かんだとき、胸の奥がふわっと熱くなった。
ステージに立つ夢。
かつて私が、病院の窓から見上げていた、遠い遠いあの夢。
(きっと、まだ始まったばかりなんだ)
この世界で。
この仲間たちと――
私は、もう一度、夢を追いかけていいのだと思えた。
光と水と歌が混ざり合う共鳴の中で、私は確かにそう感じていた。
共鳴が収束すると同時に、魔石に宿っていた光も、ふわりとほどけるように消えていった。
しばらくの静寂のあと――
「素晴らしい共鳴でしたね」
優しい声が背後からかけられる。
振り向くと、エルシア先生が微笑んでいた。
「三人の魔力がきれいに調和していました。水、光、そして――」
先生の目が、ほんの少しだけ私に向く。
「……やわらかい波動が、全体を優しく繋いでいたのが印象的でした。とても自然で、優しい共鳴です」
私は、少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
「先生、それって……良かったってことですか?」
マリナちゃんの問いかけに、先生ははっきりと頷いた。
「ええ。とても良い出来でしたよ、皆さん。共鳴とは、魔力の大きさだけでなく、感情や心の動きも反映されます。今日の共鳴は、お互いを信頼していたからこそ起こったのです」
その言葉を聞いたとき、私はふと隣の二人の顔を見た。
マリナちゃんはいつもの明るい笑顔で、
フィリーナ様は、わずかに目を見開いて――そして、とても穏やかな表情をしていた。
(……嬉しいな)
言葉にはしないけれど、胸の奥に灯ったその気持ちは、今日の光と共にきっと、忘れない。
授業が終わり、教室に解散の合図が響く。
机を整えたり、帰り支度を始めたりする生徒たちのざわめきの中で、私はかばんの中に教本をしまっていた。
すると、背後からふわりと声が届く。
「……シオンさん、マリナさん」
振り向けば、フィリーナ様がそこに立っていた。
さっきの実習のときよりも、ほんの少しだけ表情が和らいでいる気がする。
「今日は……その、一緒にいてくれて……ありがとうございました」
その声音は、どこかたどたどしくて――でも、真っ直ぐだった。
「こちらこそだよ、フィリーナ様!」
マリナちゃんが元気よく笑って、私の肩をぽんと叩いた。
「ね、また三人で組もうよ! ねっ、シオンちゃん!」
「うん、ぜひ……私も、楽しかったです」
そう言いながら、私はフィリーナ様の顔を見た。
彼女は少し驚いたように目を瞬かせて――それから、控えめに微笑んだ。
「……わたくしも、とても……嬉しかったです」
たったそれだけの言葉なのに、胸がぽっとあたたかくなる。
そのとき、教室の外から風が吹き込み、カーテンがふわりと揺れた。
春の香りが混じるその風に、私はそっと目を細める。
(また、こんな日が……来たらいいな)
誰かと笑い合えること。誰かと手を取り合えること。
その一つひとつが、私にとっては“夢に近づく一歩”なのだと、あらためて思った。
夕暮れが近づく教室で、最後に残ったのは私と――フィリーナ様だった。
マリナちゃんは「お迎えが来てるから先に帰るね」と元気よく手を振って教室を出ていった。
私は教科書の整理をしていて、自然と二人きりになった。
気まずい沈黙というほどでもない。
けれど、まだどこか、距離を測っているような時間。
「……」
フィリーナ様が、ふと口を開いた。
「……あの時の共鳴、まるで光が……歌っているように、感じました」
私は驚いて彼女を見つめた。
「歌って……?」
「はい。言葉にはできないけれど、心があたたかくなるような……そんな光でした」
その表情は真剣で、でもどこか、少し恥ずかしそうでもあった。
「……それ、うれしいです。私、歌うのが好きで……」
言いかけて、私は少しだけ口を噤む。
“歌が魔法になる”こと――それは、マリナちゃんには話したけれど、まだ他の誰にも伝えていない。
でも、なんとなく――伝わってしまった気がした。
フィリーナ様は微笑んで、かすかに頷いた。
「それが、きっと魔力にも表れるのですね。……あなたの魔力、とても優しかったです」
私は思わず顔を赤くして、視線を逸らす。
「……ありがとうございます」
それだけが、精一杯だった。
それから少しして、フィリーナ様も立ち上がり、鞄を手に取った。
「では、また明日。……ごきげんよう、シオンさん」
名前を呼ばれたことに、私は一瞬だけ戸惑い――それから、微笑んだ。
「また明日、フィリーナ様」
夕陽が差し込む教室の窓から、机の上にやわらかな光がこぼれていた。
その光の中で、私は鞄の中から、白い紙を一枚そっと取り出す。
――ありがとう、という気持ちを、何か形にしたくて。
あたたかな光の中で、私は小さな手紙を書き始めた。
新しい教室、新しい出会い。
少しの勇気と、ちいさな優しさが、ひとつの輪をつくってゆく。
このお話は、そんな「はじまり」を描きました。
言葉にしなくても、手を取らなくても、想いはきっと、届くことがある。
それが“共鳴”であり、未来へつながる光の種でもあります。
読んでくださって、ありがとうございました。
次回もまた、シオンたちの日々を、そっと見守っていただけたら嬉しいです。
もし、少しでも心に残る場面がありましたら……
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