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『異世界転生でアイドル目指します。』  作者: 星空りん
第二章 響きあう想い
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35 祝福の箱庭、心ふれあうひととき

 王都の春は、静かに、けれど確かに季節の訪れを告げていた。


 高台に建つエルステリア侯爵家の館にも、やわらかな陽光が差し込み、庭の花々が一斉に咲き始めている。中庭では白い花びらが風に舞い、小鳥たちのさえずりが、まるで誕生日を告げる前奏曲のように響いていた。


「ふふっ……今日は、特別な日」


 私は自室の鏡の前で、ふわりとスカートの裾を揺らしてみる。


 今日はお誕生日。お母様が用意してくださった、淡い桜色のドレスは、小さなリボンと花の刺繍がちりばめられていて、ふんわりとした袖と銀糸のレースが春の光を柔らかく反射していた。


 リリカお姉様が整えてくださった髪は、後ろでふんわりと結われ、小さな花飾りがゆれている。


「もう、シオンったら……自分の姿に見惚れてるんじゃない?」


 背後から、くすくすと笑う声がした。


 振り向くと、ドアの向こうにはリリカお姉様とリートお兄様が並んで立っていた。リリカお姉様は白いドレス姿で、リートお兄様は珍しくきちんと礼装を着ていて、どこか照れたような笑みを浮かべていた。


「そりゃあ見惚れもするさ。今日は、主役だからな」


「えへへ……ありがとう」


 照れくさくなって、私は思わず笑ってしまった。



 朝食を済ませたあと、お母様の手を引かれて向かったのは、一階のサロンだった。


 そこはいつもより少し広く、そして今日は――一面に花が飾られていた。


 ピンクの花束、白いユリ、小さなデイジーに色とりどりの春の花々が、机の上にも、壁にも、そしてカーテンのタッセルにさえあしらわれている。窓から差し込む光がそれらをやわらかく照らし、空間全体が夢のようにきらめいていた。


「わぁ……!」


 思わず声を上げてしまった私に、お母様がにっこりと微笑んだ。


「シオンのために、みんなで準備したのよ。誕生日は一年に一度の、特別な日でしょう?」


 私はうなずいて、胸元のリボンをそっと押さえた。


 そのときだった。玄関の扉が開く音がして、誰かの足音が廊下を駆けてきた。


「シオン!」


 低く、あたたかな声が響く。その声を聞いた瞬間、私はぱっと顔を輝かせた。


「……お父様っ!」


 次の瞬間には、私はドレスの裾を気にする暇もなく駆け出していた。


 廊下の向こう、背の高い人影。肩幅が広く、凛々しい顔立ちの男性――クラヴィス・エルステリア。私のお父様だった。


「間に合ったか?」


「うん! すっごく間に合ってる!」


 私は勢いよくその胸に飛び込んだ。お父様は驚いたように少しだけ息を詰め、それからゆっくりと私の背に腕を回してくださった。


「大きくなったな、シオン……もう五歳か」


「うん。……来てくれて、ありがとう」


 お父様の胸は広くて、ぬくもりがあって、どこか懐かしい匂いがした。


 私はその中で、ぎゅっと目を閉じた。



 午前中は家族だけで、ゆったりと過ごした。


 お父様とリートお兄様が庭で軽く剣の素振りを披露してくださったり、お母様が焼いてくださった小さなクッキーを囲んで、サロンでお茶を飲んだり。


 そして昼食後、私は思いがけないプレゼントを手渡された。


「これは、王都で今とても流行っている魔道具よ。“ミニホログラム箱庭《歌う庭園》”っていうの。シオン、気に入ると思って」


 お母様が差し出したのは、小さな透明の箱。両手にすっぽり収まるくらいのサイズで、中には何もない、けれど底面に精巧な魔術回路のような模様が刻まれている。


「魔力を流すとね、小さな庭が現れるの。春の野原だったり、秋の森だったり、日によって出る景色が変わるんですって」


 リリカお姉様が嬉しそうに説明してくださる。


「しかも、“歌”に反応して、中の風景が動くこともあるらしいぞ。蝶が飛んだり、花が咲いたりするって」


 リートお兄様の言葉に、私は胸がどきどきしてきた。


「……試してもいい?」


 私が尋ねると、お母様は微笑んでうなずいた。


「もちろんよ。みんなで見守ってるから、ゆっくりやってみて」


 家族が見守る中、私は箱をそっと手に取り、膝の上に置いた。


 そして、両手を添えて、心を静かに整える。


(お願い……きれいな景色が見えますように)


 胸の奥で、ほんの少しだけ“歌”の旋律を思い浮かべながら、指先から魔力を流す。


 すると――


 箱の底が淡く光を帯び、透明だった空間にふわりと色彩が広がった。


 咲き誇る春の花々、小さな泉、並木道に舞う花びら。ほんの一瞬で箱の中に広がったそれは、まるで絵本のように美しい箱庭だった。


「すごい……!」


 私は思わず見入った。


 箱の中の蝶が、ひとひら舞い上がる。その羽ばたきに合わせて、草が揺れ、泉にきらめきが走る。


 その様子を見ていたリートお兄様が、ぽつりと呟いた。


「魔力の反応が……強いな。普通はここまで動かないぞ」


「……やっぱり、シオンの魔力が特別なのかしら」


 リリカお姉様が、やわらかく笑った。


「ねえ、シオン。この庭園に……少しだけ、“歌”をのせてみない?」


 お母様のその言葉に、私は小さくうなずいた。


 家族の前で歌うのは、初めてだった。


 でも、今日は――私の誕生日。大切な人たちが、そばにいる。


 私はそっと目を閉じ、小さな声で歌い始めた。


「……春の 光に 揺れる 花びら……」


 その瞬間だった。


 箱の中の光景が、まるで命を得たかのように輝き出した。蝶が舞い、風が吹き抜け、泉がふわりと光を放つ――


 そして、次の瞬間。


 眩い閃光が部屋全体を包んだ。


 部屋が一瞬で、色と風と光に満ちた幻想的な空間に変わっていた。


 咲き誇る花々、舞う蝶、本物の風――サロンの壁が消え、目の前に広がっていたのは、箱の中にあったはずの“箱庭”そのもの。


「……これ、夢じゃないよね?」


 リリカお姉様が小さくつぶやいた。


 私は手元を見た。“ミニホログラム箱庭”はまだそこにあったけれど、今広がっている光景は、決して投影ではない。――本物だった。


「これ……“箱庭”の中に、入っちゃってる……?」


 リートお兄様が、周囲を警戒するように見回す。


「いえ、逆……“箱庭”の方が、外に出てきているのよ」


 お母様が、静かに呟く。


 私は、不思議と、まったく怖くなかった。


 ただ、胸の奥がぽかぽかしていて。


(私の“歌”が……この景色を、呼んだの?)


「……ありがとう。綺麗だね」


そうつぶやいたとき、花びらがふわりと宙に舞い、足元から小さな花の道が伸びていった。


そのとき――


腕に抱えていたルナちゃんの胸元が、ふわりと光った。


柔らかな金色のきらめきが、箱庭の光と呼応するように瞬いたのだ。


(……ルナちゃんも、感じてるの?)


シオンは驚いたように目を瞬かせたが、なぜかその光が、とても“やさしいもの”に思えてならなかった。


ルナちゃんの瞳はいつも通り、けれど――どこか微かに、笑っているように見えた。


 父様は、ずっと黙ってその光景を見つめていた。


 そして、ゆっくりと歩み寄り、私の頭に手を置いた。


「――お前が持つのは、“誰かを癒し、包む”魔法だ。……きっと、世界の在り方そのものを変える力だろう」


 その言葉に、私は胸の奥で、静かに何かを受け取った気がした。


 私の“歌”は、まだ誰にも理解されていない。けれど――


 きっと、ここから始まる。


 “魔法”とも、“技術”とも、ただの“感情”とも違う、“わたしだけの力”。


 それはこの日、この瞬間に確かに芽吹いた。


 五歳の誕生日は、ただの節目ではなかった。


 “わたしの魔法”の存在が、初めて家族の前で“形”になった日。


 新しい風が、そっと背中を押してくれた気がした。


 私は、未来に向かって、ほんの少しだけ、まぶたを閉じる。


 ――これは、始まりの“歌”。


 私だけの、“箱庭の奇跡”だった。



 箱庭の奇跡が静かに消え、サロンが元の姿を取り戻したころ――

 日も傾き始め、館の空気に夕餉の香りがふわりと広がっていた。


 ダイニングホールの長テーブルには、今日のために用意された特別な料理が並んでいた。

 こんがり焼かれた仔羊の香草グリル、彩り豊かな野菜のグラッセ、鱒のムニエルにはレモンバターソースがかけられていて、皿の上で淡く湯気を立てている。


 家族が揃い、席に着く。


「五歳のお誕生日、おめでとう、シオン」


 お母様の声に続いて、お父様、リートお兄様、リリカお姉様が口々に祝福をくれた。


「ありがとう、みんな……」


 私はちょっぴり照れながら、笑顔で答えた。


 フォークを手に取り、料理に口を運ぶたび、どこか懐かしくてあたたかい味が広がる。

 それが、家族と一緒に囲む食卓の魔法なのだと、今なら少しわかる気がした。


「それにしても……まさか、あの箱庭がここまで反応するとはな」


 お父様が低く呟くと、リートお兄様もうなずきながら言った。


「空間干渉をあれほど自然に起こせる魔力……やっぱり、ただの感応魔道具とは思えない」


「ふふっ、でも、シオンだからこそよ。きっと、“歌”に込めた想いが、あの庭に命を与えたのね」


 リリカお姉様が微笑みながら言う。


 私は小さくうなずいて、胸に手を当てた。


(ううん、まだ上手く説明はできないけれど……)


(でも、あの時、たしかに“届いた”って思った)


 今日、この一日がどれほど大切な意味を持つのか、きっと後になってもっとわかるのだろう。


 そして、その“始まり”を、家族と共に迎えられたことが、何よりも嬉しかった。



 夕食のあと、デザートとして運ばれてきたのは、淡いピンクの花びらがあしらわれた誕生日ケーキだった。


「わぁ……!」


 いちごの香りと、ふんわりしたスポンジの甘い匂い。


 ろうそくの灯が五本、静かに揺れている。


「さあ、シオン。お願い事をしてから、吹き消しましょう」


 お母様の声に、私はそっと目を閉じた。


(……これからも、みんなが笑顔でいられますように。私の“歌”が、誰かの力になれますように……)


 そして、ふっと息を吹きかける。


 ろうそくの灯がすべて消えた瞬間、テーブルの上から家族の笑顔がぱっと咲いた。


「おめでとう、シオン!」


「おめでとう!」


「よく吹き消せたわね、えらいわ」


 拍手に包まれて、私は照れ笑いを浮かべながら、「ありがとう」を繰り返した。


 この夜のことを、きっとずっと忘れない。



 夜――


 お風呂に入って温まったあと、私はお気に入りのナイトドレスに着替え、ルナちゃんを抱いてベッドに入った。


 カーテンを少し開けておくと、王都の夜空が窓の外に広がっている。

 星がいくつも瞬いていて、そのひとつひとつが、今日の思い出を優しく見守ってくれているようだった。


 私は目を閉じたまま、ふと、今日の出来事を静かに思い返す。


(“箱庭”の景色……あれは夢じゃなかった)


(“歌”が、本当に届いたんだ)


 お父様の手、

 お母様の微笑み、

 リリカお姉様の驚き、

 リートお兄様のまなざし。


 全部、全部、嬉しかった。


「……ルナちゃん。今日は、とっても、素敵な日だったね」


 ぬいぐるみの胸にそっと頬を寄せながら、小さな声でささやく。


「またいつか、あの庭に行けるかな。……今度は、もっと上手に、歌えるようになってるといいな」


 胸の奥がほんのりと温かくなった。


 私はそっと毛布を引き寄せ、まぶたを閉じる。


 静かな夜風が、カーテンの隙間からそっと吹き込み、ルナちゃんの耳を揺らした。


 春の王都の夜――


 “歌”の魔法が、芽吹いた一日。


 その余韻を胸に抱きながら、私は眠りについた。


 夢の中で、もう一度あの箱庭が、そっと花開いているような、そんな気がした。

五歳の誕生日は、

ひとつの節目でありながら、

見えない想いがかたちになった、

かけがえのない“はじまり”でした。


花ひらく箱庭、ぬくもりの言葉、

胸に灯る小さな光。


それは“魔法”と呼ぶにはまだ幼く、

けれど、確かに心を揺らすものだったと思います。


この一日が、

未来へと続く静かな道しるべとなりますように。


最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

また次の物語で、お会いできますように。

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