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『異世界転生でアイドル目指します。』  作者: 星空りん
第二章 響きあう想い
33/76

30 はじまりの教室、揺れる気持ち(前編)

 春の陽差しがやわらかく差し込む朝、私は昨日よりもほんの少しだけ軽い足取りで学院へ向かっていた。


 はじめての登校、はじめての教室、そして――はじめての、名前を呼んでくれる誰か。


(マリナさん……今日も、いてくれるかな)


 胸の奥にほんのりと灯った温もりを大切に包みながら、私は学院の門をくぐった。



 教室に入ると、すでに何人かの子たちが席に着いていて、昨日よりも少しだけ賑やかな空気が広がっていた。


 私が扉を閉めると、すぐに弾んだ声が響いた。


「おはよう、シオンさん!」


 振り返ると、蒼い髪のマリナさんが、机の上に身を乗り出すようにして手を振っていた。


 思わず、私の顔にも笑みがこぼれる。


「……おはようございます、マリナさん」


「ふふ、“さん”づけだとよそよそしいなぁ。昨日あんなにいっぱい話したのに~」


「えっ……じゃあ、マリナ……ちゃん?」


 呼んでみたその響きが、口の中でやけに新鮮だった。

 普段は兄さまや姉さまたちのように、年長者を敬う呼び方が身についていて、「ちゃん」付けなんて、ほとんど使ったことがない。


「うん、それでいいよっ!」


 マリナちゃんは目を細めて、うれしそうに笑った。


 けれど――


(“ちゃん”って……やっぱり、少しくすぐったい)


 慣れない呼び方に、舌先がもぞもぞする。

 心の中では「ちゃん」って呼びたい気持ちもあるのに、口にするとどうしても照れてしまう。


 だから結局そのあとも、私はつい、いつも通り「マリナさん」と呼んでしまっていた。


 けれど、マリナさんはそんな私の戸惑いをまるで気にした様子もなく、変わらず明るく話しかけてくれる。


 それが、とても嬉しかった。


 無理に近づこうとしなくても、すっと隣にいてくれるような安心感。

 話すたびに、少しずつ氷が溶けるように、心の奥がやわらかくなっていく。


 私はこっそり、制服の胸元につけたリボンにそっと指を添えた。

 そこに結ばれたぬくもりを、そっと確かめるように――小さく、ぎゅっと握りしめた。



 やがて教室の扉が開き、担任のエルシア先生が入ってきた。


「おはようございます、皆さん」


 先生の柔らかな声に、教室がぴんと静まり返る。


「今日からいよいよ、授業が始まりますね。まずは“魔法”について、少しずつ理解を深めていきましょう」


 そう言いながら、先生は黒板にゆっくりとチョークで文字を書いた。


『魔法とは、感情と共鳴する力である』


 その言葉を見た瞬間、私の胸に静かに波紋が広がった。


(……やっぱり、“気持ち”が大事なんだ)


 まだ誰にも話していないけれど、私が“歌”に乗せて出す魔法も、きっと感情と深く関わっている。そう、思った。



「魔法は、詠唱や属性といった構成要素だけではありません。皆さんの“心”と“想い”が、魔力をどのように流し、形づくるか――それがとても大切なのです」


 エルシア先生は教卓に置かれた魔石を手に取り、やさしく手をかざした。


「私は風属性ですから、これを見本にしますね。風はとても繊細で、心の揺れをよく映します」


 先生の手元から、ふわりと風が巻き起こった。教室に飾られた小さな花が、そっと揺れた。


「皆さんには、属性に合った魔石を配っています。焦らず、自分の中の感情に寄り添うように、そっと魔力を通してみてください」


 私の机には、風属性の魔石が置かれていた。


(風……やさしい流れ、広がっていくような……)


 手をかざして、集中しようとする。でも――魔石はまったく反応しなかった。


 まわりの席からは、ぽつぽつと成功の声が上がり始める。


「わ、ちょっと火花出た!」

「水が浮かんできたよ!」


 そして、マリナさんの声も。


「うーん、ちょっと湿っただけって感じかな。水ってむずかしい〜」


 苦笑まじりだったけど、ちゃんと反応している。


(私も……少しでいい。あたたかく……)


 そう願っても、何も起きない。



 授業の後半、エルシア先生が各机をまわって声をかけていた。


「マリナさん、水の魔石が反応していますね。とても安定しています」


「えへへ、ありがとうございます!」


 マリナさんが照れたように笑っている。


 そして、先生は私の机の前にやってきた。


「シオンさん……大丈夫ですか?」


「……はい。でも、火が……ぜんぜん、出ませんでした」


 私は視線を落としたまま、そう答えた。


 エルシア先生は少しだけ目を細めて、それからやさしく言った。


「人によって魔力のかたちは違いますからね。すぐに火として現れなくても、焦る必要はありませんよ」


 その言葉に、私は小さくうなずいた。


 先生の言葉はあたたかくて、心に染みた。だけど同時に、どこか申し訳なさのようなものが胸の中に残った。



 授業が終わると、フィリーナ様が静かに立ち上がり、自分の魔石をそっと置いた。


 魔石の表面には、たしかに光が生まれていた。


 それは強い輝きではなかった。

 でも、淡く揺れるその粒子は、水面に陽光が反射したように美しくて、静かで、清らかで。

 まるで彼女自身の内面を映し出しているかのようだった。


「……さすがだね」


 隣にいたマリナさんが、私に小さくささやいた。


 私も、そう思った。

 言葉にはしなかったけれど、魔法を“ちゃんと使いこなしている人”が目の前にいる、という事実に、胸の奥がふっと沈んだ。


 その時だった。


 フィリーナ様がふとこちらを振り向いた。

 まっすぐに、私の目を見て――静かに、ひとことだけ。


「……努力すれば、誰にでもできることよ」


 声は落ち着いていて、感情を込めたわけではなかった。

 その目に、責める色も、優しさも、特別な意味も宿していなかった。


 けれど――それでも、その言葉は、まっすぐに胸に刺さった。


(……私、努力が足りないのかな)


 思ってしまった、その瞬間がつらかった。


 フィリーナ様の言葉は、私に何かを強いたわけではない。

 でも、“できていない”自分がいる今、その言葉は、どうしようもなく心に響いてしまった。


 私は机の上の自分の魔石を見つめた。

 そこには、何の光も浮かんでいなかった。


 静かに、手を膝の上に置く。


 何も言わずに、ただ――肩の奥に、小さな重みが積もるのを感じていた。



 昼食を終えた私たちは、食堂を出たあと中庭でしばらく芝の上に腰を下ろしていた。


 さっきまで賑やかだった食堂のざわめきが、遠くにかすかに聞こえる。

 食後の風が、ほんの少し眠気を誘うようにやわらかく吹いていた。


「ねえ、食堂のパン、今日はなんだか焼きたてだったよね。ちょっとだけ、ふわふわだった気がする」


「そう……だったかも。あまり気にしてなかったけど」


「え〜っ? 気づいてなかったの? もう、ちゃんと味わわなきゃ損だよ〜」


 そんな他愛もない話が、どこか心をほどいてくれる気がした。


 でも、私はぽつりとこぼしてしまった。


「……みんな、すごいなって。魔法、ちゃんと出てて……私だけ、何もできなくて……」


 マリナさんはしばらく黙って、それからゆっくり口を開いた。


「でも、シオンさんって……たぶん、ふつうとはちょっとちがう気がするんだ」


「……え?」


「うまく言えないけど、昨日も思った。なんだろう……話すと、心がやわらかくなるっていうか。きっと、“得意なこと”が、ちがうだけなんじゃないかなって」


「得意なこと……」


(それが、歌……だったら)


 でも、私はうなずくことができなかった。


 だって“歌”が魔法になるなんて、まだ誰にも知られていない。うまく説明できる自信もなかった。


「……ありがとう、マリナさん」


 そう言うのが精いっぱいだった。


 マリナさんは芝に寝転がるようにして、雲を見上げた。


「見て、あれ……パンみたいじゃない?」


 指差した先に浮かぶ、ふわりと丸い雲。私は思わず吹き出してしまう。


「本当……」


「ほら、朝のパンに似てない? 中に甘い実とか入ってそうで、ちょっとおいしそう」


「……マリナさん、おなかすいてるんですか?」


「ううん、ちがうよっ。ただ、見てたらね。そういうふうに思っちゃっただけ」


 彼女の言葉に、私はふっと力が抜けた。緊張していた肩が少しだけ楽になって、ほんの小さく笑うことができた。


「ねぇ、シオンさん」


「はい?」


「昨日から思ってたんだけど、あなたって……なんか、空気がやわらかいんだよね。あったかくて、静かで、そばにいると落ち着くっていうか」


「私が……?」


「うん。なんだろう、陽だまりみたいな人」


 その言葉は、私の中にすとんと落ちてきた。驚きもあったけれど、それ以上に嬉しくて、胸がじんわりとあたたかくなっていく。


「……そういうふうに思ってもらえるなんて、初めてです」


「うふふ、私はけっこう人を見る目あるんだから」


 マリナさんの笑顔は、まるで春の陽のようだった。


 私の中にあった「できなかったこと」や「届かなかった魔法」の焦りが、ほんの少しずつ、ほぐれていく。


「ね、午後もいっしょに頑張ろうね」


「……はい」


 私は心からそう答えた。



 午後の授業が始まる直前。

 私は一人、校舎の外に出て、静かに空を見上げていた。


 春の青空は、どこまでも高くて澄みわたり、雲ひとつないその広がりは、まるで“未来”のようだった。

 まだ何も描かれていない、けれど、確かにそこに続いているもの。


 太陽の光はあたたかくて、肌にふれる風はやさしかった。


 けれどその光も風も、胸の奥にある小さなざわめきを、すべて拭い去ってくれるわけではなかった。


(私には……まだ、何もない)


 魔法は出なかった。

 周りの子たちは、次々に何かを手にしていくのに、私はまだ立ち止まったまま。


 だけど。


(……それでも、あの時の歌が――誰かのためになるのなら)


 あの春の日。

 広場で、声が自然にこぼれたあの瞬間。

 私の中からあふれた“うた”が、人の痛みを癒し、心に光をともしたことを――私は忘れない。


 風が、頬を撫でていく。


 まるで「それでいいよ」と、言ってくれるみたいに。


 私は目を閉じて、ゆっくりと深く息を吸い込んだ。

 胸の奥に、ひとしずくのあたたかさが灯る。


 そして、まっすぐに顔を上げた。


(もう一度だけ、やってみよう)


 この気持ちがあれば、たとえすぐに何もできなくても――

 私は、私のままで、少しずつ進んでいける。


 私は制服の裾をそっと整え、校舎の扉を押した。


 午後の教室へ、歩き出す。

少しずつ歩き出した学院での毎日。

新しい教室、新しい仲間、新しい不安――でも、そのすべての中に、優しく差し込む光もありました。


魔法がうまくいかなくても、「陽だまりみたいだね」と言ってくれる誰かがいる。

それだけで、心の奥がほんのりあたたかくなるのです。


焦らなくていい。

うまくできなくても、うまく伝えられなくても。

シオンが大切にしている“歌”は、きっと少しずつ、誰かの心に届いていくはずだから。


次回も、そんな小さな一歩の続きを、どうぞ見守ってください。

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