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『異世界転生でアイドル目指します。』  作者: 星空りん
第二章 響きあう想い
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28 新たな一歩、学院への扉(前編)

 春の朝は、ほんのりと冷たさを含んでいたけれど、それ以上に心をそっと押し上げてくれるような、柔らかい風が吹いていた。


 王都にも春が来て、街のあちこちには薄桃色の花がほころんでいる。朝日を受けて輝く石畳の道、揺れる街路樹の葉、そのすべてが、今日という一日を祝ってくれているように思えた。


 私は、自室の鏡の前に立っていた。


 王立セレナリア学院の制服に身を包み、胸元のブローチをそっと押さえる。紺色のワンピースには銀糸の葉が繊細に刺繍されていて、白いケープには柔らかな光沢がある。制服としては控えめだけれど、着る人の気持ちを整えてくれるような、そんな衣装だった。


「……似合ってる、かな」


 鏡の中の私に、小さく問いかける。制服に身を包んだ姿は、どこか昨日までの自分とは違って見えた。


 私はベッドの上に座らせていたルナちゃんに近づき、膝をついてそっと頭をなでた。


「行ってくるね。今日は……はじまりの日、なんだって」


 そう言うと、ルナちゃんは小さく頷いたように見えた。



 玄関ホールには、母さまとリート兄さま、リリカ姉さまが揃って待っていてくれた。


 磨き抜かれた大理石の床に、私の足音が小さく響く。その音さえ、今日は特別に思えてしまう。


「いってらっしゃい、シオン。今日からが、新しい日々のはじまりね」


 母さまが静かに微笑みながら、私のケープの襟元を整えてくれる。その手はやわらかくて、指先から伝わる温もりが、胸の奥にじんわりと広がっていく。


「焦らなくていい。自分の歩幅で、確かめていけばいいんだ」


 リート兄さまの声は、いつも通り低くて落ち着いていた。私の頭にそっと置かれた大きな手は、ほんのすこしだけ震えていた気がして、私はその優しさに気づかれないように、そっと目を伏せた。


「緊張してる?」


 リリカ姉さまがくすっと笑いながら、私の前にしゃがみこんで顔を覗き込んでくる。


「……うん、ちょっとだけ」


 小さな声で答えると、姉さまはすぐに私の手を握ってくれた。ふわりと包み込むようなその温かさに、私は思わず胸の奥をぎゅっと握られるような気持ちになった。


「大丈夫。シオンはやさしいし、がんばり屋さんだから。すぐに、あの場所も“居場所”になるよ」


 やさしい声。その言葉のひとつひとつが、心の奥深くに静かに降りていく。


 私は、小さく頷いた。


「ちゃんと前を見て、背筋を伸ばして歩けよー!」


 リート兄さまの大きな声が、玄関に響いた。


「リート兄さま、声が大きい……」


 私は少しだけ眉を寄せたけれど、その言葉の奥にある照れ隠しのような愛情を感じて、思わず笑ってしまう。


 そして、扉が開かれた。


 目の前に、学院へ続く馬車が止まっていた。


 私は、母さまたちを振り返って、もう一度、深く礼をした。


「いってきます」


 そう言って、一歩踏み出す。


 春の風が、そっと頬を撫でていった。




  馬車に揺られながら、私はカーテンの隙間から王都の街をそっと眺めていた。


 朝の光は、白い石畳の道をやさしく照らし、行き交う人々の影を長く伸ばしていた。いつもの街並み――だけど、今日はほんの少し違って見える。


 通りには、私と同じように紺色の制服を身に着けた子どもたちがちらほらと歩いていた。きっと、今日から学院に通う新入生たち。髪を整えた女の子、背筋を伸ばした男の子、そして――どの顔にも、どこか似た緊張と期待の色が浮かんでいた。


(……みんな、同じ気持ちなのかな)


 それを見ていたら、胸の奥でふるえていたものが、ほんの少しやわらいでいく気がした。


 カーテン越しに見える空は澄んでいて、春の光が街路樹の若葉をきらきらと輝かせている。


 やがて馬車がゆっくりと止まり、御者の声が響いた。


「お嬢様、王立セレナリア学院に到着いたしました」


 その声に私は小さく頷いて、深く息を吸う。そして、馬車の扉をそっと押し開けた。


 その瞬間、目の前に広がったのは、白亜の門と、それをくぐった先に広がる広大な敷地――


 高くそびえる石造りの校舎、繊細な模様が刻まれたアーチ、整えられた中庭の並木道。そのどれもが、どこか凛とした空気をまとっていて、言葉にできない圧倒感が胸に迫ってくる。


(ここが……学院)


 胸の奥で、どくん、と心臓の音が響いた。



 受付を済ませて、私は案内に従って講堂へと向かった。


 扉を開けると、そこには木の香りと、やわらかな陽光に満ちた空間が広がっていた。高い天井に届く大きな窓からは光が差し込み、整然と並んだ椅子の間を、小さなざわめきが静かに流れていく。


 席につくと、周囲には同じように緊張した顔の子たちがちらほらと見えた。誰もが口数少なく、それでもどこか落ち着かない様子で座っている。初めての場所は、誰にとっても“はじまり”なのだと思うと、少しだけ安心した。


 ふと、視線を感じて横を向くと――長い蒼髪の女の子が、こちらをじっと見ていた。


(あの子……)


 彼女は、目が合った瞬間、はっとしたように視線をそらした。でも、その横顔にはどこか見覚えがあった。


(……魔力測定のとき。同じ場所にいた子……)


 そう思った瞬間、胸の奥にほんの少し、あたたかさが灯ったような気がした。


 名前も、声も、まだ知らない。

 だけど、どこかで“覚えている”という感覚は、まるで遠くで聞こえたやさしい音楽のように、心をそっと包んでくれた。



 壇上に立った女性教師が、清らかな声で言った。


「ただいまより、王立セレナリア学院 初等部入学式を執り行います」


 そのひと声で、講堂に満ちていた小さなざわめきが、ぴたりと静まった。


「まずはじめに、学院長・セルヴァン=エンステル様より、ご挨拶をいただきます」


 壇上に上がったのは、白銀の髭をたくわえた老紳士。まっすぐに背を伸ばし、ひとりひとりの目を見つめるようにゆっくりと語り始める。


「ようこそ、セレナリア学院へ。皆さんの今日の一歩が、未来を切り拓く大切な始まりになることを、私は信じています……」


 その穏やかで深みのある声は、まるで春の風のようにやさしく胸をなでていく。


(……なんだか、少しだけ緊張がやわらいだかも)


 私は背筋を正したまま、静かに息を吸い込んだ。


 そして――


「つづきまして、新入生代表挨拶。フィリーナ・ノルディア様、前へ」


(……!)


 その名が呼ばれた瞬間、会場の空気がふっと変わった。


 小さなどよめきが起こり、私の隣の席でも誰かが小さく息をのむ気配がする。


 講堂の前方――静かな歩調で壇上へと進んでいく少女の姿があった。


 金色の髪はまるで陽光を編んだように美しく、裾まで整えられた制服姿は一切の乱れもない。

 けれど、それ以上に私の目を引いたのは、その背中だった。


 まっすぐに伸びた背筋、揺るがない足取り、視線の先に曇りひとつないその姿勢――


(……フィリーナ・ノルディア様)


 その名を私は知っていた。

 王国の第三王女。けれど今そこにいるのは、称号や身分に頼ることなく、堂々と立つ“ひとりの少女”だった。


「わたくしたち新入生は、この学院での学びを大切にし、未来を照らす光となるべく、日々努力することを誓います」


 その声は、澄んでいて、芯があって――

 静かに、けれど確かに、講堂のすべてに届いていた。


(……すごい)


 私は知らず、手を胸元で握りしめていた。


(私と歳は変わらないのに……あんなふうに、凛として前を向いてる)


 ほんの少しだけ、胸がざわついた。

 まぶしさと、憧れと、そして――届かないかもしれないという、小さな不安。


(私も、がんばらなきゃ)


 そう思ったその気持ちが、胸の奥にそっと灯をともしていた。



 式が終わると、新入生たちはそれぞれのクラスに分かれて移動を始めた。


 私が案内されたのは一年A組。教室の扉をくぐった瞬間、やわらかな光と、木の机の並ぶ整った空間が広がっていた。


 やがて、前の扉が開き、一人の女性がゆっくりと入ってくる。


「みなさん、はじめまして」


 穏やかな声が教室に響いた。


「今日から一年A組を担当します、エルシア・フェリエルと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 淡い金髪を後ろでまとめ、やさしい微笑を浮かべるその女性――どこか、風のような気配を纏っていた。


「これから、たくさんのことを学びます。失敗しても構いません。大切なのは、前に進もうとする気持ちです」


 その言葉に、緊張していた子たちの表情が少しずつ緩んでいくのが分かった。


(この先生……やさしそうな人だ)


 ふと、先生と目が合い、私は慌てて目をそらした。


(でも、なんだか……安心できる)




 席が発表され、私は後ろの方の窓際に座ることになった。


 やわらかな光が差し込むその席は、どこか落ち着いていて――でも、やっぱり少しだけ、心細かった。


 そんなときだった。


「……はじめまして。マリナ・フローゼルと申します。シオン様、ですよね?」


 隣に立ったのは、蒼い髪の女の子。制服の袖を少しだけ握っていて、その声には緊張がにじんでいた。


「……うん。シオン・エルステリア、です。そんなにかしこまらなくても……“さん”でいいよ」


 なるべくやわらかく笑って、そう返すと、彼女は目をぱちっと見開いて――すぐに、ふっと笑みを浮かべた。


「……じゃあ、シオンさん。よろしくね」


「うん、よろしく」


 その笑顔は、朝の光のようにやわらかくて、澄んでいて。

 きゅうっと胸の奥があたたかくなる。


「今日、初めてのことばかりで緊張しちゃって……シオンさんも?」


「……うん。少しだけ、こわかった」


 ぽつりと漏れた本音。

 するとマリナさんは、目を細めて、微笑んだ。


「ふふっ、でも……今はちょっとだけ安心したかも」



 そのまま初日の授業は始まらず、エルシア先生は教卓の前でそっと微笑んだ。


「今日はこのあと、皆さんに自己紹介と教室の案内をしてから、お昼を食べて、少し学院内を歩いてもらおうと思います」


 やわらかな声だった。

 それだけで、教室の空気がふんわりとほどけていくのがわかった。


 新しい仲間。新しい先生。新しい場所。


 すべてが、まだ遠慮がちに、そっと手を伸ばしてくれているようだった。

 知らないことばかりで、怖くて、不安だったけれど――

 でも今は、ほんの少しだけ、その手を取りたくなる。


 私は制服の胸元にある、小さなブローチにそっと指を添えた。

 制服に最初からついていたものだけれど、どこか自分を守ってくれるような気がして――不思議と、心が落ち着いた。


 小さく深呼吸をひとつ。


(……ここで、私は)


 言葉にするにはまだ早い。

 でも、はじまりの音が、たしかに心の奥で鳴っていた。


(この場所で、きっと――何かを見つけられる)


 手のひらに残るぬくもりが、そっと背中を押してくれていた。

新しい制服に袖を通し、初めての教室へ向かうシオンの姿には、少しの不安とたくさんの希望が詰まっていました。


誰かと出会い、名前を交わし、初めての“はじまり”を迎える――

そんな当たり前の一日が、彼女にとっては宝物のように大切で、かけがえのない第一歩です。


まだ始まったばかりの学院生活。

でも、その教室の光の中で、シオンの胸にはすでに小さな“歌の灯り”が灯りはじめているような気がします。


ここから、どんな出会いが待っているのでしょうか。

次回も、そっと見守っていただけたら嬉しいです。

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