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『異世界転生でアイドル目指します。』  作者: 星空りん
第二章 響きあう想い
30/76

27 はじまりの前夜、胸に灯るもの

 ――その夜、私はなかなか眠れなかった。


 明日から始まる学院生活。

 新しい制服、新しい出会い、そして……誰にも言えない、小さな夢。

 胸の奥がそわそわして、私はベッドを抜け出し、窓辺に腰掛けていた。


(……大丈夫かな。わたし、ちゃんとやっていけるかな)


 ぼんやりと星の光を見つめながら、私は今日一日を思い返していた――


 朝からの出来事。家族との会話。小さな贈り物――

 そして、ほんの少しの勇気をもらえたこと。


 王都の夜は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 石畳を撫でる夜風には、ほんのりと春の香りが混じっていて、空には星がひとつ、またひとつと、夜の帳の奥に静かに瞬いていた。


 カーテンの隙間から差し込む月明かりを見つめながら、私はそっと息を吐いた。


 王都の街並みは遠くまで灯りに彩られ、柔らかく滲むその光はまるで、明日からの私の未来をそっと照らしてくれているようだった。


 膝の上には、昼間しっかりと磨いておいた制服が丁寧にたたまれている。

 紺色の布地に刺繍された金糸の葉模様は、月明かりを受けて静かに輝いていた。

 手のひらをそっとケープの上に滑らせると、布の感触が指先に伝わってきて、胸の奥がきゅっとなった。


「……明日から、学院生なんだね」


 そう呟いた声はとても小さくて、でも私の中では、深く響いた。


 王立セレナリア学院――憧れていた場所。

 魔法を学び、たくさんの子たちと出会い、自分の力を見つけていく場所。

 けれどその一方で、私はひとり、まだ誰にも言っていない“夢”を胸に抱えていた。


(アイドルになりたい。歌で誰かを笑顔にしたい)


 この世界には、まだ“アイドル”という言葉すら存在しない。

 でも、それでも私は思ってしまうのだ。あの光――私が初めて歌ったときに、胸の奥からあふれた光のことを。

 あれはきっと、私の中にある“歌の魔法”。それが、きっと何かに繋がっているって、信じたい。


(だけど、うまくやっていけるかな……)


 学院に通うのは、私だけじゃない。

 きっと、貴族の子も、街の子も、魔法に秀でた才能を持つ子たちがたくさんいるだろう。

 そんな中で、私の“歌”なんて……役に立つのかな。誰にも届かなかったら? 笑われたら?

 そんな不安が、胸の奥をそっと締めつけた。


 私は制服をそっと抱きしめ、目を閉じた。


(でも……それでも)


 たとえ明日が不安でも、それでも、踏み出したいと思ってしまう。

 自分の声で、自分の気持ちで、誰かの心に何かを届けられるなら。

 その“かもしれない”のために、私はこの道を選んだのだから。


 ふと、机の上に視線を移す。

 そこには、今日の午後、リリカ姉様から手渡された小箱が置かれていた。

 昼間、一度は開けて見たはずなのに、どうしてだろう。

 今あらためて蓋をそっと開けると、胸の奥がきゅっとなる。


 中には、音符の模様が彫られた小さなブローチ。

 ほんのり青い宝石がはめ込まれていて、見る角度によって、きらりと色が変わって見える。


「お守り代わりに、って……」


 リリカ姉様は言っていた。

 これは、母様からリリカ姉様が入学のときにもらったものに似せて作ってもらったものなのだと。

 リリカ姉様自身が選んで、私のために用意してくれた、たった一つの贈り物。


 私はそっと、それを手に取ってみる。

 ひんやりとした感触が手のひらに伝わってきて、まるで、リリカ姉様の言葉がそのまま形になっているような気がした。


「“歌の魔法は、誰とも違っていていい”……だよね、リリカ姉様」


 呟いた声は、自分自身に向けた言葉だった。


 まだ誰にも明かしていない“夢”。

 だけど、私は信じたい。私の歌が、誰かに届く日が来ることを。

 そして、アイドルとして、みんなを笑顔にできる日が来ることを。



 午前中は、母様とリリカ姉様と一緒に、学院の持ち物を確認していた。

 新しいノートに筆記具、体操服、そして予備のハンカチと、折りたたみ式の魔法板。

 すべてが整っていて、ひとつとして足りないものはなかった。

 それなのに、心だけが、どこか置いていかれているようだった。


 持ち物を一通り揃え終えたあと、リリカ姉様が「ちょっと待ってて」と言って自室へ向かった。

 戻ってきたリリカ姉様の手には、小さな薄青の小箱が握られている。


「これ、入学のお祝いに私から贈るね。お守り代わりに、きっとなると思うの」


 そう言ってそっと手渡された箱を開けると、中には音符の模様が刻まれた小さなブローチが収まっていた。

 宝石の色は、淡く透き通った青。

 見る角度によって表情を変えるその輝きに、私は一瞬、言葉を失った。


「母様からもらったものに似せて、私が選んでもらったの。きっと、シオンに似合うと思って」


 リリカ姉様の優しい微笑みに、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。


「……ありがとう、リリカ姉様。だいじにするね」


 小さな宝石のブローチは、ただの飾りではなく、リリカ姉様の想いそのもののように感じられた。


 制服に袖を通すと、鏡に映る自分がほんの少し背伸びしているように見える。

 胸元のリボンタイを結びながら深く息を吸うと、鏡の中の私は、小さく、でも確かに変わろうとしているように感じられた。


 リリカ姉様がそっと私の肩に手を置いた。


「緊張してる?」


「うん……少しだけ」


「それなら大丈夫。何も感じないより、ずっといいことよ」


 リリカ姉様の言葉は、いつも簡単で、でも不思議と心に届く。

 私が何を不安に思っているのか、どうして悩んでいるのか、全部分かっているような気がした。


 その後、サロンに紅茶が用意されて、私たちは母様と一緒にティータイムを過ごした。


 カップに注がれた紅茶は、淡いレモンの香りがして、心をゆるやかに落ち着かせてくれる。

 焼きたてのバタークッキーの甘い香りが漂う中、母様の声がふわりと私の耳に届いた。


「大丈夫よ、シオン。緊張するのは、ちゃんと頑張ろうとしてる証拠。自分のことを信じてごらんなさい」


「……うん」


 言葉にしなくても伝わる優しさが、母様の所作のひとつひとつに込められていた。

 あたたかい紅茶の湯気の向こうで、母様の笑顔がやわらかく揺れていた。


「明日は、何かを始める日。何かを終える日じゃないのよ」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で、なにかがふっとほどけていくような気がした。



 夕食のあとは、ほんの少しだけリリカ姉様と一緒に中庭を歩いた。


 夜の空気は澄んでいて、庭の花壇に植えられた春の花々がほんのりと香りを放っていた。

 月明かりに照らされた噴水の水面が静かに揺れて、まるで昼間の光景とはまったく違う、幻想の世界のようだった。


「シオン、学院ではね、きっといろんなことがあると思うわ」


「……うん。わたし、うまくやれるかな」


「うまくやる必要なんてないのよ。あなたが、あなたらしくいること。それが、いちばん大切なの」


 リリカ姉様はそう言って、私の手をそっと取った。


「シオンの歌には、心がある。言葉がある。誰かのために歌いたいって思える気持ちは、それだけで立派な力よ」


「……ありがとう」


 その言葉を聞いて、少しだけ目頭が熱くなった。


 誰にも言えなかった気持ちを、リリカ姉様は不思議と受け止めてくれる。

 まるで心の扉をそっとノックされるように。


「大丈夫。明日はきっと、素敵な一日になるわ」


 私は小さくうなずいた。



 その夜。部屋に戻った私は、ルナちゃんを胸に抱きながら、静かにベッドの縁に腰を下ろしていた。


 磨き終えた制服は、椅子の背もたれに掛けてあり、月の光に照らされて、まるで誰かがそっと微笑んでくれているように見えた。

 あの制服を着て、私は明日、学院の門をくぐる。

 まだ見ぬ教室、初めての授業、きっとたくさんの子たちとの出会いが待っている。


(うまくやっていけるのかな……)


 また、不安が胸の奥をもぞもぞと動き始める。

 けれど、今の私は、その不安をぎゅっと抱きしめてあげられるくらいには、少しだけ強くなっている気がした。


 その強さの理由は、きっと、今日もらった言葉たちのおかげだ。

 母様の紅茶の香りとともに届いた励まし。

 リリカ姉様のくれたブローチのあたたかさ。

 そして、自分自身が紡ぎ出した小さな“歌のことば”。


 私はベッドの脇の机に近づき、引き出しから学院用の練習帳を取り出した。

 最後のページに、そっとペンを走らせる。


「……“明日 あたらしい風のなかで わたしは 歌をさがす”……」


 まだ歌にはならないけれど、どこかで旋律が浮かび上がるような気がする。

 そうやって、少しずつ“歌の魔法”が形を得ていくのかもしれない。


 その言葉を書き終えたあと、私はゆっくりとペンを置いた。


 このページが埋まるころ、私はきっと、何かをつかめているだろうか――。

 そんな予感と、ほんの少しの期待が、胸の奥でゆっくりと芽吹きはじめていた。



 窓辺に立つと、夜空にはいくつもの星が広がっていた。

 風がレースのカーテンを揺らし、部屋の中にそっと夜の匂いを運んでくる。


 私は、自然と口を開いていた。


「……あしたが はじまる ひかりのなかで

 とどけたいのは ちいさなねがい……」


 声に出すことで、自分の想いが確かになる。

 歌にすることで、どんなに小さくても、自分にとって大切な“願い”になる。


 目を閉じると、歌が光になって広がっていくイメージが浮かんだ。

 あの街で感じた、心の奥が温かくなるような“ひかり”が、またふわっと灯るような感覚。


 私はそのまま、そっと窓を閉じた。

 そして、ルナちゃんを抱いて、ベッドに横になる。


 布団にくるまりながら、明日の朝のことを思い浮かべる。

 早く起きられるかな。制服の襟元はちゃんと整えられるだろうか。靴はきれいに磨けているかな。

 そして、私は――ちゃんと笑えるかな。


 でも、きっと大丈夫。

 だって私は、“歌うために”ここに来たのだから。


 学院で過ごす日々のなかで、何を感じて、何を知って、どんな風に成長していくのだろう。

 思い描いた通りにはいかないかもしれない。

 けれど、それでも私は、自分の道を歩きたい。


 私はもう一度、胸元のブローチにそっと触れた。

 リリカ姉様がくれた音符の模様――それはまるで、私自身の“音”を映すような形をしていた。


 そして、ルナちゃんに小さく囁いた。


「……行ってくるね、ルナちゃん」


 その囁きは、小さな別れのようでいて、確かな“はじまり”の言葉だった。


 いつかこの胸の内にある“歌”が、本物の魔法になる日まで。

 笑われても、傷ついても、迷っても。

 私はこの足で、一歩ずつ進んでいく。


 私の“ステージ”は、ここから始まる。


 それは、誰にも負けないくらい強くて、まっすぐな、私だけの“願い”だった。


 そして夜が、静かに深く降りてくる。

 明日へと続く光が、きっと、私を照らしてくれると信じながら――。

明日を前に、胸の奥で小さく芽吹いた決意。

シオンにとって、それは不安と希望が寄り添う、特別な夜でした。


制服に込めた思い、姉からの贈り物、母の紅茶の香り――

ひとつひとつのぬくもりが、彼女の背中をそっと押してくれたのだと思います。


歌うことが、ただ好きだった少女が、

“誰かのために”と願い始めたその瞬間。

それこそが、魔法の第一歩なのかもしれませんね。


いよいよ、次回から新しい日々が始まります。

シオンの小さな“はじまり”を、どうか優しく見守ってください。

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