表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『異世界転生でアイドル目指します。』  作者: 星空りん
第二章 響きあう想い
28/76

25 王都への旅立ち、新たな日々のはじまり

 春の風が、静かに屋敷の庭を揺らしていた。


 淡い若草色の芝生に、咲き始めたばかりの小さな花々が点々と彩りを添えている。冬の名残をわずかに残しながらも、季節は確かに新しい幕を開けていた。私は、開いた窓辺に立ち、頬を撫でていく柔らかな風に目を細める。


「……もうすぐ、王都に行くんだね」


 ぽつりとつぶやいた言葉は、誰にも届かず、風に紛れて消えていった。


 王都から戻って数日。エルステリア侯爵邸では、毎日のように荷造りや確認で賑わっていた。王の命により私は王都に滞在することとなり、王立セレナリア学院への入学も正式に決まった。新たな生活の場となる王都の館へ――いよいよ旅立ちの日が訪れる。


 母様は使用人たちと共に荷物の最終確認をしており、リート兄様とリリカ姉様は、それぞれ王都で必要になる物の確認のために、何度も部屋と玄関を行き来していた。私はといえば、まだどこか実感が湧かないまま、自室の椅子に腰掛け、窓の外の景色をぼんやりと見つめていた。


(王都……)


 それは、ずっと憧れてきた場所だった。広くて、きらびやかで、たくさんの人が行き交う街。けれど今、その憧れが現実として迫ってくると、胸の奥がそわそわとして、少しだけ不安にもなる。


 同行するのは母様、そしてリート兄様とリリカ姉様。二人はすでに王立学院に通っているが、領地からの馬車通学は時間がかかるため、共に王都の館へと移ることになった。王都の方がずっと近くて、そして、なにより私が心配だからと。


 父様は領地の政務のため、しばらく本邸に残ることになっている。


「王都での暮らしには、慣れるまで時間がかかるだろうが、焦らずにな。お前はお前のままで、しっかり進んでいけばいい」


 旅立ちの朝、父様はそう言って、私の頭に手を置いた。その掌の温もりは、優しさと共に、背中を押してくれるようだった。


「うん。がんばってくるね。お父様も、体に気をつけてね」


 小さく手を振った私に、父様は静かにうなずき、目を細めて見送ってくれた。


 その眼差しは、まるで何かを託すように、深く、あたたかかった。



 馬車の窓の外に見える景色が、少しずつ変わっていくのが分かった。


 のどかな田園風景から、徐々に石造りの家々が増え、人の気配も濃くなる。舗装された石畳の道を通るたび、車輪の音が軽やかに響き、遠くから鐘の音のようなものが微かに聞こえてきた。


 私は思わず背筋を伸ばし、胸元のブローチにそっと触れる。


(大丈夫。きっと、ちゃんとやっていける)


 そう自分に言い聞かせるように、ひとつ息を吸い込んだ。馬車の揺れが、心の奥にあった小さな不安までも揺らすようだった。


 隣に座る母様が、ふと私の手にそっと手を重ねる。


「不安なときは、無理に笑わなくてもいいのよ。シオンの歩幅で、一歩ずつでいいからね」


 その声は、どんな教えよりも優しく、力強かった。


 やがて、馬車は王都の外縁に差しかかる。


 道は石畳に変わり、建物も少しずつ高く、色鮮やかになっていく。木製の看板を掲げた店舗、広場を彩る屋台、行き交う人々の衣装も多彩で、見ているだけで胸が躍るようだった。


「すごい……あれ全部、お店なの?」


 思わず身を乗り出してしまった私に、リリカ姉様が優しく頷いた。


「ええ。あの通りは“花咲き通り”と呼ばれているの。季節ごとのお菓子や飾りが揃う、王都でもとびきり人気の商店街よ」


 リート兄様が補足するように続ける。


「衛兵や使節もよく通る道だからな。王都の顔って呼ばれる場所の一つだ」


 通りには、果物や焼き菓子、花束の香りが風に乗って流れてきた。人々の笑い声や呼び込みの声が重なり合い、王都の賑わいがひしひしと伝わってくる。


 私は窓から顔を出して、街の景色を目に焼きつけた。ひとつひとつの音、色、匂い――そのすべてが、新しい生活の始まりを告げている気がした。


 そうして馬車は商業区を抜け、貴族街へと入っていった。街の中心部から少し離れた高台には、由緒ある邸宅が静かに佇んでいた。


 それが、私たちエルステリア家の王都の館だった。



 馬車の揺れが止まり、扉が静かに開かれた。


 玄関前には、既に使用人たちが整列して待っていた。中庭の花壇には、春の花が咲き誇り、噴水の水音が風に乗って心地よく耳に届く。


「ようこそお帰りくださいました、アリエッタ様、リート坊ちゃま、リリカお嬢様、そして……シオンお嬢様」


 一人ひとりに名を呼びかけるその声は、しっかりと響いていて、けれどどこかあたたかかった。王都の館で働く執事や侍女たちは、領地の本邸とはまた少し雰囲気が異なる。誰もが洗練された動作で、それでいて丁寧に接してくれる。


 私は緊張した面持ちで、お辞儀を返した。


「ただいま戻りました。……よろしくお願いします」


 使用人の中に、年配の女性が一歩前に出て、にこやかに頭を下げた。


「改めまして、私は館の家政を預からせていただいております、レーネと申します。お嬢様の王都での生活を、精一杯お支えさせていただきますね」


 やわらかな声音が、心の内の緊張をそっとほどいてくれる。


「……はい。よろしくお願いします」


 母様が私の背に手を添え、そっと押し出してくれた。


「さあ、シオン。中を見ていきましょうか」


 館の扉が開くと、磨き上げられた石床に光が反射し、優しい日差しが玄関ホールを満たしていた。飾られた花瓶には、王都でしか見かけない薄紫の花が活けられている。天井のレリーフや壁に掛けられた織物――どれも格式を感じさせるけれど、不思議と落ち着く空間だった。


 案内された部屋は、私だけの新しい部屋。


 白を基調とした壁紙に、薄い紅色のカーテン。奥の窓を開ければ、王都の街並みが一望できた。


 ふかふかのベッドの上には、すでにルナちゃんが座らせてあった。リリカ姉様が気を利かせて、そっと置いておいてくれたのだろう。


「……ここが、わたしの部屋、なんだ」


 静かにつぶやいた声が、やけに響いた。


 旅の疲れを感じる暇もなく、胸がどこかふわふわしていた。ここから始まる日々のことを考えると、期待と少しの不安がまぜこぜになって、胸がざわざわと波立った。


「不安なことがあれば、なんでも相談してちょうだいね」


 母様の言葉に、私は小さくうなずいた。


「……ありがとう、母様」



 荷解きを終えたあと、私は母様と共に館の中を案内してもらうことになった。


「ここが応接室。そして、この奥が家族の食堂よ。使用人の方々の動線とは別に、家族専用の回廊もあるの」


 母様は落ち着いた足取りで、一つひとつ丁寧に教えてくれる。館は広くて、初めての場所ばかりだったけれど、母様の声が道しるべのように感じられて、少しずつ安心が芽生えていった。


 途中、リート兄様とすれ違った。


「迷ったら、すぐ人を呼ぶこと。部屋で困ったことがあったら、あの呼び鈴を鳴らすといい」


 そう言って指差したのは、壁際に取り付けられた金の装飾が施された小さな鈴だった。軽く触れると澄んだ音が鳴る。


「……うん、わかった」


「慣れないうちは無理をするなよ」


 兄様の言葉に私は小さくうなずき、胸の中にじんとするものが広がった。



 夕食は家族そろって、王都での初めての晩餐となった。


 食卓には、領地では見かけなかった料理も並んでいて、野菜のマリネや白身魚のハーブ焼き、甘く煮た果物のソースがかけられたデザートなど、王都の風を感じるものばかりだった。


「どう? 王都の味は」


 リリカ姉様が微笑んで聞くと、私はフォークを置いて、ほっと息を吐いた。


「うん、美味しい……けど、少しだけ、緊張する」


「ふふ。最初はみんなそうよ。だけど、食卓はおしゃべりの場所でもあるの。安心して楽しみましょう」


 母様がそう言って微笑むと、気が緩んで、私はようやく一口分だけ大きく息を吸うことができた。



 夕食のあとは、リリカ姉様の勧めで中庭を少しだけ歩いた。昼間とは違い、街の光が遠くにちらちらと見え、夜の王都には静けさの中に凛とした美しさがあった。


「明日は、学院の準備ね。制服をもう一度着てみるといいわ。慣れておくと、朝が少しだけ楽になるから」


「……うん。着るたびに、背筋が伸びる気がするの。制服って、不思議だよね」


 そんな私の言葉に、リリカ姉様はふっと笑って言った。


「きっと、少しずつ“学院生の顔”になっていくのね、シオンも」


 私は、うん、と頷いた。



 自室に戻り、ベッドに身を沈めたときには、頭の中がいっぱいだった。


 王都の道、館の中、母様の言葉、兄様の手、姉様の笑顔――そして、新しく始まる“学院での生活”。


 私は枕元に置かれたルナちゃんをそっと抱き寄せた。そのぬくもりのような存在に、胸の奥がふわりとほどけていく。


「……ちゃんと、できるかな。友達、できるかな……」


 小さな声でぽつりとつぶやくと、ルナちゃんは黙って微笑んでいるように見えた。


 窓の外に目をやると、夜の王都の灯りが星のようにまたたいていた。昼の賑やかさとは違って、静かで、どこか神聖な雰囲気が漂っている。


 私は毛布を引き寄せ、まぶたを閉じた。


(だいじょうぶ。私なら、きっと……)


 その思いは、小さな祈りとなって心に灯り、ゆっくりと夢の世界へと導いていった。


 ――こうして、王都での新たな日々が、そっと幕を開けたのだった。

小さな旅立ちは、きっと大きな一歩。

王都という新しい世界に触れながら、シオンの物語は少しずつ広がっていきます。


不安も希望も胸に抱きながら、彼女がどんな未来を紡いでいくのか――

この先も、そっと見守っていただけたら嬉しいです。


また、次のお話でお会いしましょう。


もし、少しでも心に残る場面がありましたら……

感想やブクマ、いいねなど頂けたら、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ