特別短編 『小さな決意と、幻の“うたの箱”』
※この物語は、内容としては本編とは関係ありません。
きっかけは――私自身が、S○itch2の抽選に何度も落ち続けたことでした。
どうしても欲しくて、それでも届かなくて。
その気持ちがあまりに強くなってしまって、気づけば勢いのまま物語を書いていました。
リライト版では、当初よりもより深く、丁寧に、シオンの心の揺れや“想いが届かない痛み”を描き直しました。
そして、それでも前を向こうとする“小さな決意”を、そっと言葉に込めています。
きっと誰にでも、“届かない”と感じる瞬間がある。
でも、あきらめきれない夢があるなら――それは、まだ終わりじゃない。
そんな想いが、読んでくださる誰かの心に、少しでも届きますように。
エルステリア侯爵家の応接間に、こっそりと届いた一通の手紙。
金縁の厚紙に包まれたそれは、控えめな封蝋で封じられ、机の上にそっと置かれていた。
宛名には「シオン・エルステリア様」。
その整った筆跡を目にした瞬間、シオンの心臓はドクンと跳ねた。
(きた……!)
ほんの数日前、自ら応募した“夢の箱”。
王都中の話題をさらっている“魔導演奏箱<創造堂のエネ・ロア2>”の特別頒布抽選――その、結果。
けど……
封筒に触れた指先が、かすかに冷えていく。
(読まなきゃ……でも、読みたくない……)
心が、少しだけ、逃げようとしていた。
封蝋をゆっくり剥がし、手紙を引き出す動作は、まるで時を止める儀式のようだった。
「……あ……」
白紙のように思えた手紙に、たった一行の文字。
――落選しました。
その短い言葉が、目に焼きついた瞬間。
喉がひゅっと音を立てて、胸がふさがった。
「……そんな……」
シオンは、ソファの端に腰を下ろしたまま、指先で手紙を落とすように床に滑らせた。
ルナちゃん――リート兄さまがくれた、うさぎのぬいぐるみを抱きしめる。
「ねえ、ルナちゃん……」
かすれた声が、部屋の中にふっと溶けた。
「だめだったの。……また、“届かなかった”」
震える指が、ぬいぐるみの耳をなぞる。
「……そんな……」
再び小さく呟くと、言葉は喉の奥でかき消えた。
心の中で揺れていた“希望”が、ふっと萎んでいくようだった。
シオンはそっと立ち上がり、部屋の隅――いつもルナちゃんと一緒に座っていた、読書用の丸椅子へ歩み寄る。
手紙は、床の上。見ないようにしても、文字は瞼の裏に焼きついていた。
「ルナちゃん……どうして、わたし、こんなに欲しかったのかな……」
問いかけてから、自分で答えるように口をつぐむ。
その理由は、とっくにわかっていたから。
“創造堂のエネ・ロア2”。
ただの魔導機械なんかじゃない。
音と光と魔力が重なり合い、幻想的なステージ空間を再現することができる、魔導演奏箱――
前世の記憶で夢中になった“ゲーム機”のようなものだった。
だがそれは、ただの遊び道具ではなく――
「……あれがあれば、もっと“歌”が上手になれるって……思ったのに」
小さな唇がかすかに震える。
こみ上げてくる想いが、胸の奥でじわりと滲み出してくる。
「もっと、響かせたかったのに……」
この世界で、自分にしかない“歌の魔法”。
誰かを癒やせるその力を、もっと上手に届けたかった。
伝えたかった。
届かなかった場所に、音で、光で、想いで――“届きたかった”。
けれど。
落選。
届かなかったのは、想いだけじゃない。
「なんで……わたしだけ、こんなに……“届かない”のかな……」
弱音だった。
言いたくなかったけど、こぼれてしまった。
ルナちゃんの耳を握りしめる手に、少しだけ力が入る。
ルナちゃんは、リート兄さまが何も言わずにくれたもの。
まだ言葉も話せない頃、誰よりも早く、彼女の気配に気づいてくれた家族。
シオンにとって、最初に手にした“ぬくもり”。
「ねえ、ルナちゃん……
あれがあったら、わたし、もっと歌えるようになると思ったの。もっと……強くなれるって……思ったのに」
ルナちゃんは何も言わない。でも、その静けさが、シオンの心を受け止めてくれる。
「……でも……泣いても、仕方ないのにね」
涙が、ひとすじ、頬を伝う。
悔しさとは、ちょっと違う。
寂しさとか、諦めとか、でもそれだけじゃない。
胸の奥に灯っていた想いが、静かに、けれど確かに揺らめいている。
そのとき――
窓の外から、風の音が聴こえた。
ふと顔を上げると、夜の帳が下りはじめていた。
白いカーテンがふわりと揺れ、星々のまたたきが窓越しに顔を覗かせる。
「……行こう、ルナちゃん」
シオンはぬいぐるみを抱きしめたまま、ゆっくりと窓辺へ歩いた。
細い指でそっと窓を開けると、冷たい夜風が頬をなでていく。
頬の涙が、ひやりと風にさらわれて、かすかに笑みが浮かんだ。
夜空には、星があった。
前世の夜空と、似ているようで、どこか違う。
でも――見上げるたびに、何かを思い出すような、そんな感覚がある。
「……お願い。どこかに、ひとつだけでいいの。まだ残ってるなら……」
その声は、誰に届くでもなく。
まるで、心の奥の想いが、そのまま歌になったようだった。
そして、シオンは――歌った。
「――とどけ、ねがいのうた
あのひかりを、この手に……♪」
旋律は静かで、どこまでも優しくて、そして、どこか切なかった。
風が、カーテンを揺らした。
星が、ひときわ強く瞬いた。
ぬいぐるみのルナちゃんは、変わらずシオンの胸の中にあった。
「きっと、叶うって……わたし、信じてるから」
歌が終わると、世界はまた静けさに戻った。
それでも――胸の奥には、小さな灯が、確かに残っていた。
それは、悔しさじゃない。
ただ純粋に、諦めたくないという気持ち。
“どうしても欲しい”――という、夢につながる熱。
「明日になれば、また動き出す」
シオンは小さく笑った。
「手に入るまで、あきらめない。魔法でも、歌でも――なんでもする」
だって、それが――
自分の“夢”と、つながっているのだから。
夜空に向けて紡がれたその想いは、まだ誰にも知られていない。
そして今、彼女の中で確かに、“ひとつの物語”が動き出した。
◇ ◇ ◇
――それから、数週間後。
もう一通、封書が届いた。
前よりも少しだけ薄い紙。けれど、宛名の筆跡はあいかわらず丁寧で、それだけで胸がふるえた。
今度こそ。
あの夜に込めた“願い”が、ほんの少しでも届いていると信じたくて。
(今度こそ……!)
でも、開封する指が震えていた。
怖かった。期待して、また傷つくのが。
――落選しました。
目にした瞬間、息が止まった。
「…………ぁ」
声にならない息が、喉の奥でつまる。
ひゅ、と小さく空気を吸い込んで、視界がじわりとにじむ。
シオンは床に膝をついたまま、手紙を落とすようにして、ルナちゃんを胸に引き寄せた。
「ねえ……ルナちゃん……」
その名を呼ぶ声は、涙で濡れていた。
「また、届かなかった……。あんなに願ったのに……あんなに、想い込めて……」
ぎゅっと、ぬいぐるみを抱きしめる。
その耳にそっと顔を押しあてると、涙が一滴、ぽたりと落ちた。
「なんで……なんでなの……。どうして、わたしばっかり……“届かない”の……」
声が震える。嗚咽になりそうなのをこらえるように、ただ抱きしめた。
ルナちゃんは何も言わない。でも、その静けさが、シオンの全てを受け止めてくれていた。
「わたし、間違ってたのかな……。あれがあれば、もっと上手に歌えるって……もっと、届くって……」
涙でぬれた頬を、ぬいぐるみの毛並みがやさしく拭ってくれるようだった。
「ねえ、ルナちゃん……わたし、どうしたらよかったの……?」
問いかけても、返事はない。
けれど、その沈黙は、責めるでも慰めるでもなく、ただ“そばにいる”という確かな証だった。
泣かないって、決めていたはずだった。
前は、がんばって耐えられたのに――今は、無理だった。
でも、それでいい。
今はルナちゃんがそばにいてくれるから、泣ける。
――その夜、シオンは歌わなかった。
ただ、小さなぬくもりを抱きしめたまま、胸の奥に灯ったままの“夢”をそっと守っていた。
それが、まだ終わらない物語であることを、誰よりも信じたくて――。
◇ ◇ ◇
それは、もう願っていないはずの――三通目の手紙だった。
前と同じ、金縁の厚紙。封蝋も、筆跡も変わらない。
けれど、胸はもう跳ねなかった。
心のどこかで、また“あの言葉”が書かれているのだろうと、知ってしまっていたから。
それでも。
(……読まなきゃ)
希望を捨てたくない気持ちが、まだ残っていた。
震える手で封を切り、手紙を引き出す。
「…………っ」
目を細めても、にじむ文字は消えなかった。
――落選しました。
三度目。もう笑ってしまいそうだった。
「そっか……また、だめだったんだね……」
声はもう、怒りでも涙でもなかった。
ただ、疲れたような静けさに満ちていた。
けれど、その手は――自然と、ルナちゃんを探していた。
いつもの椅子の上に、ルナちゃんは静かに座っていた。
変わらない場所に、変わらない姿で。
シオンはそっと歩み寄り、ぬいぐるみを胸に抱いた。
「ねえ……もう、わたし、どうしたらいいのかな……」
問いかける声は、かすれていた。
「願っても、頑張っても……届かないの。こんなにも、ほしいのに……」
声が震える。
ルナちゃんの耳に顔を寄せると、ほんの少しだけ、涙がこぼれた。
「もう、いいよって……思ったはずなのに……。
でも、ね……やっぱり、ほしいの。あの“うたの箱”……。どうしても……」
ぽつり、ぽつりと、言葉がこぼれる。
それでも、ルナちゃんはずっと黙ってそばにいてくれる。
誰よりも、何よりも、そばにいてくれる。
「……ルナちゃん。
あきらめたら、そこで終わっちゃうよね……? わたし、まだ終わりたくないの」
手は震えていたけれど、その目は――ほんの少し、前を向いていた。
悲しい。悔しい。
でも、それよりもっと強い想いが、胸の中にまだ灯っている。
「次が、あるよね。もう一回だけ……」
その言葉に、ルナちゃんはやさしく寄り添ってくれる。
ぬいぐるみの小さな耳をなでながら、シオンは深く息を吸い込んだ。
夜空を見上げる勇気は、今はない。
でも、“願う心”は、まだ消えていなかった。
三度目の落選。
それでも――夢は終わらない。
シオンはそう信じて、ルナちゃんを抱きしめたまま、そっと目を閉じた。
その胸の奥で、またひとつ、静かな“うた”が、生まれようとしていた。
シオンの後書き
『小さな決意と、幻の“うたの箱”』を、ここまで読んでくれて――ありがとう。
……なんだか、ちょっと恥ずかしいね。
でも、これが“本当の気持ち”だったから。
たかが抽選、されど抽選。
でも、“届かない”って、何度も何度も突きつけられると、
まるで、自分の想いまで否定されたような気がしてしまいます。
それでも、ルナちゃんがいてくれたから、泣けたし、また前を向けた。
あの“うたの箱”は、まだ私の手の中にはない。
けれど、諦めなければ、きっと――
いつか、本当に届く日がくるって、今はそう信じてる。
泣いたっていい。弱音をこぼしてもいい。
それでも立ち上がる“決意”さえ、心のどこかに残っていれば――夢は、終わらない。
この物語が、どこかで、あなたの背中をそっと押せたのなら。
そんなふうに願いながら、私はまた、歌を紡いでいくね。
ありがとう。
また、どこかで――。
――シオンより