第七話 言葉より前にある祈り
私は、もともと声が小さい。
誰かにそう言われたことがある。
でも、たぶんそれは違う。
私は、声を出さない。
あえて、出さない。
言葉にしてしまったら、全部が壊れてしまう気がするから。
壊したくないものが、たくさんある。
名前を呼べなくなった人。
呼んではいけない気がする感情。
火の中でだけ、確かだった風景。
私はそれらを、胸の奥にしまっている。
誰にも渡さずに。
誰にも見せずに。
それでも、今日は少しだけ、火のそばに座っていたいと思った。
セレアが薪を組む手つきは、やっぱり綺麗だった。
迷いがなく、でもどこか優しくて、
あの火の形は、誰かの記憶を守っているように見える。
ルオの音も、今日は静かだった。
石が鳴るたびに、胸が小さく揺れる。
私は、小さく息を吐いて、
指先で、器の縁をなぞった。
この所作に、意味があることを知っている。
誰かが、昔、こうしていたのを見ていた。
でも、それが誰だったのかは思い出せない。
もしかしたら、あの子かもしれない。
私が、妹と呼んでいた子。
でも、違うかもしれない。
記憶は、正しくない。
名前を失うと、かたちだけが残る。
私は、その“かたち”だけを抱きしめて生きてきた。
火を見つめながら、
何も言わずに林檎を煮るセレアの背中を見ていると、
少しだけ、呼びたくなる。
セレア、と。
けれど、呼ばない。
呼んだら、記憶がこぼれてしまう。
私たちは、そうやってここまできた。
レム・ステラが、震えた。
今日の震えは、どこか丸い音だった。
火と音と沈黙が、同じ場所で重なったような、静かな揺れ。
私は、器をそっとセレアの前に置いた。
そして、小さく頷いた。
それだけでいい。
言葉よりも、前にある祈り。
沈黙よりも、深くある記憶。
私は、今日もまた語らずに、誰かを思っている。