第三話 石の音、火の記憶
扉を叩く音がした。
それは、軽く三回。間を置いて、もう一度。
いつもと同じ、ルオの合図だった。
私は火の前で膝を折り、薪の位置を整えながら、扉に目をやった。
ノイラが無言で立ち上がり、扉を開ける。
「……来たのね」
ノイラの言葉に、返事はなかった。
だが、扉の向こうから入ってきた少年の影は、まっすぐに火のそばへ歩いてきた。
ルオは、いつものように無口だった。
いや、彼はもともと、話すより音を使う。
彼の手には、磨かれた白い石があった。
それを指先で軽く弾くように叩くと、カン、カン、と高く澄んだ音が響く。
ルオの石の音は、なぜか、火とよく合う。
「パイ……焼いたの?」
私の隣に座るなり、彼がぽつりと呟いた。
その声に、私は微笑んでうなずいた。
「まだ、少し残ってる。冷めてしまったけど」
ルオは、受け取った皿を抱えたまま、しばらく何も言わなかった。
そして、ゆっくりと一口、パイをかじった。
次の瞬間。
石が、カランと手から落ちた。
私は顔をあげる。
ノイラも、椅子からわずかに身を乗り出していた。
ルオは、じっと火を見つめていた。
まるで、何かと対話しているように。
「……この味、知らないはずなのに」
かすれた声だった。
けれど、それは確かな“動揺”だった。
ルオの手が、また石を拾う。
彼は石を二度叩いた。
トン、トン。
ノイラが、息をのんだ。
そのリズムは、どこかで聴いたことがあった。
懐かしくて、けれど、思い出すと崩れてしまいそうな記憶の端。
私たちは、火を囲んで黙った。
誰も、名を呼ばない。
それでも、記憶は呼び起こされていた。
ルオが石を三度、打つ。
カン……カン……カン。
そのとき、レム・ステラが、三度震えた。
光も、音も発さなかった。
けれど、確かに、そこに“共鳴”があった。
「これ、父の音かもしれない」
私の声が、火の揺らぎに溶けていく。
ノイラが、そっと膝に手を置いた。
「……かもしれない、で、いいのよ」
ルオは目を伏せ、最後のひとかけらを口に入れると、静かに立ち上がった。
そして、火のそばに残った石を一つ、レム・ステラの隣に置いた。
それは、まるで記憶の欠片を預けるような動作だった。
言葉ではない。
でも、語ったのだ。
私たちはまた一つ、語られぬ語りを手に入れた。
そして、火が優しく、音を返した。