第十話 火をまねる子どもたち
火のない場所に、火の気配があった。
それは見えず、音もなく、香りさえなかった。けれど確かに、子どもたちは火を囲んでいた。
村のはずれ、草もまばらな土の広場。大人の目が届かないその場所に、五人の子どもが集まっていた。呼びかけた者はいなかった。約束もなかった。なのに、彼らはそこにいた。
一番年上の少年が、昨日見た情景をなぞるように手を動かした。
「真ん中に、小枝を立てるんだ。こんなふうに」
彼の手は慎重だった。
乾いた枝を組み、円を描くように石を並べ、落ち葉を敷き詰めていく。
火を起こすためではない。ただ火の“かたち”を呼び戻すために。
「うちには器がないから、これで代わりにする」
別の子が持ってきたのは、欠けた鉢の破片だった。
それを小枝のそばに置く。
何かが始まりかけている気がした。
けれど誰も、それが何なのかを言葉にできなかった。
一番下の女の子が、そっと落ち葉をひとつ手に取った。
その葉は細く裂けていて、すぐに崩れそうだった。
それでも、彼女はそれを両手で大事そうに包んだ。
まるで、火を抱いているように。
「この前の匂い、覚えてる?」
少年が尋ねた。
「うん。甘いのと……焦げる直前のにおい」
「うん。ちょっと苦いやつ。でも、あったかかった」
誰かがそっと、目を閉じた。
セレアの家。火の家と呼ばれる場所。
昨日、彼らはその家の前を通りかかった。
三人の大人が火を囲んでいた。
声はなかった。
けれど、その沈黙の中には“語られているもの”が確かにあった。
言葉ではない。
動作と、香りと、火の揺らぎ。
誰かを思うための手のひら。
その全部が、火のまわりにあった。
それを、子どもたちは忘れられなかった。
だから今、こうして火の“形”をまねしている。
「これ、まねっこじゃないよね」
少女がぽつりとつぶやいた。
誰も否定しなかった。
真似というには、そこにある空気はあまりに静かで、あまりに真剣だった。
火はなかった。
けれど、その場には“灯りのない火”が、確かに存在していた。
彼らは順番に、小さな所作をくり返した。
誰かが石をひとつ拾って、中央にそっと置いた。
誰かが落ち葉の端を指先で丸め、破けた破片を枝の根元に添えた。
その動作ひとつひとつが、まるで遠い誰かの記憶をなぞる儀式のようだった。
「ねえ、名前って呼んだらダメなんでしょ?」
最年少の男の子が言った。
「うん。名前を呼ぶと、記憶が壊れるって」
「でも、呼ばなくても……思えるよね」
沈黙が降りた。
その沈黙は、重くなかった。
あたたかいものだった。
まるで、火の気配がそこにいたずらに漂っているようだった。
やがて、少年が石を軽く叩いた。
カン。
乾いた音が土に吸い込まれた。
誰も驚かなかった。
むしろ、その音は“語りの合図”のように思えた。
火があった。
確かに、彼らの間に、火があった。
その後、何も言わずに、ひとり、またひとりとその場を離れた。
最後まで残っていたのは、女の子だった。
彼女は地面の石の輪の前にしゃがみ、そっと手を合わせた。
手の中には何もなかった。
けれど、彼女の表情はどこか懐かしさを宿していた。
風がふわりと吹いた。
落ち葉がひとつ、円の中央をかすめて飛んだ。
その音は、小さな火の音のように聞こえた。
夜。
セレアは火を囲んでいた。
レム・ステラの反応はなかった。
けれど、煙の立ち方が、わずかに違っていた。
ゆっくり、静かに、まるでどこかの小さな火と呼吸を合わせているようだった。
「……感じた?」
ノイラが訊いた。
セレアは頷いた。
「うん。たぶん、誰かが、火を思い出してる」
その言葉に、ルオが石を一度だけ鳴らした。
火は静かに揺れた。
何も言わず、ただ“わかる”という空気が、三人の間にあった。
翌朝。
セレアが井戸の脇を通りかかると、小石が円を描いていた。
真ん中には、折れた木の実と焦げた葉。
誰もそれを見ていないはずだった。
けれど、それは確かに“語られていた”。
誰かが、火をまねたのだ。
誰かを思いながら、名を呼ばずに、記憶を継ごうとしたのだ。
それは、セレアにとって初めての“受け取る火”だった。
そして、きっとこれは始まりにすぎないのだと、彼女は思った。




