打ち合わせ2
小瓶を持つ手に掌を重ねてきた凪が、そのまま鼻に近付ける。目を瞑り香りを確かめる横顔はとても綺麗で――長い睫毛に思わず見惚れる。
「――ああ、これはいいな。木の香り? 森林浴みたいで落ち着くわ」
パッと瞼を開いた凪の飴色の瞳と視線が交わり、ドキッとした。動揺を読み取った凪が手を放し、一歩下がる。
「ごめん、莉子が相手やと気緩んで距離感バグるな。ちょっと向こう行って来るからゆっくり見てて」
穏やかな笑みを浮かべ、凪は少し離れた棚の方へ向かっていった。咄嗟にフォローの言葉が思い浮かばず、その場に立ち竦む。
高校の頃は凪の距離感に慣れていて気にならなかったが、隣にいること自体が久しぶりで耐性が低くなっている。
凪に下心がないのは分かっていても、不意に接近されると緊張して身構えてしまう。
(あーもう、凪に気遣わせてどないすんねん! 落ち着け。平常心や莉子)
両頬を叩いてむむむと猛省していると、凪の側を通った女性客二人がチラッと凪を見てコソコソ噂話を始めた。
「なぁ、今の人めっちゃイケメンやない!? 芸能人? 声掛けてみる?」
「それな。店入ってきた時から気になっててんけど、女連れやったんよ」
「え、彼女かな? デートっぽかった?」
「いや~、ちょっと見た感じやけど彼女ではないやろ」
「どれどれ? どの人?」
「ほら、あそこにおる地味で無愛想な感じの……」
プッとバカにしたような忍び笑いが聞こえて、小さなため息が漏れた。高校の時に学校で同じような反応をされることがあったので、別に驚かない。
だけど今――久しぶりに再会した凪と楽しい時間を過ごしている時に水を差されるのは気分が悪かった。
聞こえないふりをしながら商品を見ていると、離れていた凪が戻ってきた。
「これどう? 莉子に似合いそうと思って選んでみた」
シンプルで上品なバレッタ――細身のカーブデザインで一粒パーツがあしらわれているものを差し出され、心がパッと明るくなった。
地味な装いをしていても、綺麗なものに惹かれる心はあるのだ。ただ自分が身につけるには華やかで、気後れしてしまう。
それをそのまま口にすると卑屈に聞こえてまた気を遣わせてしまうので、莉子は慎重に言葉を選んだ。
「わざわざ探してくれたん? ありがとう、素敵な髪留めやな。そういうの好きやけど、普段はゴムでぱぱっとまとめてしまうから上手く扱えんと思うわ」
「あー、確かに後ろで留めるのってコツいりそうやな。そこまで気回らんかった。でもせっかくやから試着してみらん? よければ俺がつけるで」
「気持ちはありがたいけど、わざわざ手煩わせんのは申し訳ないからええよ」
やんわり遠慮すると、凪は無言でこちらを見つめて寂しそうに眉を下げた。
「俺がつけてるとこ見たい。だめ?」
完全に甘えた表情と声色に、『ドーーーン』と脳内で噴火が起きる。凪がお願いする時たまに見せる子犬モードには非常に弱い。
「んんっ……ほなお願いするわ」
こほんと咳払いする。平静を保つため思ったより素っ気ない言い方になってしまったが、凪の顔を直視していられず背を向けた。
すると背中越しに凪の機嫌の良さが伝わってきて、この確信犯め! と内心悪態をつく。
凪は丁寧な手付きでバレッタを髪に挟むと、後ろから肩に手を置いてきた。
「――うん、やっぱりよう似合うわ。めっちゃ可愛い」
耳元で囁かれ、一際甘い声に驚く。
振り向くと、凪は表情を綻ばせた。けれど、視線は莉子ではなくこちらの様子を窺っている先ほどの女性客らに向けられている。
凪と視線が合った彼女たちは、にこっと笑顔を返され、たじたじになってそそくさと店を出て行く。
(ああ、嫌な思いしてると思って助けてくれたんか)
凪が戻ってきてからの妙に甘ったるい振る舞いが腑に落ち、安堵した。
「話聞こえてたんやな。助けてくれてありがとう。でもあんなに威嚇せんでもええのに。凪の無言の笑顔は圧がすごいから気の毒やで」
「知らん。莉子に失礼な態度取ってんの見えたからムカついた」
「あの程度の嫌味なら可愛いもんや。それに慣れてるし大丈夫。空気悪なるし次から庇わんでええで」
「嫌や。そんなん慣れんでええし、今後も慣れてほしくない」
不貞腐れた凪が両腕を組み、つーんと顔を背ける。その仕草が小さな子どもが駄々をこねるようで可愛くて、ふっと笑みが零れた。