失われた後ろ盾、愛の代償
かつて王国の王太子アルトと、公爵令嬢レイラ・ヴァレンティアの婚約は、国中が注目する大きな出来事だった。アルトは王国の次期国王として生まれながら、その能力は平凡で、宮廷内でも評価は低かった。
しかし、レイラは貴族社会でも名高い天才だった。彼女の知恵と統率力、そしてヴァレンティア公爵家の権力は、アルトにとって大きな後ろ盾であり、政略的な婚約によってその力は補われていた。
広々とした宮廷の謁見室。床には鮮やかな赤い絨毯が敷かれ、壁には王国の紋章が煌めいていた。王太子アルトは、落ち着かない様子でその場に立っていた。今日初めて婚約者となるヴァレンティア公爵家の令嬢、レイラと対面するからだ。
「……殿下、ヴァレンティア公爵令嬢がいらっしゃいました」
宮廷の従者が丁重に報告すると、部屋の扉が静かに開かれた。そこに現れたのは、シルクのドレスを身に纏い、金髪をきちんとまとめたレイラ・ヴァレンティアだった。彼女の姿が視界に入った瞬間、アルトは思わず息を呑んだ。
背筋をぴんと伸ばし、優雅な仕草で歩を進める彼女には、圧倒的な存在感があった。完璧に整えられた顔立ち、知性が宿る冷静な瞳、そして何よりも彼女が持つ自然な気品。レイラは他の誰とも異なり、周囲にいるどの貴族よりも輝いていた。
彼女は王太子の前でふわりとドレスの裾を揺らしながら、礼儀正しく膝を折る。そして、まるで舞踏会の一幕のようにゆっくりと顔を上げ、彼の目を真っ直ぐに見つめた。
「お初にお目にかかります、王太子殿下。私、ヴァレンティア公爵家のレイラと申します」
彼女の声は、まるで澄んだ鐘の音のように静かに響いた。低く穏やかでありながら、どこか揺るぎない決意を秘めている。アルトはその美しさと威厳に圧倒され、言葉を失った。彼女の存在感は、彼が今まで見てきたどの貴族とも違うものだった。
一瞬の沈黙が流れ、アルトは思わず瞳をそらす。彼女の冷静な視線に、どこか心を見透かされるような感覚を覚えたのだ。しかし、言葉を返さなければならない。そう思いながらも、何を言えばいいのか戸惑った。
「……あ、ああ、こちらこそ。君は……すごい人だと、よく耳にするよ」
やっとの思いで絞り出した言葉は、少しぎこちなかった。自分の未熟さと平凡さが浮き彫りになるような感覚に襲われ、彼はさらに焦った。しかし、レイラはその様子に全く動じず、軽く微笑みながら再び頭を下げる。
「光栄でございます、殿下」
その姿は、完璧であるがゆえにどこか冷たくも見えた。その微笑みは敬意を込めたものではあるが、どこか距離を感じさせる。アルトは、自分がまだ彼女の足元にも及ばないことを痛感し、目の前の彼女が自分にとって大きすぎる存在であることに気づいた。
その時、レイラは確信した。彼女はこの王太子を支えなければならないと。彼がいかにしてこの王国を導く存在になるか、その不安定さを目の当たりにし、彼女自身が盾となって補わなければならないという思いが心に深く刻まれた。
しかし、同時に、アルトの瞳に宿る無感情な冷たさに一瞬の疑念を抱いた。彼の瞳は純粋さを持っていたが、どこか自分に向けられていないように感じたのだ。それでも、レイラはそのことにあえて触れず、彼女自身が彼を支える決意を胸に秘めた。
「この国の未来のために、私は全力を尽くしましょう」
そう心に誓いながら、レイラは再び微笑み、静かにその場を後にした。
時が流れ、レイラとアルトの婚約生活は見た目には順調だった。レイラは公務において欠かせない存在で、王太子の失敗を裏で修正し、王国の秩序を保っていた。だが、その関係は冷え切ったものであり、心の距離は埋まらなかった。彼らの関係はあくまで「政略的な婚約」——互いに親愛はあったものの、恋情は感じられなかった。
ある日、その均衡が一人の少女によって崩れる。宮廷に突如現れたのは、平民の少女エリス。聖女と呼ばれ、その手で触れるだけで人々の病を癒す奇跡の力を持っていた。彼女が王宮の大広間で奇跡を起こしたその瞬間、全員の目が彼女に釘付けとなった。
長い金色の髪が光を浴びて輝き、彼女の無垢な笑顔は、宮廷の空気を変えた。シンプルな白い衣装をまとったエリスは、豪華な装飾品もなく、ただその存在自体が神聖さを帯びていた。
「……これが、聖女エリスか」
アルトは広間の片隅で、その光景を見つめたまま動けなくなっていた。彼の胸に今までにない感情が湧き上がる。目の前にいるエリスは、今まで見たどんな貴族女性とも違った。彼女は純粋で、まるで汚れを知らない天使のような存在だった。アルトの心は、初めての恋という強烈な感情に包まれ、彼女に引き寄せられていった。
その夜、アルトは自室で一人、何度もエリスの笑顔を思い返していた。胸が高鳴り、彼は無意識に手で胸元を押さえた。何度も自分に言い聞かせた。「僕は次期国王だ。国のために、レイラとの婚約は重要なはずだ」と。しかし、その思いはエリスの姿を思い出すたびに薄れていった。
数日後、ついに彼はレイラに告げる決意を固める。
彼女を待つ宮廷の一室で、アルトは心ここにあらずといった様子で立っていた。やがて、レイラがいつもの冷静な表情で扉を開け、部屋に入ってきた。
「殿下、私をお呼びですか?」
アルトは声を震わせた。「……レイラ、僕は……もう君と結婚できないかもしれない。」
その言葉が静寂の中に落ちた。レイラは眉一つ動かさずに、彼をじっと見つめていた。その瞳の奥には、いつものように冷静さが宿っていたが、その一瞬、彼女の心中に微かな違和感が走った。
「どうしてでしょうか、殿下?」
冷静な声で問いかける彼女に、アルトは顔を歪めた。そして、思いを吐き出すように続けた。
「僕は……エリスを愛してしまったんだ。彼女はただの平民じゃない。奇跡を起こし、民衆を救うんだ。彼女と共に、この国を導くことが、王国の未来にとっても必要だと思うんだ」
アルトの言葉には、確かに迷いがあった。だが、その目にはエリスへの情熱が溢れていた。彼は、自分が初めて感じたこの感情をどうすることもできなかったのだ。
レイラはしばらく無言のままだった。彼女の中で、何かが静かに崩れ落ちるのを感じた。アルトがエリスに夢中になっていることを知っていた。しかし、彼女はこれまで冷静に、彼の側にいるための役割を果たしてきた。彼を支えるという使命感が、全ての行動の根底にあったのだ。
そして、彼女はゆっくりと息を吸い、静かに口を開いた。
「私は、殿下を支えるためにここにおります。もし殿下が私を必要としないのなら、その時はお伝えください」
その言葉には、感情がこもっていないように聞こえたが、実際には彼女自身も驚くほど冷静であろうと努めていた。アルトの表情は複雑だったが、彼女の強い意志に押されるように何も言えなくなった。
「レイラ……」彼は少し戸惑ったように、彼女の名前を口にする。しかし、その先の言葉は出なかった。彼は彼女の力に依存していたことを痛感しつつも、その思いを捨て去ることができなかった。
レイラは、アルトの視線を正面から受け止め、軽く一礼して静かにその場を後にした。廊下を歩きながら、彼女は心の中で冷静に状況を分析していた。すでにアルトの心はエリスに奪われ、自分は不要な存在になりつつある。内心の不安はあったものの、彼女は自分が何をするべきかを理解していた。
「危機はすでに訪れたのだ」と。
宮廷の廊下を歩く貴族たちの間で、ひそひそと囁かれる噂が広まっていた。レイラ・ヴァレンティア公爵令嬢が、王太子アルトを裏切り、敵国と通じて王国の機密情報を漏らしたというのだ。彼女は政略結婚により王太子の婚約者として仕えてきたが、その忠誠心が偽りであったとされていた。
「聞いたか? あのヴァレンティア令嬢が、敵国と密通していたらしいぞ」
「まさか、彼女ほどの才能を持つ人がそんなことを……」
「いや、証拠も出揃っているらしい。もう彼女の無実を信じる者はいないさ」
宮廷の至る所で囁かれる噂は、レイラに対する不信感をかき立て、宮廷内の空気を重くした。次々と偽りの証拠が提出され、やがてそれは国王の耳にも届いた。そしてついに、王宮で彼女に対する裁判が行われることとなった。
大理石の床が光を反射する広々とした法廷には、緊張が満ちていた。レイラは中央に立ち、凛とした姿勢で、周囲の視線を受け止めていた。王太子アルトは壇上に座り、彼女を見つめることなく視線を伏せていた。彼の隣には、聖女エリスが不安そうな顔をして立っていたが、その純真な表情の裏には勝利の微笑がちらついていた。
「ヴァレンティア公爵令嬢、貴女は王国を裏切り、敵国と通じたという証拠が提出されている。これについて、どう弁明するか?」
国王の声は冷たく、厳然としていた。彼の隣には王妃が座り、表情には無関心すら漂っていた。この法廷は、最初から結果が決まっているものだと誰もが感じていた。レイラがすでに決められた「生贄」であることを。
レイラは一度、静かに深呼吸をしてから、国王に向かって落ち着いた声で答えた。
「そのような事実はございません。私は一度も王国に背いたことはありません」
彼女の声は揺るぎなく、法廷内の人々の耳にしっかりと響いた。しかし、その強い言葉も、この場では虚しく響くだけであった。アルトを守るためには、彼女を切り捨てることが最善の選択と、誰もが心の中で決めていたのだ。
国王は目を細めながら、無表情で続けた。「だが、証拠は揃っている。書状も、目撃者も、全てが君の罪を示している。この状況で何を証明しようとしている?」
レイラはその問いに微かに眉を動かしたが、冷静さを失うことはなかった。彼女は目を伏せ、静かに語り始めた。
「証拠が偽りであることは明白です。しかし、私一人の力では無実を証明することはできないでしょう。それならば、私は全てをお受けいたします。ただ、私が罪を犯していないということは、私自身が知っている。それだけで十分です」
その堂々とした態度に、一瞬、法廷内の空気がピリついた。彼女の言葉は、誰もが知りながらも口にできなかった真実を指摘していた。アルトが彼女を切り捨てるために仕組んだ罠。それはすでに誰もが理解していたが、誰一人として反論する者はいなかった。
国王は無言で彼女を見つめ、裁判官が淡々と判決を告げる。
「ヴァレンティア公爵令嬢、貴女には婚約破棄と、王国からの国外追放が言い渡されます。これにより、貴女は王太子殿下との婚約契約を失い、二度と王国の地を踏むことは許されません」
その宣告に、場内はざわめいた。しかし、レイラは動じることなく、その場に立っていた。王太子アルトは、彼女に目を向けることなく、重い口を開いた。
「……さようなら、レイラ」
その言葉は、彼がどれだけ彼女を不要な存在だと見なしているかを物語っていた。彼の声にはかすかな躊躇があったものの、彼は彼女を見ようともしなかった。アルトの隣にいるエリスは、彼の腕に軽く手を添え、そっと微笑んでいた。
レイラは一瞬、王太子をじっと見つめた。彼の姿を、その虚ろな目を。だが、すぐにその冷たい視線を外し、淡々とした口調で最後の言葉を残した。
「後悔なさらないことを願います、殿下」
その言葉には何の怒りもなく、ただ静かに彼女の決意が込められていた。全てを見透かしているかのような冷たい目で、彼女は静かに一礼し、宮廷の重い扉を背にして歩み去っていった。
その背中を見つめることすらできなかったアルトの心には、後悔の影がすでに忍び寄っていたが、彼はその感情に気づこうとはしなかった。
レイラが国外追放された後、王国は一見穏やかに見えたが、内部ではじわじわと崩壊の兆しが進行していた。王太子アルトは新たな婚約者である聖女エリスと共に国を導く立場に立ったが、二人の無知と未熟さが王国全体に影を落としていた。
政務会議の場で、アルトは重苦しい空気を感じながら椅子に腰掛けていた。貴族たちの険しい顔が並ぶ中、彼は大きな一枚の法案書を手にしていた。これは王国の主要産業である農業政策を改革する内容で、賛成意見もあれば、猛烈な反対もあった。
「エリス、この法案は反対が多い。貴族たちがこれを許せば、土地の管理が混乱する可能性が高い。どうする?」
彼は横に座るエリスに問いかけたが、彼女は窓の外を眺め、少しもその法案に興味を示していなかった。やがて、無邪気な笑顔を浮かべながら、彼女はアルトを見て言った。
「私はただ人々を救いたいの。それだけでいいんじゃないの?難しいことはわからないわ」
アルトの顔は一瞬、困惑と苛立ちで歪んだ。エリスの言葉に感銘を受ける者もいるかもしれないが、王太子としての立場から見れば、その言葉はあまりにも無責任だった。
「……それだけでは国は成り立たないんだ」
彼は低い声で返したが、エリスはその言葉を深く考えることなく、ただ微笑んでいた。彼女の聖女としての奇跡は確かに人々を癒し、一時的な安らぎをもたらしていたが、国家の運営には何の役にも立たなかった。
政策が滞り、貴族たちは次第に不満を募らせ、農業政策の失敗により国民の生活は徐々に困窮していった。食糧不足が続き、国境付近では反乱が勃発し、隣国との貿易も停滞し始めた。外部からの圧力はますます強くなり、国内の政治的な混乱も深刻化した。
ある日の晩、国王は王妃と共に食事の席にいたが、食欲はほとんどなかった。机の上には山のように積まれた報告書が広がっていた。貴族たちの不満、財政危機、隣国の動向、全てが問題となっていた。
「これでは、国が保たない……」
国王は深いため息をつきながら、椅子に寄りかかった。彼はふと、レイラの存在を思い出した。彼女がいた頃、これほどの混乱は起こらなかった。彼女は常に冷静に問題を分析し、的確な判断を下していた。そして、彼女がいなくなった今、王国は混迷の渦に巻き込まれていた。
「……レイラを失ったのが、そもそもの失敗だったのかもしれない」
国王は王妃に小声で呟いた。その声は重く、後悔の色が濃く滲んでいた。王妃もまた、無言で夫に頷いた。二人は心の中で痛感していた。あの時、王太子の意向を優先し、レイラを手放したことがどれほど愚かだったのか。
しかし、全てが手遅れだった。国はすでに崩れ始めており、かつての栄光は遠い過去のものとなりつつあった。
数年が経ち、強大な隣国の皇太子アレクセイとその皇太子妃レイラが王国を外交訪問するという報せが届いた。かつて追放されたレイラが、今や隣国の皇太子妃となっている。隣国は王国を凌駕する勢力を持つ強国となり、彼女の再来は、王国の宮廷を恐怖と驚愕で包んだ。
宮廷の大広間は重苦しい緊張に満ちていた。豪華な椅子に座る国王、王妃、王太子アルト、聖女エリス。彼らは皆、訪問者を迎える準備が整っていたが、誰一人として冷静ではいられなかった。
大きな扉が静かに開かれ、隣国の皇太子アレクセイとレイラが堂々と入場してきた。レイラはかつてと変わらぬ気品を保ちながらも、一層の美しさを纏っていた。彼女の姿は、昔のような柔らかさと落ち着きだけでなく、強大な国の皇太子妃としての圧倒的な威厳を漂わせていた。
「まさか……レイラが隣国の皇太子妃だと?!」
国王はその報せに目を見開き、驚愕の声を漏らした。自分たちが追放した令嬢が、より高い地位を手にして王国に戻ってくるなど、想像すらできなかった。
「どうして、こんなことに……」
国王は失った時間を嘆くように呟き、顔を蒼白にした。彼が犯した誤りが、王国の存続にまで影を落とすことになるとは夢にも思っていなかった。
「レイラが……隣国の皇太子妃……?」
王妃は信じられないという表情で、震える声を出した。かつて、彼女がアルトのために切り捨てたその女性が、今や皇太子妃として王国を凌駕する存在になっている。
「私たちは、何をしてしまったの……?」
胸の中で募る後悔と、王国が今置かれている危機の現実に、彼女は頭を抱えた。レイラを切り捨てた代償が、これほど大きいものだったとは。
大広間で再会したレイラの姿を見た瞬間、アルトは息を呑んだ。彼女はかつてと変わらぬ美しさを保ちつつも、今やその魅力はさらに深まり、皇太子妃としての威厳が彼女を包み込んでいた。彼女の存在感に圧倒された彼は、胸が高鳴るのを感じた。
「……レイラ……」
その名前を呟きながら、アルトの心は揺れ動いた。かつて彼女を手放した自分の愚かさが、今になって胸をえぐる。隣にいるエリスの存在すら、今は遠くに感じるほどだった。かつては平凡だった彼の隣に立つにふさわしいと思っていた聖女でさえも、レイラと比べると、今では色褪せて見えた。
「なぜ……彼女を失ってしまったのだろう……」
エリスもまた、レイラの姿を見て心が揺れ動いた。彼女は聖女としての使命を背負っていたが、貴族社会の複雑さや政治のことは無知のままだった。それでも王太子の愛を受け、自分が国を導く存在だと信じていた。
しかし、今目の前に立つレイラの気品と美しさ、そして皇太子妃としての堂々たる姿に、エリスは圧倒され、不安が募った。
「私は……ただ人々を救いたいだけだったのに……」
彼女は小さく呟いたが、その声は震えていた。自分が国を守ることなどできるのか。レイラの存在がそれを否定するかのように、大きな影を落としていた。
レイラは冷静な目で、大広間の人々を見渡した。かつて彼女を追放し、見捨てた国王、王妃、アルト、そして聖女エリス。全員が動揺し、恐怖を隠せずにいる。彼女は、彼らを憐れみながらも冷ややかに感じていた。
「王国は、やはり予想通りだった……」
彼女は内心でそう思った。レイラが去ってからの数年、王国は着実に力を失い、混乱と無策によって崩れかけている。アルトとエリスの無知さ、そして王家の過ちが、それを加速させた。
「彼らは私を必要としなかった。今、その代償を払う時が来た」
レイラは冷たい微笑みを浮かべた。彼女が追い出されたことで、王国は自らを破滅へ導いたのだ。
アレクセイが口を開く。
「王国には二つの選択肢がある。属国となるか、戦争をするかだ」
その言葉が大広間に響き渡り、空気は凍りついた。国王は蒼白な顔をして、震えながら頭を垂れた。
「……属国となることを……選びます」
その言葉は、国王としての誇りを捨てた瞬間だった。
レイラは静かに微笑み、その表情には何か鋭いものが宿っていた。彼女の美しい瞳は、冷静さを保ちながらも、周囲の空気を一変させる力を持っているかのようだった。
大広間の一同が彼女を見つめる中、レイラはゆっくりと口を開いた。「愛だけでは国は守れません。力と知恵が必要なのです」
その言葉は、まるで鋭い刃物のように彼らの心に突き刺さった。アルトの心臓は一瞬、凍りついた。彼女がかつて自分に言っていた言葉を思い出し、自分の無力さと、彼女を追放したことへの後悔が胸を締め付けた。
エリスは、無意識にその場から後ずさりした。彼女の目には驚愕と恐れが浮かんでいた。自分が抱いていた「愛」の力が、実際には脆いものであることを痛感した瞬間だった。心の中で彼女は、レイラの言葉を噛み締めていた。
国王は、顔を青ざめさせていた。彼の頭の中では、過去の選択が反芻され、失ったものの大きさが一層深くのしかかってきた。「果たして、私は何を考えていたのか?」と自問自答し、王国の未来を憂いた。
王妃は手を震わせながら、心の底からの後悔に襲われていた。彼女が愛してやまなかった息子の幸福のために、かつてレイラを捨てたのだ。今、その結果として彼女がどれほどの力を持っているかを目の当たりにし、言葉を失った。
レイラは、心の奥底でこの瞬間を待っていたのかもしれない。彼女の微笑みは、かつての王太子殿下に向けられたものではなく、彼女を軽視した国王や王妃に対する皮肉のようにも見えた。自らが築いてきた強さと知恵を、彼らが失ったことを、彼女は誇示しているのだ。
「国は愛だけで動くものではありません。それを支える力と知恵こそが、真の守り手なのです」
レイラの言葉は、まるで鋼のように堅い決意を感じさせた。彼女はもはや、かつての彼女ではない。愛の裏に潜む現実を理解し、それを受け入れた女性であった。
その瞬間、王国の運命が変わったことを、誰もが痛感した。レイラの言葉が心に響き渡り、彼らは自らの愚かさを再認識し、再び立ち上がることができないほどの打撃を受けたのだった。