第19話
「おおー! 相田ちゃんだー!」
実行委員会の会議初日、雫は教室に入るなり数人の先輩達に囲まれて、先に居た壮はこっそりとため息を吐いた。結局のところ相田ちゃんはみんなのものでもあるのかと思っても、嫌な気はしない。
入学早々にやらかした雫はその後、いくつかの事件簿が付け足されていて、その上に壮との喧嘩で有名になり、体育祭でも活躍してしまった。もはや知らない人はいないのではないかという勢いだ。
ちらっと付き合いのある他クラスの男子が壮を見た。そうして側に寄ってきた。
「……なんだよ」
不躾に言うと、別にーと可笑しそうに言ったから、知ってるんだなと壮は思った。
雫とのことを知ってもクラスメイトは言いふらしたりしなかったけれど、伝わっても問題なさそうな友達には伝わっていた。
彼がにやにやと彼女が人気者だと大変だなと言った。
「まさか相田ちゃんと東雲とはねー」
「あんま人に言うなよ」
「わかってるよ。良い気しない奴もいるだろーしな」
でもさ、と壮は言った。少し前に勇利の言ったことが気になりはじめていた。
「あんなんだと、卒業した後がねー」
「あー、あれは絶対モテるね、なにも知らない後輩とか。可愛いもん」
「同じようなこと、幼馴染の奴に言われたんだよ」
「で?」
壮はため息を吐いた。
「お前、さっきからため息ばかりだな」
「だって、じゃあどーしたら良いんだよ」
そう言われたところで、その友人までため息を吐いた。
「まーなー。あ、そういえばさ、相田ちゃんてなんで大野と別れたの?」
「は? そんなこと普通、俺に聞く?」
「知ってんだろ、どーせ」
「知ってるけどさ……」
「教えろ」
「やだよ」
「じゃあ、アドバイスあげない」
「……翔はさ、我を通し過ぎるし性格ひん曲がってんだよ。それで良い?」
友人はふーんと呟いて黙り込んだ。
彼は翔と同じクラスだった。個人的にはそんなに付き合いは無いが、移動教室で同じグループにいることは多い。
彼は時々垣間見ていた。一緒に移動教室へ移る時、雫とすれ違いざまの翔の顔と雫の顔を。それはあまり気持ちの良いものではなかった。
「さりげなーく、でも、もう少し大っぴらにしても良いんじゃね?」
そうしてあげる方が雫の為じゃないかと彼は言ってみた。
彼の垣間見る今の雫と翔の関係性に、雫が哀れで仕方ない。みんなが大好きな相田ちゃんの翳った顔を無くしてあげられるのはそれかなと彼は思ったのだ。
さりげなくね、とはいえ、いかんせん自分たちは目立つ。どうしたものかなと壮は考え込んだ。
「ほらさー、大野は結構大胆な感じだっただろ? だから良かれ悪しかれ噂広がるんだよ。というか、面白おかしく見世物じみた時点でお前気付かなかった?」
「なに?」
「あまり快く思われてないってことだよ」
その言葉に壮は思わず閉口した。
確かにそうだ。自分ごとで精一杯だったから、そんなところまで考えてみたことなどなかった。
「お前らは例の件もあるし、噂になっても微笑ましー程度で済むよ。囃し立られたりもしないと思うんだよなあ」
それから、お前がみんなに揶揄われまくられるのは別問題だけれどなと彼は壮を突いた。
「つか、もう既に揶揄われまくられてる日々だっつーの。お前を含めて!」
そのうちチャイムがなり、会話はお開きとなった。
その後壮の進路が決まるまではあっという間だった。
雫と壮が付き合ってるという話は結局、大っぴらには広まらなかったが、気付いている者は多い。移動教室の時に廊下で壮に出会って嬉しそうに笑う雫の顔が前と違うのは瞭然だ。ああ、そういうことなんだなと微笑ましく周りに映っていた。
卒業式が近い。壮はどうにか特待生の枠を獲得出来た。
合格がわかった時、壮君は親孝行だねと嬉しそうに雫は微笑んでくれた。
春からの高校は自由な校風だ。きっと彼には合うだろうし、雫がそちらへ進学すればきっと彼女にも合うことだろう。
また一年しか一緒に通えない。その後、大人になれば今のように年中隣に居られなくなる。
次の進路がどうあれ、少なくともまだ三年間はぴったりと隣に居ることが出来る。その間に色々なごちゃごちゃを知って色々な答えを見つけていけば良い。
喜びも不安は大人になってもなにかしら付いて回る。そのごちゃごちゃは今のそれとはまた変わる。
今は今の葛藤を受け止めて一生懸命考えること、それは絶対に無駄じゃない。
受験勉強から解放された壮と雫は最近、のんびりと過ごす。慄く程の集中力はお家に持って帰ってくれる。雫が家で恐ろしい勢いで勉強してる姿を想像すると気持ちが悪い。
受験時期は終わったが、雫は期末テストが待っている。
「壮君。膝貸して」
「はいはい」
壮は眠そうだなと思いながらそう返した。と、雫は胸も貸してと言い出した。
「キスするの?」
そう聞くと雫は眠たそうな目でこくりと頷いた。
少しの間、お互いに我慢してたんだよなと思い返すが、別にそれは苦ではなかった。
ゆっくりと味わうようなキスは久しぶりかもしれない。
こういう時、壮はいつも雫に任せる。自分からキスしたい時もあるけれども、結構そのタイミングが重なるから雫のしたいように促す。
隣に座っていた雫がちょこんと壮の膝の上に乗っかり首に手を回して至近距離で言った。
「壮君のキス、好き」
壮は雫の頭に手を回すと唇を重ねてあげた。それだけで良かった。
求めるように重ねなくても、雫が求めてくる。
大胆な雫は欲しいままに壮の唇を奪って行く。
何度も重ね合わせて、だんだんと深いキスへと変わっていく。長いキスをしていると、いつも少しだけ雫から吐息が漏れる。本人は無自覚でも、そんな声を聞けば、壮はなかなかキスを終わりに出来ない。
雫が満足し切ることなどたぶんない。もっと色々してほしいのだろうなとは壮もわかっている。ずっとずっとキスしていれば壮だってもっとしたくなる。結局、壮は満足したところで自分から終わらす。もちろん、やだ! もっと! とせがまれることは年中だ。
キスが終わっても抱き合ったまま余韻を味わっていたら、壮の首に回されていた雫の腕がぐっと締まった。
「ちょ、雫?!」
びっくりして壮は声を上げた。苦しい。
返事がないと思えば、小さな寝息が聞こえた。
「仕方ないなあ」
そう呟きながら壮は寝ている雫にバレないと思ってぎゅっときつく抱きしめた。
大事だ。雫が大切だ。失くしたくない。もう、なにも大切な人を失くしたくない。ふと、久々にそんなことを思った。
人生なんて不可抗力でなにが起きるかわからない。それを壮も雫も知っているから、余計に思う時がある。そうして今の幸せを噛み締めたくなる時がある。
そんなことを考えていたのに、抱き合う心地が好過ぎて壮まで寝てしまった。
ふたりしてごろんと後ろにひっくり返って目が醒めた。雫はベッドの上に顔を思いっきり突っ伏す羽目になり、流石に苦しいし驚いて涙目だ。
「壮君のバカ!」
「先に寝たのお前!」
そんなやりとりをした後、互いのお腹が不協和音を奏でた。
「今何時!」
ふたりして慌て出す。今日は相田家で夕飯だ。
夕飯の時間までに行かなければ、透子の気が済むまで遊ばれるか怒られるかのどちらかだ。
ふたりは慌てて東雲家を飛び出した。




