第18話
中間テストが近い。帰りに雫は必ず壮のところに寄って受験勉強に励む壮と勉強する。殺伐とあの集中力で、やはり壮は慄きたくなる。
四人と、更にそこに勇利も今は加わった五人で競い合う彼女らは、相変わらず絶対に塩を送らない。別にそのくらいいいじゃないかと壮は呆れる。
自分に対してもそうだったら恐ろしいと思っていたが、意外と雫はここ教えて! と聞いてくる。
「壮君の教え方って、とってもわかりやすいの!」
雫は嬉しそうにいつもそう言う。はいはいと手を伸ばして頭を撫でてやると、とても喜ぶ。
殺伐さに慄き切った壮は勉強が終わると、雫を隣に呼んだ。嬉しそうに隣に座って絡めてくる手が心地が良い。
「壮君、勉強頑張ってるからご褒美ちょうだい」
そう甘えてきたが、テストはまだ終わってない。どうせまた一番を取る気で、きっと本当に一番を取るのだろう。そうしたらそうしたで、またご褒美とか言ってくるくせに、と壮は思った。
「何がいいんだよ」
そんな風に意地悪く言ってしまうのは今更だ。
「んー、キスは一番取るまで我慢する」
おや、珍しいと壮は思った。
「ぎゅってして頭撫でてほしい」
たまには可愛いことだけ言うなと思いながら、壮は雫を抱きしめてあげて、頭を優しく撫でてやった。
ふふっと雫が嬉しそうに笑う。
あー幸せ、壮はそう思いながらも、時々翔のことを考えてしまう時がある。雫のことは、振り向いてほしくても仕方ないと思っていたから、余計に考えてしまうことがある。
どうして翔は雫をこんな笑顔にさせてあげられなかったんだろう。なんであんな風になっちゃったんだろう。
こう考えるのは嫌だけど、翔が雫を雫らしくいさせてあげられていれば、雫の言うところの本当の好きに、雫がたどり着けたのではないだろうか。
自分にたどり着いてくれたから、今は取り敢えずそのことを考えるのはやめようと思った。
引っ越す前、翔とは親友のつもりだった。壮が勝手にそう思っていただけなのだろうかとこの二年間で思わざるを得ない。再会してからの翔の壮を見る目がなにか違っていて、共に居られなくなった。
しかし、壮は未だに翔のことは親友だと思っている。翔もそうだと思ってくれていたら嬉しいなと思う。
前と違ってしまったのは自分の方で、翔はあの頃のままだった。幼いままの独占欲で雫を縛り付けていたのだ。それに関しては、やはり恨めしい。
テストの結果に、三人は悔しいけど叶わないと思い、勇利はわかり切っていたのに只管悔しがった。勝ち誇る雫と勇利のパワーバランスが今までよりもよくわかり、周りは面白くて笑ってしまった。
「このまま行けば、俺、合格圏内間違いなしー」
昼休みに来た壮の言葉に雫以外が絶句した。頭が良いとはいえ、あの壮が、成績はともかく素行的にも問題ないのかとびっくりした。高校入試の仕組みは一年生の自分たちにはまだよくわからない。
「その目はなんだよ、ひどいなお前ら」
「壮君、すごい頭良いよ?」
そういう問題の話ではない。
「あのね、俺、クラス委員とか実行委員とかそういうの得意で結構やってるんだよ」
「先輩の性格的にそういうのは得意だとは思うけど……」
例の如く揃った声で壮は言われた。
「その他、素行の問題です」
「ちょっと待て、お前ら半年で俺がちゃんとお行儀よくしてたこと知ってるだろ!」
びしょ濡れ騒ぎ起こしたくせにな、と三人は心の中で呆れた。
「顔に出てる!」
そう指摘すると、やらかしたのはあれくらいだと壮は言う。本当かなと思ったが、この半年の壮しか知らない。あの恐ろしい壮のままで素行が悪かったらここまで人気者にはなれないだろうと納得してやった。
「あれ? 知らない? 俺、一学期生活委員長だったよ」
知らなかった。よりにもよって生活委員だったとは。初っ端に雫を泣かしたことは未だに恨めしいが、昔から誠実ではあったことは認める。
「ねえ、壮君が合格できそうってことは、あたしも同じ高校に合格できるかな」
一番失礼なことを言ったのは雫だった。
「……お前、俺のことバカにしてるだろ。どう考えても今の発言」
今のところ学年一位を通している雫にそう言われたら身も蓋もない。
あ、でも、と全員が思った。素行で言うと、壮より雫の方が危ない気がする。高校入試って内申は関係ないのだろうか。
「相田ちゃん、壮先輩みたいに色んなことしておいた方が良いよ」
代表して浩が言った。
「相田ちゃん、一緒の高校行こう、壮先輩ともあたしたちとも、ね」
「あ、そういえば」
と光助が言った。
「あいつらもすごい成績良いらしいよ? 同じ高校行けるといいな」
あいつらとは相田ちゃん事件簿録を光助にやらせている他校の2人だ。雫が、わーい! と、そして、うわあ! と叫んだ。片方が恐ろしく雫に厳しい。男子なのにお母さんと呼ばれるほどに。
「で、先輩はどこの高校行こうとしてるんです?」
浩が聞くと、壮はじいっと雫を見た。
「N学」
あの透子が妥協を許すはずがないのだ。その高校は様々なコースがあるマンモス校であり、県内一の進学科がある。当たり前のように同じ高校に行こうとしている雫は学年一位を誇っていて、うっかりしなければ余裕で入れるレベルだ。
理由はそれだけではない。母子家庭の壮は母を楽させたいから特待生のあるその高校しか受けるつもりはない。
狙うは特待一本の壮はひたすら受験勉強に勤しむ。成績自体は片手で足りる程で雫たちとかわらない。
「壮君、あたしも頑張るから一緒の高校行こうね!」
その言葉は単純に嬉しくて、俺って全く単純だなと壮は思った。
「相田ちゃんはさー、小学校の時に色々やってたよね」
破天荒さに気を取られていた光助が言った。
「うん、楽しいもん!」
「なんで今年まだなんもしてないの?」
小学生の頃、雫が色々やっていたのを知ってるだけに今更みんなは疑問に思った。
「あはははー」
早々にやらかして遠慮しただけだ。
「あ! でも、あたし、実行委員やるよ! 合唱コンクール」
中間テストに気を取られ過ぎていて全員が忘れていた。男子は前に雫に日直の仕事を押し付けた男子で、今になってはぎゃんぎゃん言いながら、それなりに楽しく付き合っている。
「あたし、ピアノも弾くの」
「え?」
壮はなんだか嫌な予感がした。なんで誰も止めなかったんだよと思わずにはいられないが、ピアノを弾ける者が他にいなかった。
「今はたまにしか弾かないから、もう練習してるの」
マンションなので電子ピアノであり、雫は小学校を卒業するまで習っていた。
その頃、コンクールに出なさいと先生に言われ続けながら頑なに出なかった。演奏会でしか弾かないを通した。
音楽は楽しくないと嫌だ。楽しく自分の思うように弾けるようになるまでは頑張るけれど、楽しいままでいたい。だから小学校で辞めた。
楽しいだけで充分なのだ。雫は負けず嫌いだけれども、なんでも楽しいで満足する。勉強を頑張るのは色々なことを知っていける楽しみが山程あるからだ。音楽よりもなによりも、今は勉強に夢中なのだ。
「あ。まだ始まってないからうっかりしてた。俺も」
適当だなとみんなは思ったが、中学最後のイベントだから壮は楽しみにしている。
「壮君一緒だ!」
雫がトイレに行っている間に壮は三人に言い聞かせた。
「絶対無理させるなよ? わかってるよな?」
「先輩も実行委員なんだから、そっちは先輩の領分でしょ」
中間テスト前、体育祭ではしゃぎすぎた雫はその後ぶっ倒れてた。合唱コンクールといえど、またはしゃいで色々こなしてバテられても壮は気が気でない。体育祭の後、二日寝込んでけろっとして登校して来たからひとまずみんな安心した。
おてんばだから基本的に運動も得意だ。一輪車には乗れなかったが。その結果、雫は調子に乗って活躍しまくり、その後の無敵モードが発動した。
今回の壮は優しくせずに、お説教をしてやった。
寝込んだ時、やっぱり由美が来てくれた。雫は色々な話をした。翔とお別れしたことも言ってなかったなと思ってそこから色々話した。
翔の性格を考えればありそうなことだけれど、そこまでさせるかと思うと由美は密かに怒りを沸かせた。
それなのに雫は、翔は本当の好きで自分を見ていてくれていたのに、そうじゃなかった自分が翔を傷付けてしまったと言った。
本当に傷付けられたのは雫の方だ。最初から最後まで、幼い頃から今まで、雫を縛り付けて最後まで自分のわがままを押し通したくせに、と由美は思う。雫はわかっていないけれど、翔はそんなことを続けていたのだ。
どうして壮が好きだって気付けなかったのか。幸せなのに時々無性に後ろめたくなると雫は言った。
それは本当の好きの意味を壮はずっと抱えていたのに、自分で自分の気持ちを気付けないでいた自己嫌悪だけなのか。
それだけではないことを雫はわかっていたけれど、それは由美に言えなかった。
その後ろめたさは翔に対してのものでもあった。
あのさよならが、決して良いさよならの仕方ではなかったことが今ならわかる。それでも雫は傷付いたのは自分ではなくて翔だと思い込んでいた。
時々廊下ですれ違う時、翔の視線を感じる度に背徳に似た感覚に襲われる。自分は翔を裏切ったと。
翔が雫を見つめる顔が、そんな風に思わせる。翔が辛そうで寂しそうで悲しそうで苦しそうにいつも見つめる。
充に言われた、わからないわからないばかりで考えようとしてないのではないかという言葉、雫だってなにも考えていないわけじゃない。好きの違い、好きだとどうしたくなるとか、今まではそういう事を考えるとごちゃごちゃして纏まらない、答えが見つからなかった。
壮のおかげで少しだけ大人になれたかもしれない、少しだけ変われたかもしれないと雫は由美に言ってみた。
ごちゃごちゃするのは変わらないけれども、感じるだけじゃなくて、きちんと目に留めて現状を受け入れられる自分が居て、だから最近は余計に悩むことが増えたと雫は思う。
充と変な感じになってしまったことは、そんなこともあるよ、若気の至りだよと由美に言われて雫はほっとした。
由美は惚気も散々聞かされた。
惚気の最後に、壮と居ると楽しいのに不安なこともたくさんあって、なんだかんだでごちゃごちゃするのと言った雫の顔は嬉しそうに笑っていた。
好きだと気付く前は、まだ好きでいてくれているのかが無意識に不安だったのかもしれない。今の不安とそれは全然違うものだった。不安の正体にまではまだ行き着けていないけれども。
もっとね、他のこともしたいのと言った雫に、由美はくすっと笑ってしまった。
最近の壮には会っていないが、時々妙に自制心を出すところは変わらないのだなと由美は思った。昔の壮も由美の目にはそんな感じで映っていた。
なんとなくふたりの性格的にこのまま付き合い続けて結婚まで行っちゃいそうと想像する。そうしたら一生、壮は透子に遊ばれることになるのかと由美は面白くなった。
それにしても、翔は自分を押し付けてばかりいた反面、壮は雫が雫で在れるように昔からずっと本当の意味で大切にすることを知っていたのだなと改めて思った。幼い頃は無意識であったかもしれないが。
雫は壮に泣かされて笑わされて、翔君が翔君がと言いながら、なんだかんだで壮君がね壮君がねといつも嬉しそうな顔をしていた。
壮が引っ越す時、色々な事情が押し寄せていたけれど、由美はもう実家を出ていたからその時のことを聞き伝でしか知らない。
きっと一度離れ離れになった時、あんなに雫は淋しそうで、哀しそうな顔に号泣しながら由美に話したのは、好きだと言われて、またねと言われて、そのまたねがいつまでのまたねかわからなくて、キスをされたことよりも不安がまさったのだろうと、由美は思う。
壮の好きがどんな好きの意味か、そして自分も同じ好きを抱えていることに、雫はその時は理解していたのに、まるで現実味に感じられない別れが雫の中から色々な全てを消し去ってしまった。
あの時、雫は壮のTシャツを掴んだところから全て無意識のことだった。
自然と手が伸びて離せなくなった壮のTシャツ。大好きという言葉。
雫は覚えていない。壮は鮮明に覚えている。
由美に色々話しながら雫は納得したことがある。翔が特別だったように、全く違う形でずっと壮も特別だった。
自分をごちゃごちゃさせる壮は、そういう意味で特別だったのだ。
本当の恋はごちゃごちゃするの? と雫は由美にも聞いてみたら、そうだよと優しく微笑んでくれた。
今感じるごちゃごちゃは、よくよく考えると時々だけれど確かになんだか嬉しい時もある。




