第17話
長い時間一緒に居られた夏休みが終わった。
年中壮は雫の家にご飯を食べに来るし、昼休みに壮が雫のクラスへやって来ることは当たり前だし、帰れば夕飯まで一緒に過ごす。
しかし、周囲は全然気付いていないようだった。小百合たちと幼馴染は流石に気付いているけれども。
翔の時とは違って、毎日壮が迎えに来る。
「雫、早くしろって!」
自分で二人分のお弁当を作った朝、時間配分を考えてなかった雫がてんで慌てて用意をしている。もうかなり壮を待たせていた。
「ごめんなさい」
そう言いながらも、しっかりと手作りのお弁当を渡す。
その様子を透子といえば阿呆らしそうに眺め、当たり前に壮を冷やかして遊ぶ。
毎日、そんな具合で登下校する。
翔のような独占欲は壮に無いとは言えないけれど、見せない。これは嘘のうちには入らないはずだ、種類が違う。
登下校時、手を繋いだりもしない。
取っ組み合い事件が有名で、仲良いなあ程度にしか周りは思っていない。
「良かったわねえ、相田ちゃん」
小百合がこそっと雫の頭を撫でながらある時言った。
「うん!」
こそっと言ったのに、雫は嬉しそうで声が大きい。そばにいた光助と浩が苦笑いを浮かべた。
本当に嬉しくて嬉しくて仕方のないことがよくわかるけれど、壮は隠しておこうと思っているようだ。一応親友のはずである翔への気遣いもあるのだろうと三人は思う。
翔のこともあるし、そんなに目立つことはしないというより、壮は自分が目立つ存在だって一応わかっているのだなと、失礼なことも思った。
壮に懐かれていれば懐いているし、さっさとくっつけと思っていた。本当に二人とも鈍感で焦れったいことこの上なかったから、単純に安心をした。
雫はごちゃごちゃするが本当の恋なのだと夏休みにわかった。喜久枝が面白おかしく教えてやった。だから最近、やたらと機嫌が良い。
鈍感な雫のことだ。いつまたごちゃごちゃすると言い出すかわからないなと小百合は思う。
雫は本当に可愛いわと、小百合も雫と同じくらいご機嫌だった。
そんな小百合に光助も浩も若干引き気味だ。
勇利の反応だけは他と少し違った。
遊びに来た壮のところへ珍しく寄って行く袖を引いた。
そうして教室の片隅でいきなり言った。
「やっぱり壮も馬鹿だね」
「あ? なんでお前にそんなこと言われなきゃならねえんだよ」
「自分が卒業した後のこと考えてんの?」
「どーゆー意味だよ」
壮は本当に何が言いたいのかわからなかった。
「自分のものだって示しておいた方が良いよ。あいつ、今でさえ人気もんなんだ、僕には理解出来ないけど」
それで壮は勇利がなにを言いたいか納得した。けれど、翔の件があるから雫の迷惑になるかもしれない。そう思うと、壮は押し黙った。
「誰かさんのこと気にしてんの?」
「……ちがうよ。あの子のこと。付き合いました、別れました、で他とすぐに付き合い出しましたーて聞こえが悪いだろ」
別に雫の行動がおかしいのは今更だ、だったら別にそこまで気にしなくていいと勇利は思う。
「壮ってさ、妙に臆病なところあるよね」
図星を勇利に言われてしまい、壮はそんなことはわかっているとごちた。
雫は怖いけど、勇利だって可愛いのは認める。ちっちゃいくせにだんだん綺麗に大人びて来ている。言動以外は。
あれはないと勇利は思っているけど、周りの目がそうでもないことを勇利は知っている。周りはふたりが付き合ってることなど全然気付いてなくて、クラス内でも雫のことを良いなと思っている奴はいる。
確かに醜聞を考えると雫をよく思ってない連中には更に嫌われるだろう。しかし、そういうのを雫が気にするわけもない。
目前のことと興味あることしか見ない雫は、自分を嫌っている連中にまで、面白そうだと飛び込んでいく。自分がどう思われようと、面白そうなことを見つければ、彼女にとっては些細なことでしかない。その面白そうな内容に参加するために、無意識で相手を懐柔して、最終的にはみんなを笑顔にしてしまう。
そんな風に相手が概ね受け入れてしまうのは、雫が自然と行っている気遣いのせいだ。もはやクラスのほとんどは雫に毒されている。
ああ、恐ろしい、と勇利は思う。
とある昼休み、弁当箱の蓋を開けた瞬間、壮は言われた。
「なあ、お前の弁当てさ、最近時々妙に凝ってる時あるよな」
その日の弁当はちょうど雫が作ってくれたものだった。
「母ちゃんが料理上手なんだよー」
そう言うと最近の話だと突っ込まれた。
「あー、これはさー彼女の手作り弁当。羨ましいだろー」
勇利に言われたことを少し気にしつつ、壮が言ってみると、一緒にいた友人たちは黙り込んだ。そして、みんな一斉に突っ込んだ。
「え、お前、彼女いたのかよ! ずるい!」
「母親の弁当より彼女の弁当のがすげえって、その子どんだけ気合い入れてんだよ」
そう言って笑われたものの、実際には雫はなにも気合いなど入れてない。自分が食べたいものを勝手に作って、壮の要望など一切聞かない。
「うちの学校の子? お、し、え、ろー!」
「やだ」
そう壮が言うと、周りはにやにやし出した。
「じゃあ、おかず分けて。旨そう」
「やだよ!」
「なんだよ、減るもんじゃねえだろ」
「……減る」
あまり広まりたくないから、言いたくないが、あまりにも周りがからかって来るから、壮が根負けした。誰とまで言うつもりはなかったのに、思いの外口が滑った。
「えーとな、すごい料理上手な変人。確か三歳で包丁握ってた気がするわ」
壮と雫が幼馴染であることは友人たちも周知であった。変人の言葉に、思い着くところはみんな同じだった。
「相田ちゃんか!」
みんなの相田ちゃんを! と言わんばかりにみんなして捲したてだした。
雫は壮との取っ組み合いが有名になって、今や上級生にまで可愛がられている。
「なに、今頃気づいたのかよ」
わざとあっけらかんと壮は言った。
「相田ちゃんてなんでもできるよな。すげえ」
「学年一番とか天才肌?」
「えー、こんなタラシ風情のどこが良いんだよ」
「大野と別れたかと思ったらお前かよ。ずりいし」
方々、言いたい放題だ。
結局、中学でも小学校の如くみんなの相田ちゃんなんだなとしみじみと思いながら弁当を食べだし、言いたい放題に周りから色々言われた結果、一番言われたくない落ちで話は収束した。
「……取っ組み合いで負けた相手を逆に落としたわけだ」
「……それは言わないでくれ」
馬鹿力に負けたあれは、中学生活の中で唯一の汚点だ。未だに悔しい。しかもちゃんと真面目にやってきた中で、三年という最後の最後にやらかした。
不貞腐れた壮は、食べ終えると一目散に逃げた。
「あれ? あいつが昼休みに消えるのってさ、相田ちゃんだったのか」
あまり誰も気にしていなかったそれに、今更気付いたクラスメイトたちは思った。あれが始まったのはまだ雫と翔が付き合っていた頃だ。あの頃時折見かける翔の隣にいる雫と自分たちの今知る雫にはギャップがある。
今の方が断然良いなと思うと、みんなして途端に友人が誇らしくなった。
壮が雫のクラスにやってくると、雫が誰かと楽しそうに話している。雫が気付くまで、そのまま眺めているつもりだ。その風景を小百合たちは馬鹿面だなあと白い目で見つめていた。
「せんぱーい」
「なに?」
突然、後輩然で呼んで来た光助が言った。
「相田ちゃん呼び返上していいっすか?」
間髪入れずに壮は、いやだと言った。呪われるよ事件は、他人が雫を名前で呼ぶのが嫌だという単純なわがままからだった。幼馴染たちはみんな雫と名前で呼んでいるのに。
「てか、クラスの奴らにバレた」
「ご愁傷様でーす」
声を揃えて三人が言う。どうやったらここまで息を合わせられるのかといつもびっくりする。
「先輩てば思わず惚気ちゃいましたー?」
小百合が楽しそうに茶化した。
「違う。弁当でバレた」
「あー、羨ましいー。あんな美味しそうなの年中食べて」
と言ったのは浩だ。
浩は鍵をかけているつもりのようだが、壮は昔からなんとなく気付いていた。嫌なこと言わせちゃったのか、単に羨ましいのかはわからない。たぶん、気付いていたのは互いに同じ相手が好きだからだろう。
「おーい、相田ちゃんーん! 壮先輩来てるぞー」
あまり弄り過ぎると、流石に壮の報復が怖い。光助が雫を呼んでやった。
なにかを夢中で話していたようだが、ひょこっと抜け出して嬉しそうな笑顔を浮かべて壮たちの所へやって来た。
「ごめんバレた」
壮が言うと、雫は首を傾げた。
壮は鉄平に釘を刺されていた。しかし、鉄平は雫に良かったなとしか言わなかった。
「別にいいのじゃない?」
あっけらかんと雫は言った。
同時に誰にも言っていない色々な自分の気持ちを誤魔化した。
翔の傷付いた顔を見るのがもう嫌だ。自分だって傷付いた。けれど翔は自分の方がもっと傷付いているような顔で見る。すれ違いにそんな顔で見られると、上手く笑えなくなりそうになる。壮が居てくれているのに、自分勝手だろうと時々不安になる。結局、ごちゃごちゃする。
もしかしたら、と最近思い始めた。
他に気を惹かれていれば、見ないふりではなく、見ないで済むかもしれない。それも身勝手なのは、もちろんわかっている。
嬉しそうに壮のところへ飛んでいった雫に、話し相手たちは流石に思った。壮から好き好きオーラは前から出てたけど、相田ちゃんも最近そんな感じがする。
「ねえ、それよりお弁当美味しかった?」
壮はため息を吐いて雫を小突いた。
「あのね、お前わかり易すぎ。隠さな過ぎ。懲りねえな」
むうっと雫が頰を膨らませた。
「お弁当美味しかったかって聞いてるの!」
その風景は面白く周囲に映って微笑ましくて、ついついみんなが眺めてしまう。
「美味しかったよ。美味しくない時なんてないんだからいちいち聞くなよ」
「だって、絶対に気になることなの! 作る方としては。大事なことなの!」
自分の食べたいものしか入れないくせに、よく言うもんだと壮は呆れた。
「じゃあ、たまには俺のリクエストを聞けよ」
「やだ。作るのあたしだもん」
絶対そう来ると思っていた。
勇利が壮はバカだねと遠くで意地悪く笑っているのが見えた。ふたりを観察していた周囲もくすくす笑っている。
これ、相田ちゃん事件簿に書き足してもいいなと、嬉々と光助は思った。
好きな人へお弁当を作ってあげるのに自分の食べたいものしか入れない、と。
大したネタではないけど相田ちゃんらしい。
あーだこーだ言っているうちに予鈴が鳴る。面白いものを見たなと周りはなんだか満たされた気分になったけれど、流石にみんなもあれ? と思った。そういうことかと思うと、雫と壮の組み合わせだけに可笑しくなった。壮のクラスメイトと同じことをみんな思ったからだ。
壮の喜ぶ顔が雫は見たい。お弁当を渡す時の壮の嬉しそうな顔が好きだ。
翔の時との自分とは全然違った嬉しいがたくさんある。
背伸びはもう嫌だし、壮もそんな自分に合わせてくれる。しかし、壮はいつだって自分よりも大人に見える。二つしか歳は違わないのに、自分よりも大人っぽく見える。
成長が著しい年頃だから、若干の歳の差でやたらと壮が大人っぽく見えてしまうのは仕方のないことだった。充の弁ではないが、壮は色々なことを我慢している。雫もそれを理解している。
本当はもっと他のこともしたいのに、キス以上のことをしてくれないのは、それはきっと壮の優しさで、もっと他のこともしたいと思うのは、きっと自分のわがままだ。
本当の好きを知っても、ごちゃごちゃするのは続くのだなと、最近雫はよく思う。




