第16話
「おばあちゃん! あたしいっぱいお手伝いするからね!」
目をきらきらさせて雫は言うが、別に一人暮らしの身でそれ程手伝ってもらうようなことはない。
「おばあちゃん、いっぱいお話ししようね!」
やはり目をきらきらさせながら雫は言う。
今日がダメなら明日壮が来ると思い込んでいそうだ。その辺は本当に子供っぽい。しかし、まだ子供なのだから、恋愛しようとなんだろうと子供らしくいる方が、殊雫の場合は良いと喜久枝は思う。背伸びしたって疲れ果てるだけだ。
自分と透子の競合がさてどう出るか。この調子だとなかなか面白いことになるのではないかと喜久枝は踏んでいる。
雫はわかりやすいようで時々複雑で、時々なにがしたいのかわからない時もある。喜久枝は今がまさにそういう時の様な気がしてる。
雫にとってちゃんとした恋は初めてで、ごちゃごちゃすると言っていた。
ごちゃごちゃしながら相手を待って、ごちゃごちゃしながら自分にやたらと気を遣って来る。まったく面倒くさくて可愛い孫だ。
噂の壮君とやらがどんな男か楽しみだ。
あの電話の様子だと普段から困らせているのだろうと喜久枝は思う。この雫の相手をちゃんと出来てしまうことにも興味が湧く。
ピンポンとチャイムが鳴る。喜久枝が手を離せないから出てきてと雫に言った。
玄関を開けたら壮がいた。
「迎えに来たよ」
「どうして?! なんで?! 今日は来れないって!」
また透子に遊ばれたなと壮は思った。そんな壮に雫は飛びかかる様に抱きついた。
「始発で来た。一緒に帰ろ?」
そうして雫は驚きと嬉しさに壮の胸の中で泣いている。
「おばあちゃん、呼んでくる!」
涙声でそう言うと、ちょっとだけこのまま居てと壮にお願いされた。そうしているうちに、面白がって楽しみにしていた喜久枝が出て来た。お願いしたのは壮の方なのに、雫が離れようとしないため、壮はそのまま挨拶した。
「初めまして、東雲壮と言います」
面白そうに自分を見る喜久枝の好奇な目が若干痛い。流石はあの透子の親だなと思わずにはいられない。
「へえー、あんたが壮君。優男の割に生真面目そうな感じね」
褒められてるのか面白がっているのかよくわからない。まったくもって透子と同じようなことを言う。
「雫さんとお付き合いさせていただくことになりました」
壮がそう言うと知ってるわよと返ってきた。その頃にやっと雫が壮を解放して、喜久枝に文句を言った。
「おばあちゃん、絶対面白がってる! 知ってたでしょ、今日来るって。昨日、お母さんと企んでたんだ!」
「おや、感謝しなさいよ。泣くほど感動的なサプライズじゃないかい」
むうっと雫が膨れている。
むくれている割に嬉しそうな相好をしているから、壮と喜久枝は目を合わせて笑った。
喜久枝は翔と会ったことはないが、聞いている限り、透子と同じようにあまり雫には合わない気がしていた。雫が良い子過ぎてる感があったのだ。その点、初めて会った壮の印象は話から聞いていたまま、感じの良い子だなと思った。
感情豊かな雫が、楽しそうに嬉しそうに、時々むくれながら、壮の話もたくさんしていた。
付き合うことになった昨日、充のところから帰って来ると、面倒くさいほど喜久枝は雫に壮の話を聞かされた。その時、思わず壮に同情して、雫のどこが良いのかと疑問に思ってしまった。
物好きもいるものだと思いつつ会ってみた壮は、とても好感の持てる少年だった。
雫が荷物をまとめている間、居間で喜久枝と壮は二人で話をしていた。
「ごめんねー、電話丸聞こえだったの」
壮は恥ずかしくて、思わず顔を俯かせた。流石に頰が暑くて、照れ隠しに頭を掻いた。
「因みに迎えに来て貰えばって入れ知恵したのもあたし」
また透子にしてやられたかと嘆きたくなったが、あれだけ雫は喜んでくれたのだからやっぱり今回も透子様様だ。そして喜久枝様様だったことを今知った。
「透子さんは俺で遊ぶのが好きなんですよ。応援もしてくれるけど」
親子でそっくりだと言いたくてそんな風に言ってみた。
「ここでもあいつ、おてんばなんですか? やっぱり」
「破天荒過ぎて面白いわよ」
どこに居ても雫は変わらないなあと保護者よろしく壮は喜久枝に謝りそうになり、見透かした喜久枝があんた保護者みたいだと壮を笑った。
「俺、雫と居るとなんだか自分まで優しい気分になれてすごく癒されるんです。まあ、おてんばで甘えん坊でわがままでわけわからないけど」
壮は自分で惚気ときながら照れくさそうだ。喜久枝はそれなりに良い男だと値踏みした後、あの雫の相手が出来るのだから大したものだとも思った。
「あんたは誠実なのね」
思ったままに喜久枝は言った。
「どーだろ……結構困らせてばかりいましたよ」
ちょっと前までの自分を思い出すと恥ずかしさが込み上げる。
雫の前で、雫の優しさに触れると自分が優しくいられる。こんな気持ちになる日なんて思ってもみなかった。
どうせ自分に振り向いたりしないと思っていたし、嫌われてもいいとさえ思っていたのだ。幼い頃とは違う形で何度も泣かせた。
「人は変わるわ。しかもあんた達は成長途中なのだから余計よ」
「俺、優しい自分を知ったから。そこは変わりたくないなあ」
と、喜久枝はいきなり少しだけ話題を変えた。
「ところで雫、あんたのこと困らせてばかりいない? なんとなーくだけど、雫の話聞いてるとあんたがずーっと前からあの子のこと好きでいてくれてたのかなあと思ってね」
「好きだって、何回か言ってます。でも、こういうのって大事な時にとっておかないといけないかなって最近は思ってて……まあ、今かなとなんとなく」
「鈍感だからね」
喜久枝がそう言うとふたりしてため息を吐いた。意味合いは違えど。
「やー俺、ホント昨日の電話、びっくりした」
あの電話の、わけのわからない雫の弁を思い出した喜久枝が笑う。そして次第に大爆笑へと変わっていった。
「だっていきなりわけわかんないこと言い出すんだもんなあ。最初、流石に俺だってなにが言いたいのかわかりませんでしたよ」
「あー、その辺は同情するわ」
「それはどーも」
「でも、あんた、さっき自分が優しくなれるって言ってたけど、それだけじゃないでしょ」
まるで透子と話しているようで壮は苦笑いを浮かべた。それから嬉しそうに楽しそうに言った。
「楽しいんですよ、端的に言えば。頑固だったりわがままだったり、でもそれが雫らしくて」
「わかるわそれ。ここでもそんな感じでみんなに可愛がられてるから」
荷物をまとめあげた雫が居間に来た。そして言った。
「絶対あたしの悪口言ってたでしょ!」
壮と喜久枝は雫らし過ぎて爆笑した。それに対して雫は案の定、不貞腐れた。
「あんたの彼氏は良い男だねえって本人目の前にして褒めちぎってたんだよ」
喜久枝のわざとらしいその言い方に、壮がぎょっとした。雫は自分のことじゃないのに照れくさくなって慌てた。
「おばあちゃん、じゃあ帰るね。来年! また来年来るから!」
そう言って家を後にする時、雫があ! と思い出した。
「壮君、寄り道!」
「ん?」
「お隣の充君が会わせろって」
「なんだよそれ」
めんどくさいなと壮は思った。
充のところに顔を出して、からかわれまくり、バス停へ行くとちょうどよくバスが来たから、乗ってしまうことにした。
バスを降りて少しの間駅まで歩く。
「ほら貸して、持ってやるよ」
壮が雫の大荷物を奪った。翔ならそんな仕方はきっとしない。
そうして心地よさを知った互いの手を絡めた。
こんな風に手を繋いで歩くのはお祭りの時だけだったなと互いに思った。
雫はあの心地よさや高揚感の中で、自分が壮のことを好きだと気付かなかったことがちょっと恥ずかしい。
手を重ねたり、絡めたりなどというのは時々していたけれど、手を繋いで歩くそれはちょっと気分が違う。嬉しい、楽しくて、雫はにこにこ終始ご機嫌だ。
電車の時間を調べておけばよかったとふたりは後悔した。ちょうど良くバスが来たから思わず乗ってしまったけれど、一時間、閑散な駅のベンチで待つ羽目になった。
「雫、こっち見て」
目を合わせると、くすぐったそうにふたりとも笑った。
「俺」
「あたし」
声が被った。
「あー、先に譲ってやるよ」
壮がどうせ譲らないと思って言ってやる。
「あたしね、壮君が好きだ!」
ものすごい勢いで言われて、壮は、おうと言うのが精一杯だった。
この雫の告白の後で自分が告白し直すのかと思うと昨日以上に良い言葉など見つからない。
一息吐いて、壮は言った。
「雫が好きだ。改めてさ、俺と、付き合ってほしい」
今までで一番優しく言えた気がした。
「うん!」
嬉しくて笑ったのに、雫はなんだか涙が出て来た。いつもの号泣じゃなくてすうっと涙が頰を伝った。
「もう、なんで泣くんだよ」
言いながら壮はいつもと泣き方が違う雫の涙を拭ってやった。
「壮君は優しい。あたし、ずるばっかり。もう、ずるいことしない」
結局のところは、そんなにこれからも今までと変わらないだろうと壮は思う。
今までの雫が本当にずるかったのなら、雫のずるさに甘えていたのも確かだ。相手が雫なのだから、当たり前がいっそう当たり前になるだけだ。
泣いて笑った雫がとても綺麗に見えた。
「雫。綺麗」
自然と言葉に出してしまって壮は自分で焦った。今日は少し調子が狂う。雫が顔を真っ赤にしている。
「き、きき、綺麗なんて言われたことないから……」
お祭りの時にも言われているのに恥ずかしそうに雫はどもった。
綺麗は撤回。昔から変わらないところも、少し成長した部分も、全てがやっぱり可愛い。
そう思ったら、いやらしい意味じゃなくて食べちゃいたいなんて思ってしまった。
そんな自分と慌てている雫に対して壮は苦笑いを浮かべずにはいられなかった。
「えー、透子おばさん。というわけでなるようになりました!」
雫を家に送り届けたついでに、一応改めて報告した。
面白そうに透子がにやにやしている。主に雫に対して。そして雫は思い出した。
「お母さん、あたしで遊んだ!」
「あら、感動的なサプライズだったでしょ?」
喜久枝と同じことを透子も言う。そもそもの言い出しっぺは透子なのだ。
「別にわざわざ始発で行かなくてもいいのに、壮ってば情熱的ねー」
今度は矛先が壮に変わった。壮はばつが悪い。
最後まで遊ばれて、これからも遊ばれるのだろうなと思うと、ため息まで吐きたくなる。
しかし、その後の透子の言葉は優しく心に響いた。
「鈍感さん達ー、よかったわねえ」
最初はまたからかってるのかと2人とも思ったが違った。
「これからが始まりなのよ。ふたりで大切に時間を過ごしなさい。これからだんだん大人になっていくだろうけど、変に臆病になったりしたって無駄なだけだわ。変わる時は絶対に来るのよ。特に今なんてね。今が良いなんて思わないでもっと良くしなさい」
良いこと言うなあ、いつも人のことからかってばかりなのにと壮は思った。きっとこれからもそうだろうけど。
いつも透子は壮の背中を後押ししてくれていたのに、臆病な自分は雫の求めること以外は何にも出来ないでいた。
変われ、と言われてるようだった。
背伸びをやめた雫の心に透子の言葉がしっくりと滲んで、嬉しそうに破顔した。
やっぱりお母さんは素敵だ。いつかお母さんのようになりたい。その時、となりに壮が居てくれたら素敵だなと思った。




