第12話
期末テストが終わり、勇利を英語で負かして中間テストに続き学年一位を取った雫はご機嫌だ。
そしてすぐに夏休みが来た。
毎年恒例の夏休みの楽しみが待っている。
雫は毎年、お盆から二週間程度、祖母の家にお世話になる。お盆にお墓詣りをした後、両親は雫を置いて草太を連れて帰ってしまい、祖母と楽しく二週間を過ごす。雫と草太、ニ人とも預けたら流石に祖母も身が持たないだろう。
おてんば変人少女は、たった二週間しか滞在しないのに田舎に友達が居て、毎年みんな楽しみにしてくれている。雫も楽しみで仕方がない。
宿題はそれまでに絶対に済ましておくことが透子との約束だ。
雫が二週間もひとりで祖母の家に滞在するのはひとりぼっちの祖母を喜ばせたいのと共に、田舎ののんびりさも好きという理由である。
結局遊びまわって、ちょこっとしたお手伝いしかしないで終わる。それでも祖母と一緒になにかしたり話をしたりする時、喜ばせたくて一生懸命だ。
祖母もそんな雫を見ているのは楽しくて、来てくれるだけで嬉しい。
雫の賑やかさに呆れながら適当に雫の話を聞いてやる。子が子なら親も親だ。まったくもって透子と同じ性質をしている。
「壮君! 宿題しよう!」
夏休み前半、そう言って雫は壮の家に押しかけてくる。
気が付いたらいつの間にか一緒に居る時間が増えてきて、押しかけてきた雫を当たり前のように招き入れたが最後、毎日がこれだ。
悪い気はしないが、雫の集中力のすごさが壮を驚かせる。
一言も耳に言葉は入らないし、じっと宿題を眺め、手も止まらない。だったら別にここでやる必要ないのではないかと壮は思う。こちらは雑念ばかりでなかなか進まないというのに。
結果的に宿題と受験勉強の為に、雫が帰った後で机にかじりつかねばならない。
雫は今日はどこからどこまでと決めて進めていて、お盆までに終わるようなスケジュールをきっちりと立てる。
破天荒でも真面目な雫らしいなと壮は思う。いつでもどんなことがあっても一生懸命な雫が好きだ。
時々手を止めては、ひたすら問題を解く雫に見惚れる。
最近、壮は気付いたことがある。
意地悪をしたり年中喧嘩もするけれど、なんだかんだで雫に優しく接する自分がいる。優しく振る舞いたいのではなくて雫が自分を優しい人間にするのだと思う。
目を細めて雫を眺めていると優しい自分を感じられて心地よい。自然と見つめる相好も優しくなれた。
ふと顔を上げた雫が微笑んだ。
その顔好きだなと思った自分も、似たように微笑んでいる。
雑談という休憩を終えて、しばらくすると雫が終わった! と声を上げた。早っ! と壮は思った。学年一位はやはり侮れない。雫が夏休み頭に壮に見せた計画表よりもかなり早い。
「ご褒美ちょうだい!」
わくわくした目で雫が壮にせがんだ。
「ん? お祭り行くじゃん。それがご褒美じゃないの?」
深く考えずに雫と約束していたお祭りのことを持ち出したが、違ったようだ。
「それは約束でしょ? ご褒美欲しい」
なにをしてあげればいいのか壮は考え倦んだ。そして、雫が求めているものに気付いてしまった。
最近、雫は壮にわがままよりも甘えてくることが格段に多くなった。嬉しいけれど、勘違いしてしまいたいくらい、時々困ったことを求められる。一応、自分たちはそういう関係ではない。
真昼間で母はもちろんまだまだ帰って来ない。しかし、大胆な雫がどこまでのご褒美が欲しいのかわからない。
いつもわからなくて、時々甘えさせた後、不満そうな顔をされて困ってしまう。
「隣に行ってもいい?」
夏休みに入ってから押しかけてくる雫は、いつもなら壮に自分の隣に来させる。珍しく自分が隣に行くと言った。
仕方ないなと思って壮はおいでと手招きしてやる。雫がぴったりとくっついて、壮の隣に嬉しそうに座った。
広げられていた宿題や参考書を雫は覗くと目を輝かせた。
「難しそう。でも面白そう!」
雫は勉強が好きだ。知らない色んなことを知ることは楽しいし嬉しい。
ノートを見て、雫がくすくす笑った。そうして英単語を一つ指差した。
「壮君てば、頭良いのに。ここ、スペル違ってるよ」
「俺、苦手なんだよ。英単語覚えるの。文法とかはさ法則性があるから好きだけど」
どうしたら得意になれるか聞いてみようと思ったけど、その返答はきっと当てにならない。どうせ変人ぶりを発揮するだけだ。そもそもなんで三年生が習うような単語を雫が知っているのか。
控えめにクーラーを効かせた部屋で、ぴったりとくっつく雫の体温がいつも温かくて心地よい。
「何が良いんだよ、ご褒美」
投げやりに聞くと、ぎゅっと雫が壮の腕に抱きついた。
見上げて目を輝かせて言った。
「壮君が、壮君のしたいようにされたい」
はあと壮は溜息をついた。また面倒くさいことを言う。真意が判りづら過ぎる。
ひとまず考えるために雫の頭をわちゃわちゃかき混ぜてみた。
頭一つ分下にある雫の顔を覗いて目を合わせると、くすぐったいのだか嬉しいのだか気持ち好さそうに目を細めて笑っていた。
可愛すぎて、一瞬目を逸らしてしまった。今更でもあるがなんだか照れてしまった。
それから少し自分のわがままで雫を押し倒して手を絡めると、少し唇を重ねるだけのキスを一度、それで終わらせた。
「おしまい」
至近距離でにやりとそう告げると、さっさと壮は元の姿勢へ戻った。
起き上がらない雫を見遣ると、とても嬉しそうな顔で天井を見上げている。
本当になにを考えているのかよくわからないけれど、これで良かったんだなと壮は思った。
壮だってもっとしたい。雫が時々求めてくる多くのままに。けれども、今のこの距離が壊れてしまったらと思うと躊躇われた。
壮にいろんなことをされたかったのではなくて、今壮がしたいことを壮がした。それが雫は嬉しかった。
最近の壮は意地悪を言っても優しい。その優しさに触れただけで嬉しくなる。壮の意地悪は全て優しさだって知った。
お祭り、楽しみだなと雫は思った。
お祭りの次の日からしばらく会えないけれど。
「お母さん、可愛い? ちゃんと可愛い?」
透子のお古の少し大人びた浴衣を着せてあげると、雫が何度も何度も同じことを聞いてくる。
「はいはい、可愛い、可愛い」
だんだん透子の返事も適当になってくる。
雫の髪の毛を浴衣に似合うように結い上げて、それから面白がって薄くメイクをしてやった。
だから余計にしつこく聞いてくるのだ。
いつもと違う顔の自分を姿見で見た瞬間、雫は自分で自分の姿に目を輝かせていた。
そんな雫を他所に、透子は完全に娘で遊んでいた。故に壮も透子に遊ばれていることになる。うなじが色っぽく見えるような髪型に仕立てた。大人びた浴衣、化粧、色気のある髪結い。ちびっこい雫の外見も、それだけやれば流石に子供らしさが消えて艶やかさが際立つ。
我ながら良い出来だわと自画自賛していたのに、何度も可愛いかと聞いてくる雫は面倒くさい。
雫は絶対に壮のことが好きだ。しかし絶対にわかってない。
透子にはそんな確信があった。
我が娘ながらその鈍感さには呆れる。これだけはしゃいでうきうきしている自分の姿や心を、雫がどんな風に捉えているのか全く持って謎だ。
雫があれこれ色んな角度から姿見に自分を映して喜んでいるうちに壮が迎えに来た。
玄関から部屋の奥に見える雫の姿と身動きのちぐはぐさにバカだなあと思いながら、透子に向かってぐっと親指を突き出した。
「これからは透子様と呼ぶと良いわよ」
にやりと透子が言うと、そうっと壮は視線を外した。
遊ばれてる。絶対この人自分で遊んでる! と理解するに十分だった。雫のことを大好きな自分を面白がっているに違い。応援するつもりがあるなら、応援だけしていてもらいたいと嘆きたくなる。
「雫ー、壮来たわよー」
透子が呼ぶと雫が慌てて玄関に向かって来る。
透子様よ、いくら何でも遊びすぎだろう。
そう突っ込みたくなるくらい、雫は普段よりもいっそう魅力的だった。
どきどきして、壮は迎えに来たよの一言が言えない。透子に遊ばれているのはわかっていても、胸が高まって、どうしたらいいのかわからないくらいどきどきする。
透子はその様子を面白がって見ていた。その視線が壮は痛い。透子からする不安そうな顔を浮かべた雫も面白い。
「壮君……あたし、変?!」
何も言わない壮の様子に雫が思わず強く聞くと、堪えることなく透子が吹き出して爆笑した。
これ以上見られているところで遊ばれるのは癪だ。
「行くよ、雫」
投げやりに呼びかけて、壮はさっさと雫を連れ出した。
並んで歩きながら、無言が続いていた。
壮は照れ臭さから雫の問いに答える勇気が持てない。壮がなにも言わないから雫が変な風に勘違いして不貞腐れている。
近所の外れ辺りで、壮は意を決する為に雫の背をぽんと叩いた。
「……変なんかじゃない」
自分の方を見上げた雫に、やっと壮は言えた。
「ホントに? 変じゃない?」
頑固だなと思いながら、雫が困らないような言葉を探してみるが、言いたいことを言うのが一番かなと決めた。
「綺麗。あんまり綺麗だったから、なんて言ったらいいかわからなかった」
その言葉に雫は顔を火照らせた。
綺麗、だなんて初めて言われた。なんだかとても恥ずかしくなってしまう。
壮の言葉はまっすぐ過ぎて時々戸惑う。そのまっすぐさが壮のいいところだけれど、まっすぐ過ぎて目が反らせなかったり、目を逸らさずにはいられなかったりと、極端になってしまう。
だからいつもごちゃごちゃするのだけれど、最近は少しだけそれが落ち着いてきていた。落ち着いてきてはいるけれども、今までとは違うごちゃごちゃも混じり合ってきた。
今、自分がどんな顔をしているのか、恥ずかしくて雫は俯いた。
「雫?」
やっぱり困らせたかなと壮は思った。
可愛いと綺麗は意味が少し違う。雫だってそれくらい理解している。今まで壮の目に映っていた自分は可愛いで、今壮の目に映っている自分は綺麗。壮の自分を見る目がいつもと少しだけ違う。
壮は何度も雫が綺麗に見える瞬間に出会っていたけれど、今までそれを口にしなかった。
こう言うと、雫はこんな反応をするのか。
何回も言いたいような、大切な時にとっておきたいような、そんな言葉だ。
お祭りの賑わいが聴こえてくる。参道へはもうすぐだ。
「お前、逸れそうだから手つなぐぞ」
そう言って壮は有無を言わせず雫の手を取って指を絡めた。指を絡め合う繋ぎ方は初めてではないのに、
今日はいつもと気分が違う。お祭りの高揚感からなのか、先ほどの綺麗という言葉のせいなのか。
こういう時、壮は翔がどんな気持ちだったのかわからなくもない。綺麗な雫を他の男の目に映したくない。綺麗な雫が自分のものだと見せびらかしたい。
けれど、雫は自分のものじゃない。
自分の好きと雫の好きは重なる時が来るのだろうか。そう考えると、最近の雫は壮をひたすらごちゃごちゃさせる。




