第204話 2つの思い出……1つの願い
━━……あの日は雨が降っていた気がする。正直なところ、その日の情景なんてものはこれっぽっちも覚えていない。あの時のあの言葉の衝撃が強すぎたのか、それともムラマサの中にある本能的意識が無理やりにでもその時の記憶を抹消しようとしたのか、何故かそこだけ穴が空いたように忘れてしまっていた。
だから、あの時の『アイツ』の顔も覚えていない。あの時の『場所』も覚えていない。あの時の『声』も何もかもを覚えていない。唯一覚えているのは、あの時の会話だけだ。
「ムラマサ……もう俺には関わるな。俺は奴らと深く係わりすぎた。俺の心はもうここには無い。既に、クロノスに陶酔してしまっている」
「……自分で陶酔しているとか言わないけどな。自覚してるのならまだ戻ってこれるんじゃないのか?」
「そういう問題じゃないんだよ。もう俺は戻れない。戻ろうと思っても、まるで薬物依存のように体が無意識にクロノスを求めている。皆のところに行きたがっているんだ」
「……」
「お前が俺に何を言って止めようとするのかは分からない。だが、お前が放つ言葉は俺の心には響かない。耳には届かない。何も影響しない。覚えておけ。もう変わることは無いんだ」
冷たく言われたその一言は、まるでなにか大切な糸を引きちぎるような強い、そして悲しいものだった。
「それでも俺はお前を取り返す。たとえ戦うことになっても」
「……それこそ無理な話だ。お前の剣技は俺程度の刻帝拳すら到達しない。それに、邪魔するのなら今ここで殺すよ?」
男は悪魔的な笑みを浮かべて言った。
「……最後に、あいつは今どうしてる?」
「妹か。アイツはどうってことないさ。今頃クロノスと楽しんでるよ」
「無事なのか?」
「知らね。俺ごときがアイツに話しかけられるわけないだろ?」
「……」
ムラマサはその言葉を聞いて振り返る。そして、暗い表情でその場を後にした。
そして、そこで記憶の場面は変わる。
━━……それは、鮮明に覚えていた。顔も声も場所も何もかもを。
あれはトレーニング場でのことだった。2人はいつもと変わらずトレーニングをしている時、唐突にムラマサが真耶に問いかけた。
「お主はクロノスと戦闘したことがあるのか?」
その唐突な質問に真耶は一瞬動きを止める。そして、すぐにトレーニングする手を止めて言った。
「あるよ。何回も」
その言葉はクロノスに強い高揚感を与える。しかし、それを声や表情、動きには一切出さず冷静に問いかける。
「勝ったのか?」
「勝ったよ」
「そうか……」
そこで話は終わる。そう思えた。しかし、ムラマサは続けざまに聞く。
「詳しく聞かないのか?」
「聞かない。言いたくないんだろ?」
「……」
ムラマサは答えない。正直自分でも分からないからだ。
「……なんでクロノスに興味があるんだ?」
真耶は冷静に聞く。その時には既にトレーニングを再開していた。残った片腕で逆立ちをしながら真耶はムラマサを見る。
「倒さなければならないからだ」
「へぇ、使命があるんだな」
「そうだ」
「それで、俺がクロノスを倒せることとなんの関係がある?もしかしてお前、俺が倒せるからお前も倒せるとでも思ってんの?」
真耶はそう聞いた。その言葉はムラマサの胸に太い杭のように深く突き刺さる。しかし、ムラマサは表情一つ変えない。
「まぁ、あながち間違えてないよ。お前なら時間魔法は聞かないかもな」
真耶の言葉は驚きのものだった。
「俺もなんやかんやあるけどオタクだ。だから、時間魔法に夢を見るが実際はカスだ。クロノスは時間神であって、時間を司るはずなのに制約が多すぎる。多分1番使い勝手の悪い概念魔法だ」
「……」
「ムラマサ……お前がもしクロノスと戦うことになったら、俺は今のお前では勝てないと断言出来る。なんせ、お前は刻帝拳の本当の力を知らない。時神教教祖であるクロノスの、本当の刻帝拳をお前はまだ見たことないはずだ」
真耶は表情を変えずに目を瞑りそう言う。そして、サッと体を戻しムラマサの前で構えた。
「こい」
真耶はそう言ってムラマサに向かって手招きをする。ムラマサは今の状況がわかってないがとりあえず向かっていくことにした。
そして、結果はすぐにわかる。ムラマサは何もできずにその場に倒された。それは、たった一瞬とかいう言葉すらも遅いと感じれるほど早い一撃だった。
「っ!?」
ムラマサはその異常なほどの速さに言葉を失う。そして、なにか話そうとした。しかし、話すこと全てが言い訳に聞こえてしまうほど真耶のそれは強大だった。
「ムラマサ、覚えておけ。これが刻帝拳だ。俺のは本家じゃないからかなり弱い。クロノスが使うものは、洗練され完璧に仕上げられている。俺程度の型が見えなければ、クロノスのものなど到底見えはしない」
真耶はそういいながら小さく息をつく。そして、少しだけ水を飲んでから続けて言った。
「ま、武術っていうのはこんなもんだ。片方に頼りすぎても負けるのは見えている。俺には剣技があるのと同じでクロノスには時間魔法があるから刻帝拳が強く見えるんだ」
真耶はそう言った。ムラマサはその言葉を聞いて納得し近くのイスに座る。
「俺はもう行くよ。呼ばれてるしね」
真耶はそう言って立ち上がる。
「……」
「最後に忠告しておく。もしクロノスと戦うことになっても、13個目の技だけは使わせるな。魔王軍の中での技を対処できるのは、今のところ俺しかいない」
真耶はそう言ってムラマサを見つめる。そして、手を挙げ振りながら去っていく。
「じゃな」
真耶のその一言だけがその場に残った。そして、ムラマサは立ち上がり目を瞑る。
「……クロノス……時神教……」
そんなことを呟いていると、真耶が戻ってくる。
「やっべ、上着忘れてた」
そんなことを言いながら上着を来て再び出ていこうとする。ムラマサはそんな真耶にもう一つだけ問いかけた。
「時神教について知っていることはあるか?」
「時神教?詳しくは知らんぞ」
「詳しくなくていい」
「フーン。まぁ、俺が知ってることと言ったら幹部の3人が特別強いってことと、時神教教祖代理が人の域を超えた可能性があるってことくらいかな。言うて昔のことだからただの噂だと思ってたけどね」
真耶はそう言った。そして、少しだけ真剣な眼差しでムラマサに言う。
「まぁでも、教祖代理のあの女には気をつけろ。あれは少なくとも……魔王軍幹部でも手を焼く相手だ」
真耶はそう言って部屋から出ていく。今度も同じように手を振りながら出ていく。部屋にたった1人取り残されたムラマサは、その静かな空間でゆっくりと息を吸い刀を握りしめた。
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